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伊多と鉄塔
子供の頃のこと。
伊多はなんども神隠しに合った。
「どこから来た」
「どこから来たの」
「どこから来なすった」
言葉が通じるならば、何度も同じことを聞かれた。もちろん、言葉が通じないときもあった。
「ぼくは、いだシモン。ここはどこ?」
いつも足元がおぼつかなかった。ふわふわしていた。現実味がなかった。
帰ってきた伊多は、親に説明した。
ちょっと角を曲がって、どこかへ行って、帰ってきたと。
たとえばそれが、保護されたのが家から百キロはなれた場所だとしても。
全て現実味がなかった。伊多はその整った目鼻立ちや肌の白さから周りから浮き、彼は現実を感じることが下手だった。
「梓さーん、準備オッケーですわ。コード流して。暑くてしんどい。人にじろじろ見られるんのもツラいわ」
伊多は地下鉄構内へ向かう階段の入り口で、所属する茂松トラベルの事務員、阿波賀梓にスマホ通話した。
「伊多くん、ちゃんと学生服着てきた? 今回の条件は学生服なんだから。それと、足もと。いつもの革靴じゃないでしょうね」
「ちゃんと着てる。真夏に黒い詰襟着てますわ。お陰で不審な目で見られてます」
「え? それはシモン君がイケメンだからじゃないの?」
「そんなん知らんわ。大学生やのに、こどもみたいで恥ずかしい、なんのプレイや」
伊多シモンは、暑さに耐えかね肩をすぎる、ゆるくウェーブのかかった髪を1つに結った。伊多シモンは濃い藍色の目で階段を見下ろした。生暖かく湿った風が吹きあげてくる。
「美少年の学ラン姿、あとで見せてね。仕事が終わったら、直接こっちに帰るよう設定するから」
カタカタとキーボードを打つ音がかすかに聞こえる。
「刀は?」
「背中にしょってます。竹刀の袋に入れて」
詰襟の学生服に、背中には竹刀袋。剣道部部員に見えなくはない、かもしれない。職質される前にさっさと移動したい。
「では、いってらっしゃい。気を付けてね、やりすぎないでね!」
声は途切れ、代わってAIが読み上げる平坦な数字が聞こえてきた。延々と続く数字の読み上げを聞きながら、伊多は階段を下り始める。
何人もの客が、伊多を追い越して階段を早足で降りていく。地下からは電車の走行音やブレーキ音、駅のアナウンスがくぐもって響いてくる。伊多はゆっくりとした足取りで階段を下りていく。
2984587126889123265488000666777
徐々に数字がそろっていく。いつの間にか、階段を昇降する客がいなくなった。ただ一人で伊多は不自然に伸びた階段を下りる。読み上げられる数字を聞いていると、伊多の頭の中にまるで火種が放り込まれたように熱くなっていく。
888899990000…………
頭の中は業火の渦だ。目を固く閉じ、熱さと痛みをこらえる。額に汗が浮かぶ。あと少し、あと少しだ。
最後の一段を下りた時、アナウンスの音がかき消えた。伊多のスポーツシューズは、未舗装の地面を踏んでいた。
振り仰ぐと、青空が広がっている。頭痛も痛みも治まった。
「転移、完了。と、思ったより緑が多いな」
ついさっきまで、地下鉄の走る人口100万人の都市にいたのだ。
「都会っ子やから、田舎は苦手や」
独り言ちして、伊多はスマホを学ランの内ポケットに入れた。
あたりは、黄金の稲穂がゆれる田の畦道だった。吹き渡る風が、清浄であることはすぐわかった。土のにおいと、稲のにおいがする。色づいた田んぼを見渡す。空にはアキアカネが飛んでいる。伊多はあまりにのどかな自然の光景に一瞬目を奪われた。
「あかん、ぼうとしとる場合やない」
頭を振って、改めて周囲を見渡した。
手前に一基、遠くに飛び飛びに四基の鉄塔が聳えている。五基の鉄塔はワイヤーでつながれ五角形を空中に描いている。
「さながら、結界やな。まあ、実際結界なわけやけど」
ふう、とため息をついたとき背後から声をかけられた。
「あなたさまは、どこからおいでになりました」
男性の声に振り返ると、高齢と見受けられる野良着の男女が五人、伊多を見ていた。服装は昭和の初期のように感じられた。みな洋装ではなく、着物だ。木綿のくたっとした絣は、襟が黒ずんでいる。
「あぁぁ、ぼくぅ、とある人に頼まれてここに来たんやけど」
伊多は精いっぱい明るくにこやかに応えたが、男女の老人たちは眉をひそめた。
「背中にしょっているものは何だ、何をする気だ」
ただひとり、小型のバイクを押した背の高い四角い顔の老人に問い詰められて、伊多は困った風に小首をかしげた。
「まあ、ちょっと鉄塔に用事が……。ところで、ええバイクつこてますね」
伊多はほんのわずか動いただけだった。手には真剣が握られていた。
「ははっ、さすがに三つ目だと要領がつかめてきたわ」
伊多は鉄塔の梯子に取り付き、登っていた。登り始めてすぐに雨が降り出し、雷が鳴った。
「人が登ると、雨が降る仕様なん? 登る条件が学生服着用て、どういう意味?」
楽しくなってきた伊多は、細い横木をつかみテンポよく梯子を登っていく。
「まーた、来るかな。来るよな、ガラガラガーンッて」
伊多が言い終わらないうちに、腹の底に響く振動が頭上に発生し始めた。
「くるで!」
伊多は梯子につかまり、衝撃備えた。まばゆい光が耳を聾する音とともに落ちてきた。伊多は、無傷だった。
「まいるね、なんやねんな」
文句を言いつつ、軽やかに疲れなど見せずに伊多は鉄塔を登り切った。
「こんにちはー」
伊多は鉄塔の先端に作られたステージのような天井にたどり着いた。
「次の者か」
ステージの中央、玉座に座る少女が凛とした声を発した。伊多は学ランのほこりを払い、髪を結い直した。
「次の者じゃないです。お初にお目にかかります。俺は伊多、伊多シモンいいます」
玉座の少女はセーラー服姿だった。前髪は眉より上できっちり揃えられ、三つ編みした髪は腰の位置まで来るほど長く、そして見事なまでに白かった。
いったい何歳だろう。事前に読んだ資料には、鉄塔に上がったものは歳をとらないとあった。見かけは十五歳ほどの少女だが、どこか威厳というか風格が漂う。
「とある筋からのご用命で、こちらに参りました」
伊多は胸に右手を当て、うやうやしく頭を下げ、それからゆっくりと顔を上げた。
「死んでください」
少女のガラス玉のような目が光った。
玉座から降りた少女は、腰に手を当てると、まるで腰に下げた鞘から抜刀するように、何もないところから光る剣を引き抜いた。
「三朗と四樹を殺したのはおまえか」
少女は静かな声で伊多に問いかけた。
「ああ、そんな名前やったな」
伊多は手を頭の後ろに伸ばした。腕を振り下ろしたときには、研ぎ澄された剣が握られていた。伊多は少女のもとへ一気に走った。
「御免」
ざん、っという音とともに、少女の首が切れて血が吹き出した。瞬く間にセーラー服が朱に染まる。
少女が首を押さえ、膝をつき百合の花が刈られたように倒れた。
「やったかな?」
伊多は少女の肩を足で押して転がす。まぶたを見開いた少女の目が伊多をとらえて動く。
少女は伊多を見て歯を見せて笑い声をたてると、体を起こした。
「やっぱり死なへんか」
首の出血は、止まっていた。ただ髪も服の袖も血が滴っている。
「ここにいるかぎり、わたしは神だ。死なぬ」
「三回戦やな」
三度神に打ち勝つしかないか、と伊多は片眉をしかめた。
首の傷はふさがり、少女は何事もなかったように伊多の前に立ちはだかった。
「名前、聞いてもええ?」
伊多は、薄い唇をひとなめした。
「四華。……参る」
四華が床を蹴った。一歩が大きい。あっという間に伊多の懐へと飛び込む。
伊多はかわすと、上段からの太刀を振り下ろしたが、四華は前転して切っ先をよけて立ち上がった。
「雷!」
四華の声に呼応するように、雷鳴が近づいたかと思うと、伊多めがけて雷が落ちた。
伊多の体は瞬間、燃える鉈で切られた。床の上から足が離れて、ついたときには力が入らず床に転げた。
「ひどいわー」
床に伸びたままで伊多がぼやく。無傷の伊多に四華は目を見開き口を開けた。
「あんまりやないか」
鉄塔を登って来る時から、雷は伊多に効果がなかった。おそらくは、鉄塔を登る挑戦者にとって一番の敵だったろう雷。伊多は直撃さえも無効らしい。
「ほな、遠慮のぅいくで」
伊多は立ち上がる勢いのまま、下から剣をすくうように振り上げた。四華の顔に赤い線が引かれる。その一撃で四華は意識を取り戻したように剣を両手で握り直した。
「それくらいじゃなきゃ、面白ない」
伊多と四華の剣がぶつかる。上背が勝る伊多は容赦なく四華に剣で押しまくる。四華は唇をかみしめたが、一瞬ふっと力を抜き、つんのめった伊多の足を払った。
「ちょっ」
伊多はバランスを崩して転倒した。その頭部に四華の剣が迫る。反転して半身を起こした伊多の胸を四華は蹴りつけた。
再び転ばされた伊多は、それでも立ち上がり四華の手元を狙った。
ごつっと鈍い音がして、四華の左手首に伊多の真剣が食い込んで刀身を血が伝う。しかし四華は眉ひとつ動かさず、むしろ体重をかけ手首を断切した。
さすがにその行動に伊多は、あっけにとられた。たしかに頸動脈を切られても生きていたのだ。手首など、どうとでもなるのだろう。実際四華は手首を拾い上げ、また接合するよう右手で固定している。
「神様、すごいな」
「たとえ体がバラバラになっても、元に戻る。その苦しみが分かるか」
「分からんなあ」
伊多は躊躇なく、四華へ剣を打ち付け組み合った。
「あんな、ちょっと話聞いて。塞征が、ここの土地欲しいんやて。塞征て、隣の国やろ。欲しいねんて、ここ。空気はきれいやし、田んぼもあるし。もうここのセカイには、こんな場所はここしかないんやて」
「それは、戦を繰り返して奪い合った結果だ。私たちには関係のないことだ」
一度落ちた左手首から、血の匂いがする。伊多は短く息を吐いてから続けた。
「せやな。ほんで、5つの鉄塔に五人の若者登らせて、こん土地守らせようとした奴は誰か知っとる?」
四華の強固な瞳が揺らいだ。
「皇之門ちゅう奴らや。鉄塔が片付いたら、そっちも始末させてもらうけどな」
伊多はいったん離れ、剣で四華の体を薙いだ。辛くも避けた四華は剣を構え、そのまま伊多に突進した。
どん、という衝撃で伊多はよろめいた。剣は伊多の腹を貫いていた。
「ははっ、やられたあ。痛った!」
四華がえぐるように剣を抜くと、伊多の唇の端から一筋血が流れた。伊多が膝をつく。腹からの出血で、瞬く間に血だまりが生まれた。咳をすると血が飛び散る。
「あああ、生きとったんやな俺。血い、止まらん」
腹からの血を両手に受け止め、伊多は目を見開き笑った。そのまま伊多は後ろに倒れた。
「終わったか」
四華は動かなくなった伊多を見下ろした。血だまりの真ん中に倒れた伊多の体の上に、低い羽音とともに突然黒いものがあらわれた。
「なんだ?」
大きな翼をふるわせ、伊多の体を包み込む。
「夜久、夜久やあ。来てくれたんか」
黒いものは大きなハシボソガラスだった。夜久と呼ばれると、かすかに鳴き返した。
伊多の出血で冷えていた体が徐々に温かくなる。霞んだ視界が明瞭になる。
「おれは死なへんよ、夜久がおれの体を治す。毎回来てくれるとは限らんけどな。卑怯と思うやろ。さっき雷が効かんかったみたいに、異世界から来た俺と、ここでは摂理がちがう。おれは異世界旅行人やから」
四華は鼻白み、数歩後ずさった。
「ここで残念なお知らせです」
血濡れた人差し指で、伊多は天をさした。
「下界には、もう鉄塔を登れる若者がいません」
「え?」
「おめでとう。君は未来永劫神様や」
回復した伊多はゆっくりと起き上がり、四華を見て目を細めて笑ってみせた。夜久は霧のようにかき消えた。
「地上は年寄りばかりや。登るまえに何人かご退場願ったけどな。ほんと爺さん婆さんしかおらへん。子どもが生まれんくなって、鉄塔の試しは、ここ120年行われとらんて」
鉄塔の試しには、それぞれ四名の少年少女が必要なのだ。登れたら神は交代するが、失敗した場合は大抵命はない。ただでさえ貴重な若者を、鉄塔で死なせるわけにはいかなかったのだろう。
「ずっとここにいろと?」
「そや」
「三朗と四樹は?」
伊多は血を吸ってごわついた学生服に辟易しながら答えた。
「絶望しとったよ。120年は長い。これからもずっとや、そう言うたらもう顔を伏せたわ」
五つの鉄塔を結ぶワイヤーがたるみ始めた。主の二人を亡くし、結界がほころびて来たのかもしれない。
「いつか五人で会ってみたいね、って伝えあっていたんだけど。そうか、次は来ないのか」
四華は剣から手を離した。血まみれのセーラー服に、白髪の三つ編み。まっすぐな瞳の四華は、天井の端へ行くとスカートのひだを整え、スカーフを結び直した。
「三朗と四樹は、どんな子だった?」
「せやな、三朗は……」
「やっぱりいい、聞かないでおく」
そう言い置くと迷いを見せずに、四華はそのまま後ろ向きで、落ちて行った。
わずかの間があって、重い音がはるか下から響いた。
「交代の奴が来ても、結局は死ぬ定めやんか。えぐすぎるわ、こんなやりかた」
さっさと残り二基も終わらせよう、と伊多は鉄塔を下りた。
「結局そっからは、あっちゅーまやったわ」
事務所に戻った伊多は事務員の阿波賀に話した。
「鉄塔は三基が潰れたもんやから、残り二つも倒壊。そしたら結界が消失や。すぐ塞征の地上軍が攻てきおった」
まあ、あっこの中に住んでいたもんは皆殺しやな、と伊多は穴の空いた学生服を脱いだ。
「ここで脱がない! 報告は後でかまわないから、先にシャワーあびて。匂いがひどいよ」
阿波賀はヘッドフォンを外して首にかけた。事務所には小さいがシャワールームがあるのだ。
「……傷、ないか……。腹刺されたとき、めっちゃ痛かったわ。生きてるの実感したわ」
伊多は自分の体を抱き、しばし恍惚の表情を浮かべた。伊多の白く引き締まった腹には、傷ひとつついていなかった。
生きている実感が欲しい。伊多の望みはそれだけなのかもしれない。子供の時から異世界をいくつもいくつも渡り歩き、伊多にはどこか生の実感が希薄だ。異世界で平気で人を殺すのもそのせいかも知れない。
「シャワールームはあちらです」
はいはいと伊多は生返事でシャワーへ向かった。
「あと、これがお土産な。皇之門たちのラボにあったデータ」
伊多が阿波賀にわたしたのは、見たこともない形をしたものだった。立体的な六角形をしたまるで雪の結晶のように見える。
「あんなエグいシステム、使いたいやつがおるん? あんま腹立ったから、ラボにいた連中、五六人たたっ切ってきたわ」
阿波賀は天を仰いでお祈りのポーズをとった。
「祈る必要何ぞないで。あっちのヒトは本の中の登場人物みたいなもんや」
伊多にとって、人を殺しているという実感はまるでない。あれは実在しない者たちだ。子供のころからの体験の積み重ねで、その感覚は拭い去れないものだった。
「例のカラス、来てくれて命拾いしたね」
阿波賀が度の強い眼鏡をはずして、伊多にタオルや着替えのシャツを、おばちゃんには目の毒目の毒と言いながら渡した。阿波賀は三十代中盤で、おばちゃんというほどでもないが時折自虐する。
「夜久な」
「別の世界の生き物に好かれやすいわねえ」
阿波賀はため息をついて、首を回した。異世界から持ち帰ったものは、厳重に保管される。ときに法外な値段を打診される。
「それと」
シャワーを浴びながら、伊多は声を上げた。
「所長の奥さんの痕跡は無かった」
「……うん、所長に言っとく」
阿波賀は伊多の学生服をゴミ袋に詰めた。
「シャワー浴びたら、俺、帰るわ。腹減った。カレー食いたい」
「辛さ、ほどほどにね」
「なんでー? 辛いほどいいやん。生きているって感じする」
伊多はシャワーを止めた。傷ひとつない体、その美しさも凶暴性も、次の出番まで布でくるみ秘匿するのだ。
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