第零夜-2 翼

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第零夜-2 翼

 朔理妃菜(さくりひな)が編入してから二週間経った。    あいつが翼にべったりくっついているせいで、この草間胡桃(くさまくるみ)様がストレス発散できないなんてムカつく。  友達の茉莉と和代と歩いていたら、一人でトイレから出てきた翼と鉢合わせた。  久しぶりに遊んでやろうと思ったら、背後から声を掛けられた。 「胡桃ってば、今日も髪がイケてるね」  イライラしながら振り返ると、朔理妃菜があたしの髪を自分の指に巻きつけて、ニヤッとした。 「ちっ」  舌打ちして手を振り払って、あたしは立ち去ることにした。 「胡桃!」 「待ってよ!」  茉莉と和代があたしを呼び止めたが、無視して足早に廊下を歩いた。 「朔理のこと、何でボコボコにしないの?」  階段の前まできたところで和代に肩を掴まれて、足を止めた。 「胡桃?」  和代が怪訝な面持ちで覗き込んでくる。  初めて会った日の、朔理妃菜の目――  何をやらかして鳥咲島に送られたのかはしらないが、正面から手は出したくない。  気分が萎えたまま放課後を迎えた。  あたしたちはジュースを買って、鳥咲島の浜辺を訪れた。  東側は海水浴場として開放されている白い砂浜だが、ここ西側は海から打ち上げられた大小様々な岩がゴロゴロ転がっていて足場が悪く、観光客はこない。  浜辺の端にはあたしたちの背丈よりずっと大きな岩が一つあり、均一に並んだ紙垂が下がる縄が巻かれている。  『縄岩(なわいわ)』といって神聖なものらしい。下宿先のおばさんに教えられた。  あたしは浜辺の中央にある丁度いいサイズの岩に腰を下ろして、穏やかな波を見つめた。  ボーッとしていると、茉莉が口を開いた。 「胡桃、あれ」 「何?」 「翼じゃない?」  茉莉が指差した先を見ると、道路を挟んだ先にある古風な一軒家から翼が出てきたところだった。  あたしたちの背後にある岩が死角になっているのか、こちらに気付かない。 「あの家ってさ、イケメンが住んでいるんだよね?」 「えー翼なんかと遊んでんのかよ」  茉莉と和代が、オエーと吐きそうなジェスチャーをした。  朔理妃菜はいない。久しぶりにストレス発散、するか。  あたしはワクワクしながら立ち上がった―― ◆◆◆ 「翼ぁ」  名前を呼ばれた。この声は――草間胡桃だ。 「草間さん……」  昼休み前からお腹が痛い。風邪っぽいから早く帰って寝たいのに。草間胡桃は私の肩に腕を回して身体を寄せてきた。 「あんたって意外とやるじゃん」 「え……?」 「この家のイケメンとヤってたんでしょ?」 「ち、違うよ!」 「あんたみたいな陰キャなブスがねえ。相手、趣味悪いんじゃない」 「……だから違うって」 「まあそれはどうでもいいんだけど、あんた最近いいご身分じゃん。朔理妃菜に守られて」  妃菜に守られて日常が変化したのは事実だ。 「久しぶりにあたしと遊ぼうよ」  物音がした。私にパソコンを貸してくれたエンジニアの倉澤さん――この家の家主が裏戸から出たらしい。  私たちには気付いていない。 「移動しよっか」  私は草間胡桃たちに囲まれて、縄岩のすぐ傍にある古い空き家に連れて行かれた。  廊下の奥の客間らしき和室に入るなり突き飛ばされて、私はその場に倒れた。 「勝手に入っていいの? 民家みたいだけど」  茉莉がキョロキョロしている。 「今は使われてないし。明治の頃の集会所らしいよ」  対照的に草間胡桃は堂々としている。まるで廃墟への不法侵入に慣れているかのようだ。  ここは爽やかな空気が漂う場所ではない。  当時のまま家具が残されていて、時が止まっているかのよう。  今も誰かが住んでいるかのような匂い立つ生活感があるし、額縁に入った古い写真が天井付近にたくさん並べられていて不気味だ。  日焼けしているものが多く被写体の顔はほとんどわからないが、皆和服を着ている。 「久しぶりにストレス発散♪」  草間胡桃は私のスクールバッグを蹴飛ばすなり、続けざまに腹部にも蹴りをお見舞いしてきた。衝撃と苦痛で、私はうずくまった。  どうしてだろう。痛みが、いつもと違う。 「え、ちょっとこいつ……」 「マジ?」  取り巻きたちが、後ずさりした。  下半身に温かい湿りを感じた。視線を下に向けると、めくれたスカートから伸びる足を血液が伝っている。 「胡桃のせいじゃなくて、ただの生理だよね?」 「胡桃が蹴ったことが原因だったら、マズいんじゃね?」  私は腹部を押さえながらうつ伏せになり、動揺している取り巻きたちを見上げた。 「助けて――生理がきたみたい。どうしたらいい?」 「どうしたらいいって……」 「そんなの、ねえ?」  二人は顔を見合わせている。  すると今まで黙っていた草間胡桃が私を見下ろして、尋ねた。 「もしかして初めての生理?」 「……うん」  草間胡桃はしゃがむなり私の前髪を掴んで、無理やり顔を上げさせた。 「へー。高一なんて遅いね」 「人と比べたことないから」 「茉莉、和代」 「「何?」」 「鳥咲島って面白い伝承があるの知ってる?」  二人は首を傾げた。 「初めて生理がきた女に血が隠れる赤い着物を着せて縄岩に縛ると、縄で巻く作業をした人の願いが叶うんだって」  二人は様子を想像したのか、うっと顔をしかめた。 「二〇年くらい前が最後らしいんだけど。ねえ、赤い着物とロープを探してきて。この家のどこかにあるんじゃない?」 「ええ? 何で……」 「――茉莉、あたしがやりたいことに文句あるの?」 「う、ううん! 探してくるね」  取り巻きたちは慌てて散らばり、五分程で赤い着物と帯とロープを確保して戻ってきた。  私は制服の上から、無理やりそれを羽織らされた。 「着付けなんてわかんないから適当だけど、まあいっか。てか、これ子供用じゃん。他になかったの?」 「これしかなかったよ」 「うん。茉莉も見たけど本当だよ」 「丈が短いけど、まあいいか」  私は草間胡桃に引っ張られた。 「離して……!」  無視され、両手をそれぞれ取り巻きたちに掴まれて縄岩に押しつけられた。 「こんなクソつまんない島から、さっさと出られますように」  草間胡桃がぽつりと言った。 「草間さん、お願い! 解いて!」 「二時間くらいしたら迎えにきてあげるから、それまで瞑想でもしとけば? あーあ。スマホがないから写真撮れなくて残念」  懇願も虚しく、私は縄岩に縛られた。草間胡桃たちはケラケラ笑ってその場を立ち去ってしまった。  足が水に浸かって冷たい。それに血で下着が濡れて不快だ。生理になったせいか、吐き気もする。  足を伝って流れた血が水の中に垂れる。  海に夕陽が沈み始めている。このまま夜になるのは怖い。誰か、誰か助けて――  そのときわずかに波が立って、水面に影が見えた気がした。  明らかに、何かが、ゆっくり、近付いてくる。  息継ぎをしていないから、海の生物?  まさかサメ?  恐怖で足がすくみ、私は対象を凝視した。  私のすぐ前まできた影が、四方に広がった。いや、影ではない――黒くて長い、髪だ。 「……ひっ」  身をよじっても逃げられない。  『それ』はゆっくり立ち上がり、私の前に立った。  女の子――  一二、三歳くらいだろうか。鶴の刺繍が入った赤い振袖の少女が俯いている。黒髪が青白い顔に貼りついて、水滴がポタポタ垂れている。 「……っ」  彼女の手が伸びて、私の両頬に触れた。氷のように冷たくて人間の手ではないみたいだった。 「ねえ……」  少女がゆっくり、絞り出すように発声した。 「壱羽の……妹はどこ?」  少女がゆっくり顔を上げて私を見つめたとき、体中の血が冷えて体温が下がった気がした。 「……うっ」  少女はとても綺麗だったが、青白い顔と虚ろなその目は生きているモノのそれではないと感じた。  私の頭は引っ張られ、身体を縛っていたロープがブチッと音を立てて千切れた。  バランスを崩して倒れた私は、手も足もついているはずなのに動けずに下がっていく。  止まることなく堕ちている。  水面から出ているのは顔だけになり、必死でもがいた。  そんな私を見下ろしながら、夕陽を背にした少女が言った。 「あなたも、寂しいよね」  私は、寂しくない。  同じ身長で、髪質や体形や趣味が似ていて、初めて会ったときから不思議な親近感があった妃菜がいる。  助けて――  助けて、妃菜――
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