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第3話 魔法の練習
翼の下宿先は、倉澤さんの家から歩いて三〇分程のところにある。
赤が色褪せてオレンジに近い色味になっている古い軒先テントの商店や、犬が尻尾を振って門に足を掛けている横を通り過ぎると辿り着く。
錆びたトタン屋根の古い一軒家の玄関や縁側の窓が全開になっていて、和室が丸見えだ。
初老のおじさんたち数人が座布団の上で汗を拭いている。
「あの」
話し掛けてみるとおじさんたちは、「翼ちゃんはまだ見つかっていない」「君たちは真っすぐ家に帰りなさい」「気をつけてね」と、口々に言った。
今は邪魔しないで帰れという意志表示をされたと、伝わってきた。
それで私たちは翼の部屋で小説のノートを探すことはできず、近くの空き地で輪になって顔を見合わせた。
「四話は平和な内容だったし、睡眠転生したとしても大丈夫だよね」
私も水蓮のように『睡眠転生』と言ってしまった。
「でも怖いです……」
「もう一回、自分の配役と設定を確認しておこうか」
私は従者兼護衛のアルフレッドの主人らしいし、エレノアからチクチク嫌味を言われたから主人公のイザリスだ。
水蓮と奈々子が割り当てられているキャラクターは、どちらもイザリスの同級生だ。
奈々子は王子の花嫁候補だが、水蓮のほうは貴族ではないから花嫁候補ではない。
いずれにせよ二人ともイザリスと敵対はしていない。現時点でわかっている範囲では――だが。
百乃が割り当てられていたプラムは、イザリスのルームメイトであることから本来の登場率は高い。
百乃はもうないのに、今後の原稿でプラムが出てきた場合はどうなるのだろう。
「水蓮と奈々子は原稿通りの行動をしていれば危険はないと思う」
「問題は妃菜よね」
水蓮の言う通りだ。
何たって主人公だ。私を中心に物語は動く。作風的に嫉妬や悪意から生まれるトラブルは避けられないだろう。
嫌な表現だが、死亡リスクは一番高い。
「まあ、また夢を見たらの話だけどね。今日は偶然で、もう睡眠転生しない可能性もあるし」
そんな期待を胸に夜を迎えたが、午前零時になった途端に立っていられないくらい激しい睡魔が襲って私は布団に倒れ込んだ。
そして――
「……きたか」
また、『プロダナ・ネヴィスタ』の世界にきてしまった。
真っ先に目に入ったのは、星空の絵が描かれた天井だ。
むくりと起き上がって確認すると、スコラ・ミット魔法学校の制服を着てベッドにいる。昼寝していたのだ。
初めて睡眠転生した日のスタート地点と同じ部屋。今なら理解できる。ここはイザリスが暮らす寮の一室だ。
全寮制でだいたい二人一部屋。イザリスのルームメイトはプラムだった。
ドアが開く音がした。
「妃菜」
聞き慣れた声に顔を向けると――水蓮が立っていた。
「何でここにいるの?」
水蓮が割り当てられているモネというキャラクターは、まだ出てこないはずだ。四話の最後のほうで挨拶するだけだから。
「あなたの従者に連れてこられたのよ」
開けっ放しのドアの陰からひょこっと顔を出したのは、従者兼護衛のアルフレッドだ。
「百乃様が亡くなったので、水蓮様が代わりにルームメイトになることが決まりました」
「それって設定が変わるってことだよね……大丈夫かな?」
「設定?」
アルフレッドがきょとんとしたが、腕を組んだ水蓮が割って入った。
「そもそもわたしたち、一言一句再現しているわけではないわよね?」
「今もこんな会話、原稿にはないしね」
「再現を頑張っても、展開が変化する可能性はあるわね」
「展開が変化したら、危機を予測しづらくなるよね」
「そうね」
「あのー……妃菜様」
「何? アルフレッド」
「魔法の復習に付き合えとおっしゃっていましたが、今日は水蓮様と過ごしますか?」
原稿ではアルフレッドと二人で魔法の復習をする。
小説家志望として考えると、読者に向けて世界観を伝えるために入れた場面だろう。
プロローグと一話の授業シーンを除くと、主人公のイザリスが魔法を使っているシーンがないのだ。
「アルフレッドと練習するよ。水蓮は――」
「動かないわよ。死亡フラグを立てたくないし。ここが安全かどうかもわからないけどね」
私はアルフレッドと共に自室を出て、スコラ・ミット魔法学校の広大な敷地内にある一画まで歩いた。
「――三〇分も」
「何でしょうか?」
「何で三〇分も歩いているわけ?」
「誰にも邪魔されないところがいいと言ったのは、妃菜様ですよね?」
アルフレッドが二本の剣を持ち運んでいるから、時々鞘がぶつかり合ってカチャカチャ音が鳴る。
「私ってお嬢様でしょ?」
「はい。伯爵令嬢ですね」
「お嬢様って、馬車とかに乗るものじゃないの?」
「入学前はそうでしたが、入学後はダメです」
どうしてだろう。
「ここは学費も生活費も無料で、魔法の才能があれば貧民出身でも入学できます」
「へー」
あ、原稿では一話の時点で説明していたか。
「つまり生徒は身分に関わらず対等です」
「金持ちも貧乏人も通うから、間を取って貴族っぽいことはあんまりしないのがルールってことね?」
「そうです」
「でもエレノアってお茶会をしていたよね?」
「本来なら好ましく思われないところですが、エレノア様は王子の花嫁を目指していないのでマイペースなのでしょう」
「どういうこと?」
「彼女の姉は国王の右腕と謳われる英雄に嫁いだので、一族が粛清されるリスクは低いのです。それに同じ家から国王に近い者の嫁をもう一人迎えることは避ける可能性が高いので、貴族とはいえ彼女は選考対象外という扱いです」
『プロダナ・ネヴィスタ』はほのぼの異世界ファンタジーではない。
パッケージのカラフルポップで可愛らしいイメージのままで読み進めると裏切られる物語にしたいと、翼が言っていた。
陰湿な手を使ってでも王子の花嫁になりたがる令嬢が多いのは、単純に地位を得たいからだけではない。
ここガルドラ王国は軍事国家で、国王は残酷だ。
けれども国王は賢く、一般の民については国力に直結するから安易に粛清しない。むしろ努力に応じて寛大な措置を取るから人気があるが、富と権力がある貴族に対しては違う。
所有しているものが一般の民より多い者には、国王は見合う義務と責任を求めてくる。
ガルドラ王国では貴族が軍を持ち、戦争が起きれば駆り出される。
そのとき弱腰で役に立たないと判断されれば、貴族が容赦なく血の粛清をされるのだ。
けれども唯一、国王の身近にいる者の花嫁を輩出した家には国王も許しを与えてきた。
だからスコラ・ミット魔法学校に通う貴族令嬢たちは、いざというときに自分の家族の命を守るために必死で花嫁を目指すのだ。
「それで、妃菜様はどちらかの派閥に属することはできましたか?」
「へ? 派閥?」
「アリス・ルドヴィガ公爵令嬢の派閥と、ルナ・ローリンゲン公爵令嬢の派閥です」
「ど、どれがどっちだけ?」
原稿を思い出すことにした。
スコラ・ミット魔法学校の五年生クラスは一つだけで、同級生の中で爵位が一番高いのがこの二人なのだ。
そして二人は仲が悪く、派閥を作ってバチバチしている。
お茶会のエレノアはアリス・ルドヴィガの派閥で、イザリスにマウントを取ってきたことからわかる通りイザリスはあの派閥の面々と仲良くない。
とはいえ、ルナ・ローリンゲンたちとも仲良くはない。
つまりどちらとも敵対している。損というかマイペースな立ち位置なのだ。
「ここで上手くやっていくためには派閥に入るのが得策です」
「わかっているけどさあ、面倒くさいよね。それにどっちに加入するのか、現時点では原稿がないからわからないし」
「原稿……?」
「ねえ、アルフレッド」
「はい」
「魔法、凄く簡単なところから復習していい?」
「もちろんです」
一つ問題がある。
私は呪文を覚えていないのだ。原稿に出てきた呪文も、ド忘れしてしまった。
「……アルフレッド」
「何でしょう?」
「凄く簡単な魔法からお手本を見せてくれる?」
「はあ……?」
私のお願いを変だと思ったらしいが、素直にやってくれた。
「≪炎魔法≫アムエルディ」
アルフレッドが人差し指を立てて呪文を唱えると、指先に小さな炎が灯った。ライターみたいで面白い。
私は一言一句真似してみた。
「≪炎魔法≫アムエルディ」
すると私の指先にも炎が宿った。
魔法は呪文で無条件に発生するわけではなく、呪文を合図に魔力と具現化装置を接続して起動するというイメージが近い。
この世界では魔武具という剣や槍の形をした特別な武器に触れることで具現化できる。もしくは身体の一部にタトゥー形式で特殊な紋章を入れることでも発動できる。
紋章は魔武具と違い消耗が激しく、魔法を使えば使うほど薄くなるから魔武具を使うほうが安心ではある。
「凄い凄い!」
「妃菜様……? このような初級魔法でそんなに喜ぶのですか?」
「え、うん」
「あなた様は魔法の天才なのに」
「そうなの?」
睡眠転生をしている私は覚えていない呪文ばかりで、天才とは程遠い。
「紋章で発動し続けて消えてしまうと、いざというときに困ります」
「そうだね。また身体に刻めばいいわけだけど、武器が何もないときでも魔法を使えるようにしておいたほうが安心だもんね」
「はい。こちらをどうぞ」
アルフレッドは女性でも持ちやすい形の剣を渡してくれた。アニメで観たことがある。レイピアというやつだ。特殊な宝石が柄にはめ込まれている。
魔法を使えば使うほどこの宝石に負荷がかかる。最終的には宝石が消えてしまい、そしたらただの物理攻撃のみの武器になるから、宝石を補充するか新しい武器を買うことになる。
「アルフレッド、私の目が覚めるまでにできるだけ魔法を叩きこんで!」
「妃菜様、今日は何だか変ですよ。熱でもあるのですか?」
アルフレッドが私に近付き、おでこに手のひらを当ててきた。
「ふへっ!?」
「何ですか、そのはしたない声は」
「だだだだって!」
イケメンにデコを触られるなんて、人生で初めての経験だ。
私が固まっていると、アルフレッドが頬に手を触れてきた。
「え、ちょ、あの?」
「妃菜様……」
何でそんな愛しそうな目で見つめてくるわけ?
まさか、令嬢モノのライトノベルでよくある従者が主人公に片思い系の設定?
「あなたのことが心配です」
優しい声色で顔を寄せてくるアルフレッドの瞳に映る私の顔が、近付いてくる。
「ぎゃーーーー!」
思わず叫びながらその場にしゃがみ込むと、この眩しいイケメンが慌てて顔を覗き込んできた。
そこで私は理解した。
異世界ファンタジーで令嬢モノといえばドロドロがつきものだが、それだけをテーマにする作品は少ない。
そう、イケメンとの恋愛も同時にテーマになるものだ。
「わ、私は男子に慣れていない!」
「はあ……?」
「だから今は魔法をやろう」
「はあ……?」
「今日は起きるまでずっと魔法ね! 早くお手本!」
戸惑っているアルフレッドを立たせて、私は魔法の勉強を再開することにした。
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