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「はい、この前はどうも」
言葉少なく、幸太は小さく会釈する。
目の前にいる美しい女性は、何を思って自分に声を掛けて来たのか?自分に何を求めるつもりなのか?――。
自分に対して微笑んで語り掛けて来る女性を前に、幸太は舞い上がる事もなく、寧ろ疑問に思った。
そんな幸太の心情を見透かすように女性はなめまかしい微笑を浮かべる。
「ふふふ、何か警戒されてるのかな?それとも喋り掛けちゃ迷惑だった?だとしたらごめんね。君さ、この前も今も、いつ出会っても負の感情に覆われてる様な気がしてさ」
そう言って女性は笑みを浮かべながら幸太を観察するように見つめていた。幸太はこの時、ある事に気付く。
『この人、笑ってる様に見えて目が笑ってない』
幸太はずっと感じていた女性に対する違和感を理解した。初めこそ目尻を下げ、満面の笑みを見せていたが、何時しか笑みを浮かべているのは口元だけで、その目は幸太の心を見据えている様だった。
「あ、すいません。別に警戒してるとかじゃないんですけど……確かに今、色々しんどくて負のオーラまとってるかもしれませんね」
幸太は自虐的に笑って言ったつもりだったが女性は変わらない笑みを浮かべたままだった。
「……そっか。君、あそこで働いてるのかな?」
そう言って女性は幸太の背後にある海の家を指さした。
「ああ、そうですよ。良かったら何か食べ――」
幸太が振り向きながら女性に話し掛けている最中、突然背中に衝撃が走った。思わず前に仰け反る様に幸太がバランスを崩す。
「えっ?何?」
「あは、ごめんごめん。虫がいたから追い払おうとしたんだけど距離感がつかめてなかったみたい。ごめんね、痛かった?」
幸太は戸惑いの表情を見せるが、女性が笑って謝罪していた。女性曰く、幸太の背中に虫がいたので払おうとして幸太の背中を叩いてしまったようだ。今は満面の笑みを見せる女性を見て、幸太も笑みを浮かべた。
「あ、いえ、そんなに痛くはなかったです。どうです?ドリンクぐらいはサービスしますよ」
「なるほどね……そうやって女性を誘い込むのが君の手口?」
「あ、いや、そんなつもりじゃなくて――」
慌てて弁明しようとする幸太を見て、女性は澱みのない笑顔を見せる。
「ふふふ、冗談よ。それに私から喋り掛けたんだから君の手口も何もないわよね」
「あ、いや、はい。あっ、そうだ名前教えてもらえませんか?俺は倉井幸太、二十一歳、大学生です」
「ふふ、鬼龍叶。歳は倉井君より私の方が一つ上ね。よろしく」
また口端を上げて、口元にだけ笑みを浮かべて叶は幸太を見つめる。幸太は戸惑いながらも叶を促す。
「よろしくお願いします。あ、どうしますか叶さん?本当にドリンクぐらいなら――」
そこまで話し掛けた時、叶が遮る様に幸太の前に顔をすっと近付ける。突然の事に驚いていると、叶はニヤリと笑った。
「倉井君。君のご厚意は有り難いし、少し休憩出来るなら嬉しいんだけど、私、下の名前で呼び合うのはもっと近しい間柄じゃないと嫌なの。私の言ってる事分かるよね、倉井君?」
「あ、す、すいません鬼龍さん。ちょっと調子に乗ってました」
「ふふふ、別に君が調子に乗ってたとは思ってないわよ。だから謝らなくていいからさ。さてとそろそろ倉井君のバイト先に行きましょ」
「あ、ちょっと、案内しますから」
さっさと歩き出した叶を幸太が慌てて追いかける。
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