7人が本棚に入れています
本棚に追加
職場の前には小さな石のお地蔵さんが立っている。人の膝丈くらいの大きさをしていて、所々が苔むしてまだらになっている。
遥か昔から道行く人を眺めていたはずのその顔は、長い年月に削られて目鼻立ちがあいまいになっていた。
「水本さん、知ってますか? 大昔この辺りは土壌が悪くてですね……川の水や井戸に毒が染み出していたそうなんですよ。そこで亡くなった人を悼むために、これが作られたそうなんです」
由来を教えてくれたのは、同僚の蔵地さんだ。ほとんどの人が素通りするお地蔵さんだが、彼は誰よりも早くに出勤して掃除をしている。
落ち葉を掃いて、軽く水をかけて、お供えのお菓子を入れ替える。わたしの知る限り、彼が出勤日にこのルーティンを欠かしたことはない。
どこか自分と通じるものを感じているのかもしれない。なぜなら、蔵地さん自身がお地蔵さんのような人だからだ。
蔵地さんはこの第三製作所のベテラン社員で、もうかなりのおじさんだ。
だが、良くも悪くも年季やそれに伴う圧を感じさせることは少ない。
そう、良くも悪くも……なのだ。良く言えば偉ぶらない。比較的年季の浅い女性スタッフのわたしでも臆することなく話かけられるし、頼み事もできる。
悪く言うなら頼りない。口数は少ないながら、目線は自信なさげに泳いでいる。自分から人に話しかけることまずないし、返事はいつもどもり気味だ。
さらに言えば仕事もできない。段取りが悪くて作業が遅いし、そうかと言って正確なわけではない。
どもり気味の返事や報告は要領を得ないことも多い。わたしたち派遣の事務スタッフが彼の尻拭いをさせられることになるのもしばしばだ。
ただ、嫌われているわけではないと思う。彼の独特なキャラは、ある種マスコットキャラのようにして受け入れられているところがある。
いや……言葉を選ばず言うなら、全方位からナメられているのだ。
ベテランの社員は毎朝「おはよう!」と蔵地さんの背中を叩いては、彼が目を白黒させるのを見て大笑いしている。年下の社員はその失敗談で話に花を咲かせる。
それを横目で見ながら、彼は何も言おうとはしない。ただ困ったような笑みを浮かべて、石地蔵のようにいつも黙っている。数少ない例外はわたしと2人きりになった時にするお地蔵さんの話くらい。蔵地さんとは、そういう人だ。
けれど、わたしは考えることがある。蔵地さんはやっぱり、この製作所になくてはならない人なのだ。
仕事ができなくてもいい。むしろできない方がいい。そこにいるだけで価値がある。それこそお地蔵さんのように。それをわかってもらうためには、歴史の勉強が必要かもしれない。
最初のコメントを投稿しよう!