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資料館の外に出ると、僕が乗ってきた車を3人の男が囲んでいた。どの顔も記憶の果ての方に見覚えがある。僕が出てきたことに気づくと男たちが顔を上げた。皆、一様に爬虫類のような無表情をしている。その手には農具や山仕事の道具を武器の世に握りしめていた。
「よう、よく帰ってこれたの。尚也」
男たちがにじり寄っている。その瞳は鈍く濁っていて、こちらへの敵意を隠そうともいていない。車の方を見ると、どうやらタイヤはパンクしているようだった。何があったか想像するまでもない。
「貴方達がやってることは犯罪だ」
じりっと男たちが更に近づいてくる。後ずさりするが、後ろには資料館がある。思い扉を開けて中に逃げ込む時間を男たちは許してくれないだろう。
「犯罪? ああ、そうかもな」
男たちとの距離はもう3m程だ。男たちの手に力が込められたように見える。手に持つ道具の刃先がギラギラと鈍く光った。
「お前が消しちまったものに比べたら、お前ひとり消えるくらいなんだってんだ」
わかっていたけど、男たちは本気だ。僕には武術の心得もなければ、体力だって自信はないけど、黙ってやられるつもりはない。じりじりと後ずさりながら、足に力を込めて機会をうかがう。
そろそろ――そんな覚悟を決めたときに、男たちの一人が怪訝な顔で周囲を見渡した。
遠くからエンジン音が響いてくる。
その直後、ブラウンの車体の軽自動車が資料館の駐車場に飛び込んできた。クラクションを連続で鳴らしながら、ドリフトするように僕と男たちの間を塞ぐように走り込んでくる。
運転席の窓からは僕と同い年くらいの女性が見えた。僕の目の前で車を停めた女性は、怖いくらいの形相で僕の方を向く。それはとても――とてつもなく懐かしい顔だった。
「乗って!」
文字通り、親の声より聞いた声だった。その声に弾かれるように後部座席に乗り込むと、虚を突かれたように唖然としている男たちを置き去りにして走り出す。
細い道を右に左に加速しながら走っていき、すぐに男たちの姿は見えなくなった。当面の危機は去ったようでほっと息をつく。
「ありがとう、里依紗。助かったよ」
運転席にいたのは幼馴染の里依紗だった。幼馴染というより、半分家族みたいなものかもしれない。生まれた頃に母親を失った僕がこの村で暮らしていた頃、隣に住んでいた里依紗の両親は僕を家族のように面倒を見てくれた。同い年だった里依紗と僕は兄妹のように同じ時を暮らしてきた。そのおかげで、幼い頃も殆ど寂しいと思った記憶はない。
「……別に」
お礼を伝えてみても、バックミラー越しに見える里依紗の表情は変わらない。僕が知っているかつての里依紗よりもずっと険しい顔をしている。
それはそうか。僕はこの村にとってしてみれば異物だ。助けてくれたとはいえ、昔のような関係でというのは無理なのだろう。仕方ない。僕はこの手でそれだけのことをした。
「えっと。どこに向かってるの?」
車はどんどんと村の外の方へと向かっていく。
「今、村の中では尚也が帰ってきたってことが知れ渡ってる。だから、少しほとぼりを覚ます」
里依紗は村の外に出ると、僕がここまで来た道を辿る様に車を走らせる。このままどこかに連れていかれてしまうようなことも考えたけど、里依紗に限ってそんなことはしないだろう。
――あるいは里依紗なら、仕方ないと諦められるだろうか。
埒もないことを考えかけて、首を振る。今は他に考えることがある。僕がここまで乗ってきた車はパンクして走れるような状態じゃないだろうけど、この村に留まっているのも危ないとわかった。だけど、まさか里依紗に東京まで送ってもらうわけにもいかない。
考えることはそれだけじゃなくて。
「それにしても。僕がいること、いつの間に知れ渡っただろう」
僕だって自分が村の中でどのように扱われているか薄々知っているつもりだから、誰にも言わずにこっそり立ち寄ったつもりだたけど。僕の疑問に里依紗は嘆息で返した。
「資料館の受付の子が『尚也が来た』ってことを村長に伝えるときに数人に伝わって。その数人からまた別の数人に。この狭い村ならそれで十分だし、その流れの中で私の耳にも入ってきた」
迂闊だった。仕事柄か、いつの間にか守秘義務みたいなものが身体に染みついてしまっていたらしい。人から人への伝聞というのは、コミュニティが密なほど早い。この新芦倉村では、僕が資料館にいた僅かな時間で十分だったんだろう。
「それで、どうして戻ってきたの? 歓迎されない事くらいわかってたでしょ?」
「手荒な歓迎は受けたけどね」
バックミラー越しに里依紗の鋭い視線が跳んでくる。
「笑い事じゃない、死にかけたのよ。私が役場勤めだからすぐに情報が入ってきて、どうにかなったけど、そうじゃなかったら……」
そういえば、里依紗は大学を卒業してから村役場に勤めている。併任のような形で資料館でも働いていると聞いたから、そういった伝手もあって早く情報が伝わったのかもしれない。
「ねえ、尚也」
「……墓参りだよ。母さんの」
里依紗から返事はなかった。そのまま里依紗は無言で車を走らせ続けて、やがてたどり着いたのはさっき僕がいたよりもさらに高いところから湖を見下ろせる展望地だった。
数台分設けられた駐車場に車を停めて外に出た里依紗の後に続く。少し傾いた日を反射させる湖は、変わらず世界をキラキラと映し出している。その展望地には、一つの真新しい看板があった。
『芦倉村跡地』
眼下の“ダム湖”のさらにその底には、僕や里依紗が生まれ育った芦倉村が沈んでいる。
芦倉村の中心を流れていた神竜川は暴れ川で、数年に一度、洪水で村に少なくない被害をもたらしていた。それは村だけではなく下流の町々にも被害を及ぼしていた。治水と利水を兼ねた複合ダムを建設する案は僕らが生まれる前からあったらしい。
数年前からその建設の流れが本格化して、その建設地は川の両岸が山で狭まるところに位置していた芦倉村に決まった。
そうしてダムが完成したのは1年前。芦倉村に住んでいた人々は山の麓に移住地として設けられた新芦倉村に移り住むこととなった。
「ねえ、尚也」
展望地からじっとダム湖を見下ろしていた里依紗が口を開く。
僕の方を見た里依紗の顔には幾重にも表情が塗り重なっていて、何を思っているかは読み取れなかった。
「尚也がこの村を消したのは、お母さんの復讐のためなの?」
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