第零夜 妃菜

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第零夜 妃菜

 六月下旬―― 「神様、私は小説家になりたいです」  私は鳥咲(とりさき)神社で、手を合わせて祈った。  東京の竹芝桟橋から夜行船で約一〇時間。七〇平方キロメートルの面積を持つ鳥咲島(とりさきじま)は人口二〇〇名程の、昭和の田舎を連想する街並みが残る場所だ。  主な産業は漁業、畜産、農業、観光業で、夏はダイビングや登山を、冬は島内の奥地にある温泉を目当てに観光客が訪れるらしい。  けれども観光名所と居住区がわかれていることから、地元の人以外はまだ見かけていない。  島内には映画館もカラオケもファミレスも一軒もない。私のような女子高生からすれば、『監獄』のようなところ。海路しかないから、一度足を踏み入れたら逃げることもできない。 「神様、どんな努力もすると約束するから私の願いを叶えてください」  背後から優しい風が吹いた。私の胸まである髪の毛先も、紙垂も、揺れている。  晴れやかな気分になった。  人生を変えられる気がする。 「今度は上手くやっていけるよね」  私は右手のブレスレットをいじった。プラスチックの安物だろうが、宝物。赤ん坊のときに道端に捨てられていた私が握っていたそうだ。普段はつけないが、今日は新しい門出だから。  境内を出て、隣にある大きな日本家屋に向かった。  初夏の日差しは強い。腕で額の汗をぬぐい、玄関前に置いたままになっていたスーツケースを持ち上げて、たたきに上がった。  ここは神主さんの家で、今日からお世話になる下宿先だ。 「妃菜(ひな)ちゃん、洋服は足りるかしら?」 「お気遣いありがとうございます。大丈夫です」  神主さんの奥さんは朗らかな雰囲気で三〇代後半くらい。船着き場まで車で迎えにきてくれたときから好印象だ。 「新しい学校に通うのが楽しみ?」 「はい。前の高校には馴染めなかったので、やり直したいです」 「あそこは妃菜ちゃんと同じようにやり直すためにきた女の子ばかりだから、すぐに打ち解けられるわ」 「はい」 「うちの娘も通っているのよ」  タイミングよく玄関が開いた音がして、私はスーツケースを持ったまま振り返った。  制服を着た、ショートボブの小柄な少女だった。 「丁度よかった。奈々子、今日からうちに下宿する妃菜ちゃんよ」  奈々子と呼ばれた彼女は、人見知りなのかモジモジしている。 「は、初めまして。奈々子です」 「妃菜です」 「ふふっ。どちらも高校一年生だから、かしこまらなくていいわよ」  同い年なのか。私が微笑むと、奈々子もはにかんだ笑顔を見せた。  挨拶を終えたところで神主さんの奥さんと一緒に二階に上がった。  私にあてがわれた部屋は六畳ほどの和室で、年季の入った床の間や押し入れがある。家具類は座卓と座布団と布団一式と古いタンスだけ。  窓から差し込む明るい光に誘われて顔を近付けると、この家は高台にあるから海まで見渡せた。  浜辺には大小様々な岩がゴロゴロしている。こちら側は足場が悪くて海水浴に向かないことから、観光客用の浜辺は反対側らしい。 「妃菜ちゃん。さっそくだけどスマホを出してくれる?」  編入手続きの前にルールは説明されていたから、ポケットから出して素直に従った。 「パソコンは?」 「持っていないです」 「離島留学制度でくる子は通信機器の持ち込み禁止なのよ。今の子には辛いかもしれないけど、すぐに慣れるわ」 「連絡を取りたい相手はいないし、問題ありません」  ニッコリ笑うと、神主さんの奥さんは複雑そうな顔をした。  明日から私が通う鳥咲島女子高校は、島内出身の大企業の社長が出資して設立したらしい。  親にネグレクトされたり虐待を受けたりして児童養護施設に預けられた子や、孤児や、非行を繰り返して親が匙を投げた子を、学費と生活費無料で集めて離島留学という形で島民の家に下宿させて通学させる。  『自然豊かな鳥咲島で温かい家庭を与えて自立させる』というコンセプトなのだ。 「あ、制服を取りに行かないとね。奈々子! 妃菜ちゃんを学校に案内してあげて」  廊下で様子を窺っていた奈々子と目が合った。  さっそく案内してもらい、私は鳥咲島女子高校に向かうことになった。 「妃菜ちゃんはどこからきたんですか?」  畑に挟まれた道路を並んで歩いていると、奈々子が話し掛けてきた。 「東京の渋谷区」 「都会ですね。羨ましい!」 「私は鳥咲島のほうが好きだな」  映画や漫画で見る昭和の田舎そのもので、物語の世界に迷い込んだ気持ちになる。 「ここで生まれ育った私には信じられませんが」 「ねえ、奈々子もスマホやパソコンを持っていないの?」 「はい。両親から高校を卒業するまでダメと言われています」 「鳥咲島女子高校って外部からくる子のための学校ってイメージだったけど、地元の子も通うんだね」 「この島には他に高校がないので。まあ今この島の女の子で高校生なのは私だけですけど」 「男の子は?」 「いますけど、本土の寮がある高校に進学してたまにしか帰ってこないです」  そうこうしているうちに校舎が見えてきた。  まだ新しく綺麗で、昭和風な景色の中でどことなく浮いている。  生徒数が少ないからなのか、元々通っていた学校よりコンパクトな三階建てだ。 「四〇人くらいしか通ってないんだっけ?」 「はい。一年生は一四……妃菜ちゃんを入れて一五人です」  校門を抜けて昇降口を目指していると、倉庫の陰から声が聞こえた。 「ブス! 目障りなんだよ」  私は足を止めて、思わず見てしまった。ギャル三人が、地面で縮こまっている子を取り囲んでいる。 「あれって……」  近付こうとした私の腕を奈々子が掴んで、フルフルと首を振った。 「妃菜ちゃん……ダメです……!」 「どうして?」 「あそこにいる金髪の胡桃(くるみ)ちゃんは……その……横浜で恐喝や暴行事件を起こして逮捕されてここに送り込まれた怖い子なのです。目をつけられたら大変ですよ」 「ふーん」  私は『胡桃』とやらを観察した。いかにも都会のすかしたギャルという感じだが、そんなに怖い印象はない。  奈々子が油断して力を抜いた隙に手を振り払って、私は彼女たちに近付いた。 「やめなよ、カッコ悪い」  ギャル三人が一斉に振り返ってこちらを見た。 「誰? あんた」  胡桃は腕を組んで偉そうな態度だ。 「朔理(さくり)妃菜。編入生」 「まだここのルールをわかっていないだろうから大目に見てあげるけど、無事に卒業したいならあたしらを敵に回すのは――」  胡桃が言い終える前に私は動いた。胡桃を挟むように壁に両手のひらを押しつけて、逃げられないようにしてからグイッと顔を寄せた。 「……敵に回したら、何?」  胡桃は私より背が低くて見下ろす形になった。しばし睨み合いになったが、先に折れたのは胡桃だった。私に肩をぶつけて壁ドンから抜け出すと、吐き捨てるように言った。 「やる気が失せた。茉莉、和代、行くよ」 「え、ちょっと!?」 「胡桃、待ってよ!」  子分のギャル二人も追い掛けて去った。残された奈々子も、いじめられていた子も、呆気に取られている。 「大丈夫?」  私はしゃがんで、彼女に手を差し伸べた。 「う、うん……」  彼女が顔を上げた瞬間、長く伸ばした前髪がサラリと斜めに流れて皮膚の半分以上に火傷の跡があるのが見えた。 「ありがとう」  そう言うなり、彼女は逃げ出してしまった。 「妃菜ちゃん無謀です……! どうしてかわからないけど胡桃ちゃんが素直に引き下がってくれたからよかったですが」 「ははは。まあ、ラッキーだったってことで。ところで、いじめられていた子って――」 「あの子は、翼ちゃんです」 「顔に火傷の跡があったね」 「ご両親を火事で亡くしたときにできたそうです。その後は親戚をたらい回しにされて、虐待されていたらしいです」 「そうなんだ」  離島留学で逃げ場がないのに面倒くさそうなギャルに絡まれて、可哀想だと思った。 ◆◆◆  翌朝――  私は一年生の教室で挨拶した。生徒数が少ないから各学年にクラスは一つだけだという。 「朔理妃菜です。鳥咲神社の神主さんのお家に下宿しています」  教壇の前から見渡すと昨日のギャルたちと、猫背で縮こまる翼の姿が見えた。  私の席は廊下側の一番後ろ。ドアを全開にしておけば風が通り抜けるし気持ちよさそうだ。  ギャルたちを除けば皆親切だったが、私はどこかに根付く前に――翼に声を掛けた。 「ねえ、一緒に移動しよ」 「え……?」 「理科室の場所、教えて欲しいし」  この日は常に翼と過ごした。そして一緒に帰っているとき、翼が切り出した。 「あの……朔理さんはどうして――」 「妃菜でいいよ」 「う、うん。妃菜はどうして私を助けてくれるの?」 「うーん。偽善かな?」 「偽善……?」 「中途半端な時期に編入してきた時点で、私が何かやらかしたってわかるよね?」 「……」 「やったことは消せないけど、これからいいことを積み重ねるから神様に許して欲しい」  翼は何も答えなかった。  私たちは真っすぐ下宿先に帰らず、鳥咲神社の境内の木の下に座って色々なことを話した。翼は意外にも饒舌で、自分のことを色々教えてくれた。 「私、小説家になりたいの」  彼女がそう切り出したとき、私は同志に出会った喜びを感じた。 「私も」 「え?」 「実は、小説家になりたいって思っている」 「朔理さん……じゃないや、妃菜は公募に出したりしている?」 「してないよ。だって処女作すらできてないのに。まだ漠然としているの」 「そっか」 「翼はどんな小説を書いているの?」 「異世界の令嬢が王子の花嫁の座を巡って魔法学校でドロドロバトルを繰り広げる物語。『プロダナ・ネヴィスタ』っていうタイトル」 「どういう意味? 英語じゃないよね?」 「チェコ語で『売られた花嫁』って意味だよ。オペラの原題なの」  私は個人的に異世界の令嬢モノが大好きだから、翼の小説にも興味を持った。 「面白そうだね」 「本当にそう思う?」 「うん。読んでみたいよ」  翼は俯いていたが、大きく息を吸ってからパッと顔を上げた。 「じ、実は……小説投稿サイトで公開予定なの!」 「凄い! でも私たちってスマホもパソコンも持てないよね?」 「うん。だから今度こっそり貸してもらうの。倉澤さんっていう……浜辺の傍の空き家に最近引っ越してきたエンジニアさん」 「それ大人の男? 大丈夫なの?」 「うん。曾祖父の代までは鳥咲島に住んでいたんだって」 「変な人でないならいいけど」 「倉澤さんは大丈夫だけど、周りには秘密にしないといけない。妃菜も秘密にしてくれる?」 「もちろん。その代わり早く読ませてね」 「わ、わかった。普段はノートに書いているんだけど、悪戯されたら困るから学校には持って行けなくて」 「大丈夫。明日も私がずっと一緒にいるから。安心して持ってきなよ」  翼は俯いままでさらにコクンと頭を下げた。 「てか、翼って身長高いよね?」 「へ?」 「私と同じくらいかな?」 「一六六センチ」 「私と同じ。背が高いのに猫背で縮こまっていたらもったいなくない?」 「あんまり顔、見られたくないから」  気にしなくていいと言ってあげたかったが、火傷の跡のせいでこれまでどれだけ辛い経験をしたか想像すると、安易に口にはできなかった。
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