3人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
AMNESIA
最初の違和感は、些細なことだった。
最近見た鳥が、番を連れてきた。
最近まであった店が、違う店に変わっていた。
最近流行っていたものが、もう変わっていた。
同じ街を見ていたはずなのに、気づいたら少しずつ変わっていた。
最初は気のせいだと思った。自分が気づいていなかっただけで、その兆しはあったのかもしれない。
自分は他のヒトよりも、時間の流れを感じるのが疎いだけ。そう言い聞かせた。
そうすることでしか、名前以外の記憶が無い……空っぽな自分の自我を、守れないと思ったから。
なにかが変わっていても、それは自分の気のせい。変わってしまっていても、それは気がつかなかった自分の落ち度。
そうやってずっとずっと、塀の上から街を見ていた。
私は目が良かった。
街の中なら誰がどこで、どんな表情をしているのか……口の動きから、どんな会話をしているのかまで見えた。
だからだろう。あの子が私を見ていると気づいた時、少しだけ嬉しかったのは――――。
それから毎日、あの子を目で追うようになった。
だからあの日、私に声をかけてきたことに驚いた。
それまで止まっていた自分の中のなにかが、動き出したようだった。
あの子といるのは、とても楽しかった。
ただ時の流れに身をまかせていた頃より毎日が幸せで、一日の時間が過ぎるのもあっという間だった。
さらに異国の『約束のまじない』をしてから、あの子は以前よりたくさん来てくれるようになった。
楽しかった時間が、もっと楽しくなった。
――――だからだろう……些細な違和感が、どんどん大きくなっていったのは。
あの子は会うたびに、少しずつ変わっていった。
身長や声、髪の長さや身だしなみ。瞬きをする度に少しずつ、少しずつ変わっていった。
変わっていくあの子と、変わらない私。
その違和感が不安に変わる頃、耐えきれなくなった私はとうとう『私をずっと見ていた』ヒトに聞いていた。
「……わ、私は一体、なんなんですか?」
私は、私を知りたい一方で。
「アナタたちは変わるのに……どうして私だけ、何も変わらないの……? 私は一体、誰なの……?」
私は……私を知りたくなかった。
「……貴女は『アムネシア』。魔族から人類を救う希望であり――『自身の記憶を代償に力を得る忘却魔導兵器です」
そこでようやく、私は理解した。
私は忘却魔導兵器と呼ばれる古代アーティファクトで、そもそもヒトではなかったのだ。
「……どうりで、周りと時間の流れが違うわけだわ……」
私をずっと監視していたヒトは言った。
忘却魔導兵器は力を使うと、反動で長い眠りにつく。だから全ての忘却魔導兵器が眠ってしまわないよう、順番に役目を与えるのだと。
私が力を使って眠ったら、他の忘却魔導兵器が世界を守る。逆に他の忘却魔導兵器が眠ったら、私が世界を守る。
そうやって、世界は守られてきたのだと。
「貴女に干渉しなかったのは、貴女にできるだけ多くの記憶を持ってもらうためです。記憶が多ければ多いほど、貴女の力は強くなる。とくに貴女自信……『忘れたくないほど大切な記憶』ならなおさらです」
「……そうやって、過去の私はみんな……記憶を失くしたのですか?」
「そうです」
「今の私も……力を使ったら、全て忘れるの……?」
「そうです」
「あの子と過ごした時間も、記憶も……全部、忘れて……」
「そうです」
「その後、何年も眠って……」
「……そうです」
逃げたかった。
世界よりも、役目よりも。今の私が持っている、あの子と過ごしたこの大切な記憶を……思い出を優先したかった。
――――けれど、現実は非情だった。
忘却魔導兵器が役目をまっとうできないと判断された場合、強制的に自我をなくして力を行使させるのだと。
つまり、私に残された選択肢は二つ。
『自分の意思で記憶を失う』
『他者の介入で記憶を失う』
「どうして……どうしてよりによって、記憶なのよ……」
あの子に会いたい……。
あの子に会って、それで……。
「ねぇ……もし私が私じゃなくなったら、アナタはどうする?」
あの子にあったところで、私は真実を言えなかった。
もし私が忘却魔導兵器で、ヒトじゃないということを知ったら……『拒絶されるのでは?』という不安と恐怖が、言葉を飲み込ませた。
「記憶をなくしても、ネアはネアだよ。ネアが記憶をなくしても、自分がネアを忘れないかぎり……自分の大好きなネアに、なんの変わりはないよ」
――――その言葉で、私は決意した。
『私』としてあの子と最後の別れ……あの子は、私に「またね」って言ってくれた。
『私』はもう『私』としてあの子に会えない……だからこれは、『私』の最期の悪あがき。
「大好きよ、――――」
ありがとう――――顔も名前も知らないアナタ。
きっと、次の『私』が伝えてくれる。
だから――――。
バイバイ。
最初のコメントを投稿しよう!