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「まなー!」
自分の名前を呼ぶ明るい声が聞こえてそちらを振り向くと沙綾がぶつかってきた。沙綾の後ろには奏と花音もいる。高校2年に進級してから一緒にいる子たちだった。
「びっくりしたぁー!」
「なんで先に帰るの!一緒に帰ろうよ!」
沙綾が上目遣いで私に言う。
職員室に用があっただけだよ、そう答えながら奏と花音を見やると二人は小走りで私たちに追いついているところだった。
「沙綾って意外と足速いんだね」
追いついた奏が笑いながらそう言った。
「意外とか言うな!これでも運動神経は抜群なんだよ!」
ちょっと怒った感じの沙綾をいなすように花音が沙綾の頭をぽんぽんと撫でる。
「だって初日に見事に転けたとこみちゃったらねぇ」
ニヤニヤしながらそう言う花音に、わたしも思い出し笑いをしながらそうだねぇと答える。
沙綾は2年になって初めての登校日に思いっきりクラスの入口で転けた。このグループにいる全員はその現場を目撃している。
「うわぁ!!!そのことはもう忘れてぇ!!!!」
沙綾が奏を追い回す。奏も紗綾も花音も、もちろん真菜も大笑いしていた。
「ばいばいー、また明日ね!」
手を振りみんなとバス停で別れて真菜は1人で帰路につく。1人になると返ってこないメッセージのことを思い出してしまう。縋るように放課後にスマホを見たが、その時もまだ返ってきていなかった。みんなと笑っていた時は忘れることが出来ていたのに、また真っ黒な不安がやって来て侵食していく。真菜は飲み込まれないように自分の手首をぎゅっと掴んだ。
とにかく自分の部屋に帰りたい。
ひたすら機械的に足を進めるうちにさっきの沙綾の様子が思い浮かんできた。
沙綾はいい子だ。
気遣いもできるし空気も読めるし可愛いしみんなに愛されている。奏も花音も言うまでもなくいい子だ。
みんな愛されるべくして愛されている子たちだ。
だけど
真菜は強く手首を握ったまま赤と紫の混じりあった夕暮れの空をちらりと見た。直ぐにアスファルトに視線を落とす。
みんなと違って私はいい子でも綺麗でもない。
今はみんなを傷つけていなかったとしても、いつかきっと一生懸命覆い隠している汚い自分のボロが出てみんなを傷つけてしまう。そしてみんなに嫌われてしまう。
心底それが怖かった。
夕暮れが一歩ずつ夜に近づいていって、アスファルトに映る真菜の影がよりくっきりと輪郭を強める。昼間の温かさがどこか少し残る柔らかい風が真菜の髪を一筋さらっていった。
やけに静かだ。
ふと真菜は気づいた。この通学路はいつもは遊んで帰ってくる小学生や犬の散歩をしている人などで賑やかなのに、今はその気配がない。違和感に顔をあげて見渡すが全くいつも通りの街だった。
曲がり角の一軒家、横断歩道、隣町の小学校が育てているチューリップ、歯医者の看板
何も変わらない。こんなに静かな時もあるのか。あまりの偶然に首を傾げながらも進もうとする。
なんとなく横の電信柱に視線を投げて、貼られている薄っぺらいひとつの広告が目に止まった。黄色に目立つ青文字。
「要らない "あなた" 引き取ります」 …?
何かの間違いかと思って何度も見直すが、間違いなくそう広告には書かれている。
宗教かなにかだろうか、それにしては妙に商売っぽい。青文字の下に小さく
あなた専門引き取り店 ツギハギ
と記されていた。それ以外の説明は無い。
見れば見るほど胡散臭かった。誰かがいたずらで貼ったのかもしれない。
でも、どうしても真菜は目が離せなかった。
誰も傷つけたくない。誰かを傷つけて嫌われたくない。もし自分を捨てられるなら、もし元からなにもなかったかのように自分を消すことが出来たなら。切望して、真菜はその胡散臭い株式会社を探し求めて辺りを見渡した。広告がここに貼られているということはそう遠くにあるわけでは無いはずだ。見渡しながら真菜は頭のどこかで、毎日通っているこの場所にそんな店が無いことも分かっていた。
夢を見るのはやめよう、馬鹿らしい
そんなことを思って電信柱の前を一歩踏み出し、誰もいない街に真菜のローファーの音がコツンと響いた時だった。
「えっ?」
真菜の頬を閃光が走るように風が鋭く左に撫でていく。釣られるように顔を向けた風の行先に、今まで見たことのない開けた道が広がっていた。
真っ直ぐに続く道の先に、明るい黄色の建物。
よく晴れた日の空のように真っ青な青色の瓦屋根で、真ん中に大きな窓がひとつある。
屋根と同じ空色の玄関扉の上には一際目をひく看板がかけられていた。
あなた専門引き取り店 ツギハギ
あの「要らない"あなた"引き取ります」という言葉が頭に浮かぶ。真菜に怖くないと訴えるように、黄色のその店は終わりかけの夕暮れに優しく照らされていた。
真菜は空色の扉を見つめると、静かに歩き出した。
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