AMNESIA

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AMNESIA

 最初の違和感は、些細なことだった。  最近見た鳥が、(つがい)を連れてきた。  最近まであった店が、違う店に変わっていた。  最近流行っていたものが、もう変わっていた。  同じ街を見ていたはずなのに、気づいたら少しずつ変わっていた。  最初は気のせいだと思った。自分が気づいていなかっただけで、その兆しはあったのかもしれない。  自分は他のヒトよりも、時間の流れを感じるのが疎いだけ。そう言い聞かせた。  そうすることでしか、名前以外の記憶が無い……空っぽな自分の自我を、守れないと思ったから。  なにかが変わっていても、それは自分の気のせい。変わってしまっていても、それは気がつかなかった自分の落ち度。  そうやってずっとずっと、塀の上から街を見ていた。  私は目が良かった。  街の中なら誰がどこで、どんな表情をしているのか……口の動きから、どんな会話をしているのかまで見えた。  だからだろう。あの子が私を見ていると気づいた時、少しだけ嬉しかったのは――――。  それから毎日、あの子を目で追うようになった。  だからあの日、私に声をかけてきたことに驚いた。  それまで止まっていた自分の中のなにかが、動き出したようだった。  あの子といるのは、とても楽しかった。  ただ時の流れに身をまかせていた頃より毎日が幸せで、一日の時間が過ぎるのもあっという間だった。  さらに異国の『約束のまじない』をしてから、あの子は以前よりたくさん来てくれるようになった。  楽しかった時間が、もっと楽しくなった。  ――――だからだろう……些細な違和感が、どんどん大きくなっていったのは。  あの子は会うたびに、少しずつ変わっていった。  身長や声、髪の長さや身だしなみ。瞬きをする度に少しずつ、少しずつ変わっていった。  変わっていくあの子と、変わらない私。  その違和感が不安に変わる頃、耐えきれなくなった私はとうとう『私をずっと見ていた』ヒトに聞いていた。 「……わ、私は一体、なんなんですか?」  私は、私を知りたい一方で。 「アナタ()()は変わるのに……どうして私だけ、何も変わらないの……? 私は一体、誰なの……?」  私は……私を知りたくなかった。 「……貴女は『アムネシア』。魔族から人類を救う希望であり――『自身の記憶を代償に力を得る忘却魔導兵器(オルビドシリーズ)です」  そこでようやく、私は理解した。  私は忘却魔導兵器(オルビドシリーズ)と呼ばれる古代アーティファクトで、そもそもヒトではなかったのだ。 「……どうりで、周りと時間の流れが違うわけだわ……」  私をずっと監視していたヒトは言った。  忘却魔導兵器(オルビドシリーズ)は力を使うと、反動で長い眠りにつく。だから全ての忘却魔導兵器(オルビドシリーズ)が眠ってしまわないよう、順番に役目を与えるのだと。  私が力を使って眠ったら、他の忘却魔導兵器(オルビドシリーズ)が世界を守る。逆に他の忘却魔導兵器(オルビドシリーズ)が眠ったら、私が世界を守る。  そうやって、世界は守られてきたのだと。 「貴女に干渉しなかったのは、貴女にできるだけ多くの記憶を持ってもらうためです。記憶が多ければ多いほど、貴女の力は強くなる。とくに貴女自信……『忘れたくないほど大切な記憶』ならなおさらです」 「……そうやって、過去の私はみんな……記憶を失くしたのですか?」 「そうです」 「今の私も……力を使ったら、全て忘れるの……?」 「そうです」 「あの子と過ごした時間も、記憶も……全部、忘れて……」 「そうです」 「その後、何年も眠って……」 「……そうです」  逃げたかった。  世界よりも、役目よりも。今の私が持っている、あの子と過ごしたこの大切な記憶を……思い出を優先したかった。  ――――けれど、現実は非情だった。  忘却魔導兵器(オルビドシリーズ)が役目をまっとうできないと判断された場合、強制的に自我をなくして力を行使させるのだと。  つまり、私に残された選択肢は二つ。 『自分の意思で記憶を失う』 『他者の介入で記憶を失う』 「どうして……どうしてよりによって、記憶なのよ……」  あの子に会いたい……。  あの子に会って、それで……。 「ねぇ……もし私が私じゃなくなったら、アナタはどうする?」  あの子にあったところで、私は真実を言えなかった。  もし私が忘却魔導兵器(オルビドシリーズ)で、ヒトじゃないということを知ったら……『拒絶されるのでは?』という不安と恐怖が、言葉を飲み込ませた。 「記憶をなくしても、ネアはネアだよ。ネアが記憶をなくしても、自分がネアを忘れないかぎり……自分の大好きなネアに、なんの変わりはないよ」  ――――その言葉で、私は決意した。 『私』としてあの子と最後の別れ……あの子は、私に「またね」って言ってくれた。 『私』はもう『私』としてあの子に会えない……だからこれは、『私』の最期の悪あがき。 「大好きよ、――――」  ありがとう――――顔も名前も知らないアナタ。  きっと、次の『私』が伝えてくれる。  だから――――。  バイバイ。
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