ミナソコに沈む

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 車に戻ってスマホをつけると、事故のニュースが飛び込んできた。  市街に出る途中の道が交通事故により通行止めとなっているらしい。車何台も絡んだ大事故で、道が通れるようにはしばらくかかりそうだ。  まともに迂回できるルートはない。ある程度雪が解けてきたとはいえ、この辺りは春先にずっと外にいられるような場所ではない。  道が通れるようになるまでどこかで時間をつぶす必要がある。この辺りでそんな場所の選択肢はほとんどない。少しばかり気は進まない場所だけど。  車で山道を縫うように進むこと30分、小さな村に辿り着く。  新芦倉村――先程の湖の下流部分に位置する村だけど、規則的に並んだ建物はどれも新しい。  建物と同じように傷一つない道を進むと、村の中心付近のところにある落ち着いた雰囲気の村役場に辿り着いた。村役場の一階は資料館として休日も解放されている。受付に一礼をして中に入ると、驚いたような視線を返された。資料館には僕以外の人はいないようだった。  ここでは村の歴史を伝える古文書などが展示されている。そのほとんどが水害に関するものだった。村の傍を流れていた神竜川は急峻な谷に周囲の山から湧き出した水が集まって流れていく川で、遥か昔から大雨が降ると度々洪水を起こしてきた。  さらに進んでいくと、かつて村に存在していた小学校と中学校に関する展示が続く。今は統廃合で隣町と一つになってしまった学校の歴史と共に、各年の卒業文集が手に取れるようになっていた。個人情報とかの観点で色々うるさそうだけど大らかだなと思いながら、15年前の中学校の卒業文集を手に取ってみる。 「……あれ?」  思わず声が漏れた。15年前――僕が芦倉中学校を卒業した時の卒業文集だ。表紙にも生徒の名前にも見覚えがある。それなのに、僕の名前がなかった。名簿や文書だけでなく、記載から丁寧に僕の記載が削ぎ落されている。3年間遡った小学校の文集も同じだった。近くに展示してある村の祭や行事の写真を見ても、僕の姿を見つけることは出来なかった。  幼馴染と写っていたはずの写真にも、僕の存在だけが消えていた。 ――まるで僕がこの村にいたという記憶が、根こそぎ消し去られたようだった。  それまで僕の足音しかなかった資料館に、カツンと足音が響いた。僕の位置が分かっているかのようにカツンカツンと足音は近づいてくる。 「尚也。お前何しに帰ってきた」  振り返ると、片手に杖を突いた老人の姿。さっきまで見ていた村の歴史の写真のあちこちで見た顔だった。 「ご無沙汰してます。村長」  会釈をしてみても村長は表情一つ変えずに僕をじっと見ている。僕が物心ついたころどころか生まれたから村長をしていて、もう何期務めているかもよく知らない。 「ここはもう、お前が帰ってきていい場所じゃねえ」 「……そうみたいですね」  この村に僕がいた証拠が根こそぎ消し去られていた。誰も気づかないような文集や写真を全て差し替えるなんて尋常じゃない。 「わかったら、早く帰れ」  それだけ言うと村長は僕に背を向けてカツンカツンという音をたてながら離れていく。 「言っとくがこれは忠告じゃあねえぞ」  途中で足を止めた村長が振り返ることなく語り掛けてくる。 「警告だ」  その声は老いを感じさせない重く鋭さ。その響きに改めて僕という存在がこの村にとって異質――いや、異物になってしまったのだと思い知らされる。 「それは、痛み入ります」  村長は僅かに首を動かすと、今度は足を止める事無く資料館から出ていった。その背中を見送ってからスマホを取り出してみる。交通情報を確認すると、件の事故が起きた道路は一車線の交互通行が始まったようだった。  思ったより早い。まだ渋滞しているだろうが、村長の言葉を素直に聞き入れて早めに村を出た方がよさそうだ。  そう考えた直後、資料館の外がガヤガヤと喧しくなり、パンっと何かが弾ける音がした。
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