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だが、角を曲がり美波の家が視界に入ると同時に俺のスニーカーが止まる。
家の前に【忌中提灯】が提げられていたからだ。美波はひとりっ子。両親と三人で住んでいるはず。叔父さんか叔母さんが亡くなったんだろうか?
「なあ美波、これは、どう……」
隣に立っているはずの彼女に声をかける。だが、そこには誰の姿もない。
美波が消えた。まさか……。嫌な予感を胸に、俺は喪服姿で忙しく行き交う人を尻目に開いている玄関先に立った。
すると、廊下にいる叔母さんと目が合う。彼女はスリッパを鳴らし、こちらに小走りできた。
「まさか、真司君?」
「はい、お久しぶりです」
「本当に、立派になって、美波が待ってるわ。さあ、上がって」
美波が待っている。鼓動が狂ったように暴れてやがる。靴を脱ぎ、叔母さんの後に続いて和室に入る。室内は菊や百合に混じり線香の匂いで充満していた。
八畳のふた間続き。室内でも喪服の人が動いている。俺は奥の部屋に目をやった。恐る恐る爪先を進める。
無数の花の向こうにその人はいた。白い盛り上がった布団。上に乗せらた守り刀。
「美波、真司君が東京から会いにきてくれたよ」
叔母さんが顔にかけられた純白の布を外す。
「あっ……」
瞬間、酷い目眩に襲われ膝がくの字に曲がる。尻が折れたふくらはぎにストンッと乗り自然と正座姿勢になった。
今日はエイプリルフール。
「嘘……だろ?」
寒い。全身が震えて止まらない。
「美波、なんでこんなとこで寝てんだよ?」
『ガハハハッ!』頭に響く笑顔と笑い声。さっきまで笑ってたじゃねーか?アレは嘘か?俺が見た都合の良い幻だったのか?
「答えろ、美波!」
俺は彼女に手を伸ばし頬に触れた。指先が……。
「冷たい……氷みたいに冷てぇよっ!」
ほら、嘘だったじゃねーか!エイプリルフールなんて誰が考えた?ろくなもんじゃねぇっ!
「真司」
肩を叩かれて振り向く。背後には喪服姿の時宗が立っていた。
通夜は十八時から、まだ二時間もある。俺と時宗は公園まで歩いた。
「まさか本当だったなんてな……」
ベンチに座り、ポツリ呟く俺。隣から声が聞こえた。
「何が?」
「美波が死んだって、エイプリルフールだから嘘かと思ってた」
「嘘なんかつかないよ。それに僕がお前に連絡したのはエイプリルフールじゃない。前日の三十一日だ」
「あっ……」
前髪をクシャッと掴む。俺はさっきまでこの場所で誰と会話してたんだ?頭が混乱して分からねぇよ。
「だよな、そうだよな」
「なあ、真司」
「なんだ?」
「今さら遅いかも知れないが、僕と美波は付き合ってなんかいなかったよ」
前髪を掴んだ手が静止した。
「なんで今さら……どうしてもっと早く……」
「何度も言おうとした。だけど、美波に止められたんだ。河村と付き合ってるお前に余計なことを言うなって」
「あいつ……」
ギリリと奥歯を噛む。
「美波は意地っ張りだったから。最後まで本当の気持ちが言えなかったんだよ」
「本当の気持ち?」
「そう、美波はお前が大好きだった」
さっきまで話してた彼女が浮かぶ。もしかして、あれは……。
「最後に、この事実をお前に伝えたかった」
どこからか熱い何かが込み上げてくる。俯いたらジーンズの太腿に涙が落下した。
「奇遇だな、俺も……」
ダメだ、止まらねぇ!
「アイツと同じだ……」
『私だけ幸せでごめん。自分勝手でごめんなさい』
美波の声が胸に響く。
勢いよく吹き上げる変わらない噴水。四月の、まだ寒い空気を絶叫が切り裂いた。
「うわああああああーーーっ!!!」
嘘をついた自分が憎い!嘘さえつかなければ!
頭を抱えて狂ったように振り続けた。
それからは、どうなったのか記憶が飛んで分からない。ただ、気がついた時、背中が妙に温かかった。時宗がずっと背中を摩っていてくれたんだ。
時宗は現実に戻った俺にこう言った。
「泣きやんだら二人で美波の側にいてやろう。あいつは寂しがりやだから」
その晩、俺と時宗は、ずっとぼんやり美波の眠ってるような死に顔を眺めていた。
もし、彼女が両目を開いて『嘘でした』って悪戯っ子みたいに舌を出したら俺は怒るだろうか?そんなバカなことを考えてみる。
でも、その答えは簡単だ。俺の台詞はただ一つしかないから。
『真波が好きだ』
迷わず、真顔で、俺は告白するだろう。
エイプリルフールなんて関係ない。午前も午後も変わらない。それだけが真実。
『ガハハハッ!』
記憶の中で、彼女はバナナミルクを片手に笑っている。その笑顔……。
ずっと永遠に笑っててくれよ。会いに行くから。
一ミリもハズレない、俺の心のど真ん中へ……。
エイプリルフール、俺は二度と嘘はつかない。
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