9人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
1
「奈緒。これば持っていかんね」
あかぎれで腫れたばぁちゃんの手から差し出されたのは、アルミホイルにくるまれた、やさしい重み。両手に少し余るくらいの、あたたかな銀のかたまり。
「ありがと」
湿った声が出て、慌てて咳払いする。別にお腹は空いていないけど、せっかく用意してくれたのだ。ありがたく受け取り、実家をあとにした。
私が他県に転勤することになって、一人暮らしを始めたのは二年前のこと。
田舎から出られる! やっと実家を離れられる──!
嬉しくて夜通し遊びまわり、飲み歩いたのは最初だけだった。転勤先の人間関係こそ上手くいってはいたものの、仕事内容は超絶ハード。仕事の日は朝ギリギリまで寝て、日付が変わってから家に帰る。休日は疲れて何もする気が起きず、夕方まで寝て過ごす日々。華の二十代前半、これでいいのか。すべてを仕事に捧げているはずなのにミスやクレームが増え、あんなに好きだった販売という仕事にすっかり自信を無くしてしまっていた。
目が覚めたら朝だった。トイレに行きたいけど起き上がる気力が出なくて、枕元のスマホを手に取る。恒例の父からの「生きとるか?」のメールに「生きとる」とだけ返そうとして、気が変わった。通話ボタンを押す。
「もしもし? 奈緒か?」
「うん。今からそっち帰るけん」
「そうか」
「じゃあよろしく」
相変わらずの父娘の会話だったけど、話したのは二年ぶりかもしれない、と思う。車で二時間半で帰れる距離ではあっても、転勤して以来、私は実家に帰らなかった。仲は悪くはないし、特別良くもない。新しい職場と生活でいっぱいいっぱいで、実家の存在が頭から抜けていた、というのが近いだろう。
今から私は実家に行く。「ふんっ」と足で布団を蹴り上げて、勢いをつけて起き上がる。昨日食べたコンビニ弁当の空箱をざっとテーブルの端に寄せて、洗った顔に化粧を施し、服を着替えて車に乗った。いざ、実家へ。父と、ばぁちゃんがいる家へ。
帰っても何をするでも何を話すでもない。父、ばぁちゃん、私の三人は、寒がりのばぁちゃんが片付けたがらないコタツを真ん中にしてただただテレビを観ていた。
「このアイドル、女優のNの娘やったよなぁ」
「え? 歌手のRの娘さんじゃない?」
「あぁ、そうかもしれん」
「このタレントさん、こがん歳とっとったかいね?」
「老けたよなぁ」
「それだけうちらだって平等に歳取っとるさ」
言ったあと、ふと父とばぁちゃんに目線を投げる。二人とも変わっていないようにも見えるし、老け込んだようにも見える。あんまりまじまじと観察するわけにもいかないから、手元のスマホに目線を落とした。
仕事はどうだ。一人暮らしはどうだ。
その手のことを聞かれると、自分の中の何かが崩れ落ちてしまいそうだ、と案じていたけれど、要らぬ心配だった。実家に着いて三時間。職場のグループラインが騒がしい。あのお客さんのこれはどうなってるのか、売り上げがどうだ、単価がどうの。
私は帰ることにした。このグループラインの騒動を見るに、明日からまた忙しいだろう。今日は帰って早めに休んだほうがよさそうだ。するとばぁちゃんが「ちょっと待ちなさい」と言って台所でごそごそ。「ちゃんと食べとらんやろう」と、アルミホイルの包みをくれた。
最初のコメントを投稿しよう!