第1話 睡眠転生

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第1話 睡眠転生

   一八時半――  夕食は焼き魚と煮物らしい。台所で動き回っている神主さんの奥さんに言われて、私と奈々子は先に居間の座卓の前に腰を下ろした。  畳の良い香りがする。  私は正座をしたことがほとんどない。この住宅環境に適応するのが大変だ。私は足を崩しているが、奈々子はピンと綺麗な姿勢で正座している。 「お父さんが帰ってきたから、ごはんをよそうわね」  神主さんの奥さんは私たちの向かいに座り、隣に炊飯器を置いて蓋を開けた。この感じ、日曜日の某国民的アニメみたいだ。   この家の主であり奈々子のお父さんでもある神主さんは、私服に着替えてから居間に入ってきた。  皆で「いただきます」と手を合わせて、夕食だ。  その日あったことを和やかな雰囲気の中で語りながら、穏やかな時間が流れた。  一変して騒ぎが起きたのは、食後に私が食器を洗っているときだった。 「天上さん!」  勢いよく玄関を開けるガラガラという音共に、大声が響いた。  何事かと思って蛇口をひねって水を止め、タオルで手を拭いてから玄関に向かった。  訪問者は近所に住む中年の主婦。彼女から事情を聞いたらしい神主さんと奥さんが、神妙な様子で顔を見合わせている。 「どうしたんですか?」 「妃菜ちゃん……」  神主さんの奥さんが私の肩を掴んだ。 「翼ちゃんのことわかるわよね?」 「はい。友達です」 「翼ちゃんが、下宿先に戻っていないみたいなの」 「え……」  今日の昼休みに翼が言っていたことが、頭をよぎった。 『小説投稿サイトの公開作業をするから、放課後は倉澤さんの家に行く』  私はその件を、大人たちに伝えることができなかった。  だってパソコンを使わせてもらうために家に行ったことがバレたら、倉澤さんがシロだったとしても今後は禁止されてしまうだろう。  小説家になりたい翼が夢のために始めた投稿作業を、できなくなってしまう。 「翼を探しに行きます!」 「ちょっと、妃菜ちゃん!?」  私は神主さんの奥さんの制止を振り切り、靴箱の上にあった懐中電灯を掴んで飛び出した。  大人たちに言えなかった代わりに、自分で確かめに行く。翼から聞いていたから、倉澤さんの家の場所は知っている。  白いガードレールに沿って道路を走った。田舎の夜は暗くて、月明かりが頼りだ。  夜の海はドス黒く見えて不気味だった。  特に西側の浜辺は岩がゴロゴロしているから、月明かりでぼんやり照らされると、おどろおどろしい雰囲気が増す。  特にあそこ――縄岩。  チラリと見ると月を背後に妖しく光っていて、すぐに目を逸らした。  少し経って目的地に到着するなり、私は力任せに玄関をノックした。 「はいはい。そんなに叩かなくても出るって」  玄関を開けて呑気に顔を出したのは、二〇代半ばくらいの青年だった。  清潔感のある爽やかな雰囲気で、今は私服だがスーツが似合いそうな感じだ。 「倉澤さんですか?」 「そうだけど、誰?」 「翼の友達です」 「翼ちゃんの友達が俺に何の用?」 「翼、いませんか? 小説の投稿作業のために、きましたよね?」 「知ってるんだ? でも翼ちゃん、四時には帰ったけど」 「え……」 「何かあったのか?」 「翼……下宿先に戻っていないんです」 「友達の家では?」  住民全員がほぼ顔見知りという鳥咲島。離島だけあって簡単に遠くに逃げることもできない環境だから、誘拐されたり犯罪に遭ったりする可能性は低い。  倉澤さんはあまり心配していないように見える。  正直私は、彼が翼に何かをしたせいで帰れなくなった可能性を危惧していた。  けれどもこの反応を見る限り――この人はシロだと思う。 「いないならいいです」 「翼ちゃんの忘れ物がある。何か手掛かりがあるかも」  倉澤さんは親指で室内を指し示した。上がれということだろうか。  初対面の男性の部屋に上がる――。  一抹の不安を覚えたが、忘れ物は気になる。翼が見つかったら渡しに行ってあげたいし、素直に従うことにした。 「お邪魔します」  廊下を進んで書斎に入ると、背の高い本棚と、ぴったり壁一面に沿っている横長のデスクがあった。家具に囲まれた圧迫感のある内装だ。  私はデスクに立て掛けられているトートバッグを手に取って広げたが、図書館の本が入っているだけだった。  他に手掛かりになりそうなものはない――と思ったが、底にあるブレスレットに気付いた。  黒焦げでボロボロになっていて細かいデザインはわからないが、私の大切なブレスレットに形が似ている。  そういえば奈々子が、翼は火事で両親を亡くしたと言っていたな。これは彼女の母親の形見か何かだろうか。 「倉澤さん。私、帰ります。これ、持っていきます」 「敬語じゃなくていいぞ。それと名前は晴人(はると)な」 「はあ……?」  名前で呼べということだろうか。 「翼ちゃんの行き先の手掛かりになりそうなものは?」 「なかった……よ」  何となくタメ口で答えた。  書斎を出るとき、本棚に並ぶプログラミングの本や理系の学術書の間に、神道や民俗学の本が色々あることに気付いた。そういうのが好きなのだろうか。  その後、私は大人たちと一緒に翼を探したが見つからなかった。  明日太陽が昇ったら、山の中にも入って翼を探すという。  夜が更けて、神主さんの奥さんから寝るように言われて布団に入ったはいいが、目が冴えて寝付けない。  やっぱりもう一回探しに――  ガバッと布団ごと起き上がったが、急に視界がクラクラした。 「……?」  力が抜けて、後ろに向けて倒れていく。  枕の上に横向きに頭が落ち着いたところで、卓上時計が目に入った。午前零時を告げている。  強烈な眠気に目を開けていられなくなり、私はまどろみの中へ堕ちた――はずなのに、次の瞬間パッと目を開けることができた。 「は……?」  思わずマヌケな声が出た。  だって自分が、中世ヨーロッパのお城の一室みたいな場所でフリルのついたワンピースを着ているから。  近くにある可憐な装飾を施された全身鏡に映してみても、やっぱり自分だ。  アニメの魔法少女や魔法学校の生徒が着ていそうな、現実世界では浮きまくりそうなデザインで、私には似合っていない気がする。  今まで生きてきて、こんなファンタジーな夢は初めてだ。 「妃菜?」  名前を呼ばれて振り返ると、同じデザインの衣装を着た少女が立っている。  クラスメイトの真田百乃(さなだももの)だ。  髪を低い位置で二つに結っている。派手でも地味すぎるわけでもなく、ごくごく普通の女子高生という感じの子で、胡桃のグループのようなやさぐれ感はない。  編入生の私に自分から挨拶してくれたし、社交的な印象ではある。 「百乃が夢に出てくるなんて意外」 「私も妃菜が夢に出てくるなんてびっくりだよ」 「百乃も夢って認識しているんだ?」 「変な会話だけど、そうだよ。こんなに鮮明で自由自在に動ける夢を見たのは初めてだけど」 「奇遇だね。私も同じ」  私は改めて、周囲を観察した。  この部屋には天蓋つきのベッドが二つあり、アンティーク風のデスクやキャビネットがある。  大きな窓の先には、石造りの塔やお城や要塞風の建物が複数見える。  現実は深夜だが、ここは昼間らしい。燭台の蠟燭やランプには光がないし、外は明るい。 「ねえねえ、現実みたいに身体が動くよ」  手をぐーぱーしたり足を伸ばしたりしている百乃の姿を見て、私は苦笑した。  よくわからないが、ファンタジーなテーマパークにきたと思って楽しめばいいか。  そう思ったとき、ふと、翼が書いている小説『プロダナ・ネヴィスタ』のことを思い出した。私は翼に途中まで読ませてもらった。  この内装と衣装は――作中の舞台であるガルドラ王国のスコラ・ミット魔法学校のイメージにぴったりだ。  『プロダナ・ネヴィスタ』は、スコラ・ミット魔法学校に通う一六歳の貴族令嬢たちの中から、成績や素行などを総合審査して王子の花嫁が選ばれることになるというストーリーだ。  ストーリーだけなら『可愛い』とか『少女小説』という印象になるが、メルヘンなロマンスファンタジーなどではない。  花嫁の座を巡って、ドロドロとした血なまぐさい争いが繰り広げられるという内容なのだ。殺伐としすぎていて、普段の翼のイメージとは全然違う。私はそのギャップにとても驚いた。  翼のことを気に掛けるあまり『プロダナ・ネヴィスタ』の世界が夢に出てきたのかもしれない。  そんなことを考えていると、ドアが開いて執事っぽい服を着た青年が入ってきた。 「妃菜様、ここにいたのですか?」 「わ、私のこと呼んだ?」 「当然です。わたくしはあなたの従者ですから」 「……本当に?」 「はい。ずっとそうだったのに、何を今更」 「あのさ……あなたの名前を聞いてもいい?」 「アルフレッドですが。変な質問ですね」 「……アル?」 「はい」 「マジで?」 「はい」  金髪碧眼のアルフレッド。  『プロダナ・ネヴィスタ』の主人公イザリスの、従者兼護衛だ。  彼がそうだと言うなら、『妃菜』と呼ばれたとはいえ、私が主人公イザリスに該当するポジションということになる。  イザリスの生い立ちはこうだ――  父親は兵士で、軍を裏切った罪で処刑された。その後は孤児として親戚をたらい回しにされるようになった。  けれども八歳のとき、子供に恵まれなかったフランツベルグ伯爵の家に跡取りとして引き取られ、普通よりも遅い時期にずば抜けた魔法の才能が開花した。  それでスコラ・ミット魔法学校へ。正規入学ではなく、五年生クラスに編入するのが物語のプロローグなのだ。  五年生というのは一六歳の生徒たちの学年で――そう、イザリスも王子の花嫁候補だ。  スコラ・ミット魔法学校には貴族以外も在籍しているが、今回は貴族の令嬢のみが花嫁候補。  イザリス自身は花嫁の座に興味はないが、身分が貴族であるせいで逃れられずに巻き込まれていく。 「妃菜様、そろそろお茶会に行きましょう」 「お茶会……それ、三話だよね?」 「三話とは?」 「え、ううん。何でもない」  夢なのだから、目が覚めるまで楽しめばいい。  私はきょとんとしている百乃に声を掛けて、お茶会に誘った。  だって『プロダナ・ネヴィスタ』のWEB投稿用の三話では、イザリスが同級生であり寮でルームメイトのプラムと共にお茶会に参加するのだ。  ここで私と一緒にいるなら、百乃はプラム役ということになる。  お茶会はエレノアという貴族令嬢のお誘い。参加したイザリスがチクチクとマウント攻撃に遭う。  その最中にトカゲっぽいモンスターが襲撃してきてエレノアが襲われる。そしてアルフレッドが助けることによって、彼女はこちらの味方になってくれるのだ。  私たちが会場である学校敷地内のローズガーデンに行くと、ドレスで着飾ったエレノアとその友人三名が既にお茶を楽しんでいた。 「妃菜様、百乃様、お座りになって。それにしても……お二人とも制服なのですね」 「え? あ、今のところドレス持っていないから……多分」  この世界観で本名を呼ばれるのはシュールだ。 「まあ……ドレスもないなんて……」  エレノアがぶつくさ言っている。  イザリスはそうだが、プラムについてはこの場面でドレスだったような気もするが、百乃も衣装を替えていない。 「座りませんの?」  再度言われて、私たちは慌てて席に着いた。  猫足の白いテーブルを囲んで、英国式アフタヌーンティーみたいな三段重ねのケーキたちを眺めていると、さっそく始まった。 「妃菜様はこのような都会のケーキは見たことがないのでは?」 「えーっと」  作中のイザリスは素直に『見たことがない』と答えていたが、東京育ちの私はさすがに見たことくらいある。どう答えればいいだろう。 「妃菜様は田舎の山の中に住んでいた貴族ですものね。山ザルが王子の花嫁候補だなんて、荷が重すぎるのでは?」  エレノアが言うと、周りの友人たちがBGMのようにクスクス笑う。  きたきた。  私にとっては想定内だったが、『プロダナ・ネヴィスタ』を知らない百乃はびっくりしたらしい。急に立ち上がって、私の腕を引っ張った。 「この人めっちゃ失礼だし、帰ろうよ」 「ええ?」  まあ、いいか。  百乃に従って立ち上がると、エレノアがきっと睨みつけてきた。 「下位貴族の分際で、許可なく立つとは無礼ですわ!」  私たちの行動が小説と違うからか、エレノアからも原稿と違うセリフが飛び出した。 「な、何よ偉そうに!」  百乃はびっくりしたらしく、目をパチクリさせている。 「座りなさい。これだから礼儀知らずの下等生物は――」  パチーン  音が響いて、私は呆気に取られた。百乃がエレノアの頬を思いっきり平手打ちしたのだ。  それによってエレノアは椅子から滑り落ちて地面に手をつき、真っ白で清純な手袋が土で汚れてしまった。  エレノアの友人たちが息を呑んでいる。 「百乃って、そんな乱暴な感じだったの? 胡桃に気を遣っている普段からは想像もできないけど」 「そりゃ現実ではできないよ! でもこれは夢でしょう?」  まあ、そうか。夢なら大胆なこともできるか。  納得したところで突然百乃が私の手を引いて、校舎や寮が入る城とは反対側に走り出した。 「あの子が怒って反撃してくる前に逃げよう!」  いや、マズいのでは? こちら側は――  記憶通りだった。  傍の森からゾウくらいの大きさのトカゲが飛び出してきて、私たちは驚いて足を止めた。  これはライバル花嫁候補がしかけたモンスターで、本来はエレノアを襲うはずだったが、立ち位置的に私たちがターゲットになってしまったかもしれない。 「きゃああああ!」  混乱した百乃は私の手を振りほどいて一人で勝手に走り出し、モンスターは動きと音に反応したのか私を無視して百乃を追い掛け始めた。 「百乃、ダメ!」  ストーリー上はアルフレッドが助けてくれるはずだが、百乃は彼の立ち位置からどんどん離れた方向に走っている。  どうしたらいいかわからなくて混乱していると、モンスターの舌が長く伸びて百乃の足に絡みついた。  百乃は動きを止められて派手に転び、起き上がろうとしたところで舌に手繰り寄せられて本体に少しずつ近付いている。 「妃菜、助けて!」  百乃が泣きながら叫んだ。私が慌てて駆け寄ろうとしたら、急に誰かに後ろから身体を抱えられて止められた。  振り返ると、眼鏡を掛けている銀髪の美少女――同級生の秋宮水連(あきみやすいれん)だった。 「ダメよ、妃菜! あなたも巻き込まれるわ!」 「でも……!」  ジタバタ藻搔いているうちに、百乃の身体は舌で持ち上げられ、上向きに大きく開いたトカゲの口の中に堕ちた。 「百乃―――!」  同級生が飲み込まれるのを、私と水蓮はただ眺めているしかできなかった。
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