流行批判や読者批判はお勧めしませんよという話

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 さて、ここからが今回書きたかった本題です。  流行り物とその書き手を一遍通り批判したら、そういうひとたちの中でも特にブレーキの効かない面々が次に批判するのが読者です。  最近の読者は深い文章を読めない。  浅い刺激ばかり受け過ぎた浅い人間の娯楽。  ラノベ読者は現実を生きられない社会的弱者ばかり。  ご存知ない方から見たら信じられないかもしれませんが、こういった内容を毎日のように口にしている書き手は少なからず存在しています。  ところで。読者ってどこからともなく生えてくるわけじゃないんですよね。今いる他の作品の読者が、あなたの作品も読むかもしれない。ご存知の方も多いかと思いますが、そういう構造なんですよ。  流行り物を楽しんでいる現役読者を腐したところで虚空からあなたの作品を読んでくれる新しい読者が現れたりしないし、その罵詈雑言じみた皮肉だか嫌味だかを目にしても読者が批判者の愛する真の文学みたいなのに目覚めたりもしません。  叩いても罵っても叱っても怒っても説教垂れても事態はなにひとつ好転しません。  そのような行いはただただです。  書き手から、読者から。ただの嫌われ者になるだけです。  有意義なことがあるとすれば「その場ではちょっぴり溜飲が下がる」かもしれません。が、弊害が多過ぎやしませんか。  現状に不満があり、読者の(あいだ)での流行がいかほど気に入らなくても、絶対にそれを攻撃してはいけません。  普通の読者は嫌なことを言っている書き手の作品を「よーしそこまで言うなら読んでやろうじゃないの」とはならないのです。  理由は極めて単純で、彼らが評論家ではないからです。  読者が求めているのは娯楽であり、あるいは余暇を潰す刺激であり、だから不愉快な人物が書いたとわかっている作品に目を通す義理も時間も微塵ほどもないのです。  今でも稀に「作品が面白ければ作家の人間性は問わない」という類いの発言を見掛けますが、これは基本的に自分が被害を受けていない、それが自分にまったく関係のない人間性だから、問題の向かう先が赤の他人だからこそ言える言葉です。  敢えて厳しいことを言うなら、そう思っているひとは一度言葉の意味を熟慮したほうがいいと思います。  親兄弟や恋人を殺した殺人犯、はたまた自分を破産させ一家離散に追い込んだ詐欺師、愛娘を強姦した性犯罪者の作品だとしても人間性を問わずに楽しんで読めるひとがいたとしても、それが出来るほうがよっぽどおかしい。まあ人類は七十億もいるので何人かはいるかもしれませんけどそんなの例外中の例外です。断言してたぶん差し障りないでしょう。  まあ、ともあれ読者は攻撃対象ではありません。彼らが楽しんでいる作品や読者そのものへの批判は言わないに越したことないという、今回はそんなお話でした。  それは「あなたの作品を読んでくれるかもしれなかった未来の読者」を自ら積極的に突き放す行いで、厳に慎むべきです。本当にお勧めしません。やめましょう。  ていうかどれだけ現状が気に入らないとしても、それは議論ではなく作品で魅せるべきでしょ。  プロにせよアマにせよ、私たちは作家なのだから。 ――おしまい――
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