かのプレイボーイに寄せて

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世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし ホントそれ。マジでそれ。 麗らかな午後、桜舞い散る公園、そして人。人人ヒト! 繰り広げられるどんちゃん騒ぎ、ゴミの散乱、酔っ払いの横暴… 今すぐ立ち去りたいのにそうしないのは、私がお花見の警備員だからに他ならない。割のいいバイトだと思ったのに、騙された。 数日前、私をクビにした上司の顔が脳裏に浮かぶ。今日、何度目かのため息がもれる。 「おい!そこおれの場所だろうがよお!」 「はあ?私たちが先に来たんだけどー」 ああもう、またか。乱闘の予感。レジャーシートの間を縫って近づく。 「はいはい、落ち着いてくださ…」 「ああん?」 おっと、こいつ酒飲んでやがる。飲酒禁止って貼り紙は、案の定意味をなしていない。 この程度で怯む私じゃないけど、実力行使に出られるとまずいな…なんて思いながら口を開きかけたとき。 「野上さん。代わるよ」 振り返ると、同じ警備員の制服が目に入る。夏井さん。穏やかで恰幅のいいおじさんだ。 任せるとしよう。 「お願いします」 お役御免の私は足早にその場を去る。レジャーシートを迂回しながら、どれだけ歩いただろう。駐車場の見回りに行こうと思ったのだけど、どうやら道に迷ったらしい。 広いとは言え公園内、なぜ迷うのかなんてことは気にしちゃいけない。私の方向音痴はギネスレベルだ。 警備員のくせに格好悪いけれど、誰かに聞くか…そう、辺りを見回して、私ははたと動きを止めた。 誰もいない。 そんなに遠くまで来ただろうか。もしくは超穴場スポットを見つけたか。 満開の桜は、レジャーシートに足元を固められることなく、気持ちよさげに花びらを舞わせていた。 風が心地いい。 ほんの少しだけ、ここでサボってしまおうか。 うん。実際道に迷ったんだから、許されるはず。不可抗力。 ちょうどいい平石を見つけて、腰を下ろす。ふぅっと、思わず息を吐いたときだった。 「こんにちは。」 ひぃっ!反射的に立ち上がる。 飛び込んできたのは、私と同じか、少し年上に見える青年。その服装は、なぜか着物だった。手にはとっくり。白いほおには、赤みがさしていた。飲酒禁止、じゃなくて。 「えっと…いえ、これは休憩中なので…決して職務怠慢とかでは…」 きょとんと、青年が首を傾げる。 ですよね。ごめんなさい。顔が熱くなるのを感じながら、無理矢理言葉をつなげる。 「……駐車場はどちらでしょうか?」 「ちゅうしゃじょう?中書省のことかな?だったら唐にあるって聞くけど?」 いや、なんの話?意味不明。 「そんなことよりきみ、見慣れない着物だね。かわいい」 は⁉︎ にこり、と微笑んで、青年は一歩こちらへ近づく。 「きみも宴を抜け出してきたの?」 宴…?言われるままに耳を澄ますと、遠くに祭囃子のような音がした。お花見イベントの一環で、どこかの楽団を呼んだのだろう。 「どうしても性に合わないんだよね。ああいう、堅苦しいの」 青年の整った顔に、ふと自嘲ぎみた笑みが浮かぶ。思わず眉を顰めた。 「堅苦しい?どこがですか?あんな騒がしい…」 「堅苦しいよ。それに窮屈だ。上には逆らえないしさ。媚び売るとか、ガラじゃないし」 ああ、なるほど。会社でお花見兼飲み会でもしてたんだろう。苦い記憶が蘇る。 「…それはわかります。私の元上司も、ほんとクズだったんで」 青年が、驚いたように顔を上げた。 「そんなこと、言っていいの?」 「クビになりましたから」 「クビ⁉︎きみ、生きてるよね?」 何言ってるんだ、この人は。  「比喩に決まってるじゃないですか。会社を追い出されたってことです」 元上司のクズさ加減なら、いくらでも語れる。親が社長だからって大して能力もないのに威張り散らし、仕事もミスも部下に押し付ける。 「後ろ盾がなければ何にもできないくせに、口だけは達者なんですよね。ちょっと反発したらクビにされました」 一息に吐き捨てて青年を見ると、わかりやすくぽかんとしていた。 反省。初対面の人に八つ当たりしてしまった。 私も相当ストレスが溜まってたらしい。 「反発…したの?平気なの?きみ女の子だよね?」 「それ、女性差別ですよ。まあ反発というか…仕事押し付けられそうになったんで、きっぱり断っただけです。断られたの初めてだったみたいで、顔を真っ赤にしてましたけど」 何かおかしなことを言っただろうか。青年は固まったまま動かない。 数秒ののち、ふはっと吹き出した。 「あっはははは!きみ、すごいね?ふふ、はは…」 すごい?そんなわけがない。結果クビにされて路頭に迷っているのだから。給料はよかったんだから、馬鹿なことをしたと、あれから何度言われたかわからない。 後悔はしていない。したくない。 でも、そう言われるたびに揺れ動く感情は、どうにも制御できなくて。 「はー、笑った。宴サボってきてよかったよ。酒、飲む?」 自分もぐいっと酒を煽りながら、とっくりを差し出してくる。 「いえ。職務中なので」 「職務中!あっははは、職務中かー!ははは…」 説得力のかけらもないけど、一応けじめだ。 それにしてもこの人、笑い上戸かもしれない。笑いすぎだと突っ込みながら、思う。 きっと私は、誰かにこうやって笑い飛ばして欲しかったんだろう。 ザザあっと、一際強い風が、桜を舞い上げた。綺麗だ。素直にそう思えたのは、いつぶりだろうか。 「ねえ。ねえってば」 くいっと袖を引かれて、はっとする。 「すみません。どうしましたか」 やっと笑いが収まったらしい青年は、少し不服そうに唇を尖らせていた。 目が合うと、ゆったりと微笑む。自分の見せ方をよくわかっている、計算された微笑み。たくさんの女性を虜にしてきたんだろうな、そう推測させる微笑み。 その薄い唇がかすかに動く。 「きみは………」 ザザザアアアアッ それは、一瞬だった。狂ったように舞いあがった桜の花びらは、薄桃色のヴェールとなって、青年を覆い隠す。 思わず閉じていた目を開けたとき、そこに青年の姿はなかった。祭囃子の音もない。ぱちぱちと、私はまばたきを繰り返した。 「えー、お次は…」 「わっはははは!」 「ちょっとそれとってー」 所狭しと敷かれたレジャーシート、紛れもない、お花見の喧騒。 「あ、いた!野上さん!探したよ」 駆け寄ってくるのは、夏井さんだ。太いタレ眉が、心配そうに下がっている。無意識に、ふっと息を吐く。 「すみません。道に迷ってしまって」 なんとなく、明日からの就活も頑張れそうだった。 *** 「業平殿。どこにおられたのです」 「申し訳ございません。道に迷ってしまって」 管弦の音が、ゆったりと響く。睨んでくる上司は、もう目に入らない。 異国の着物を纏った、利発な少女。仙女か、妖か。 また、会えるだろうか。次はもっと長く話せるだろうか。どこまでも掴みどころのない、それゆえに掻き立てられる感情は、まるで。 「お詫びに一句、詠ませていただいても?」 頷く上に微笑みかけて、業平は空を仰ぐ。 「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」 在原業平 (世の中に、美しい桜のようなあなたがいなければ、いつ散ってしまう(いなくなってしまう)のか、いつ咲く(会える)のかと思い乱れることもなく、春の私の心はのどかであっただろうになあ)
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