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3.「お月見」「綺麗な月」
「お疲れ様です! 今日も残業ですか?」
今は夜の十時を回ったところ、自宅アパートの最寄り駅で見知った背中を見つけて声をかけた。
「こんばんは。君も遅くまでお疲れ様」
振り返り、俺が追いつくのを待って一緒に並んで歩き出す。
彼は同じアパートの隣に住むお兄さんで、バイト上がりの俺と帰る時間が度々重なり、挨拶を交わすだけのただの顔見知りから、いつの間にか会えば一緒に帰るまでの親しい間柄になっていた。
「バイト頑張るね。大学との両立大変じゃない?」
ビジネスバッグを反対の手に持ち替え、俺を歩道側に誘いながら話を進める。
「店長もバイトの先輩も良い人ばっかだし、テスト前はちゃんと休みくれるから大丈夫です」
親に一人暮らしさせてもらってるんで、遊ぶ金くらいは自分で稼がないと。 と頬を掻きながら格好つけて言った俺に、彼はくすくすと笑って頭を撫でてくる。
大学生にもなって子供扱いされるのは不本意だが、優しく触れる大きな手が思いの外心地良くて、俺はいつも受け入れてしまうのだ。
好き、なんだと思う。
同性を恋愛対象として意識したことは今までなかったから、この気持ちが憧れなのか恋なのか、まだはっきりとは分からないけれど。
他愛もない話をしながら、狭い歩道を肩が触れ合う距離で並んで歩く。微かに感じる彼の体温に、こんなにも心が騒ぎ立つのは、きっと気のせいなんかじゃないと、ふと彼に目を向けた。
こちらを見ていたのか、目が合い僅かに目を見開いた彼の背後に、大きな丸い月が浮かんでいるのが視界に入って、俺は思わず声を上げた。
「あ、月!」
指差す俺の目線を追って、彼も後ろを振り返る。
「あぁ、今夜は十五夜だったね」
「十五夜……」
そういえば、バイト先の居酒屋の客が、芋煮がどうとか月見団子がどうとか話していた気がする。
日常であまり月を眺める機会なんてないから、久しぶりに見た月はとても明るく輝いて見えた。
それにこんな美しい月夜を、彼と一緒に過ごせたことが何より嬉しい。
「月が、綺麗ですね……」
「それは──」
そう呟いた俺を黙って見つめていた彼が、何かを言いかけてその言葉を飲み込んだ。
「……そうだね。君と見る月は、とても綺麗だ」
そう言って俺に向き直り、顔を寄せて静かに囁いた。
「……星も、綺麗ですよ」
意味深な微笑を浮かべて離れ、さて帰りましょうか、と彼が歩き始める。
至近距離での彼の笑顔に心臓が跳ねて、俺は歩き出すのが遅れてしまった。
そんな俺を、彼が少し振り返る。
「もし、君が僕を選んでくれるのなら……『もう死んでもいい』と応えるんだけどね」
まるで返し歌のように小さく呟いた彼の告白は、銀の光に溶けて俺の耳には届かなかった。
※「星が綺麗ですね」は諸説あるけど「貴方は私の想いを知らないでしょうね」の意で使いました
恋心をまだあまり自覚していない大学生と、自覚している社会人の話。
(#創作BL版深夜の60分一本勝負)
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