優しい人

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「何で、いるの」  鍵を開けていた。扉を押していた。目の前に立つ朝陽くんに、呆然と聞いていた。  朝陽くんは僕に伸ばしかけた手を引っ込めて、拳を握り答える。 「真月が、泣いてたから」 「盗聴してたの」 「馬鹿っ! そうじゃなくて、会いに行こうと思って、そしたら泣き声が聞こえたから、だから」 「どうして会いに来たの」  責めているように聞こえただろうか。事実怒っていたのかもしれない。  こんなに君を傷付けたのに、まだ僕を軽蔑してはくれないのか。まだ手を差し伸べてくれるのか、と。  そのくせ戻ってきてくれたことは嬉しいのだから、おかしな話だ。  矛盾している。僕はきっと壊れている。  今も昔も朝陽くんには不釣り合いだ。それだけは変わらない。 「俺さ、やっぱ無理だわ」  ドクンっと心臓が高鳴る。期待か恐怖もわからずに、言葉の続きを待った。  朝陽くんは焦らすことなく続ける。 「好きな相手には優しくしたい。酷いことはできない」  体の力が抜けていくのがわかった。  ようやく終わったのだ。終わることができたのだと、安堵(あんど)したのだ。  曖昧な終わり方ではなく、面と向かって言われたことで諦めがつく。  わかった、ありがとう。そう返そうと口を開く。 「だから、真月も慣れてくれ」  わかったもありがとうも言えずに、代わりに「え?」と母音が漏れ出した。 「俺、真月のことが好きで、優しくしたい。真月は俺に軽蔑されたいって言うけど、無理だから。嫌いになんてなれないし」 「な、何で」  何を聞きたかったのだろうか。  頭の中がパニックになって、自然と言葉を吐き出していた。 「一目惚れ」 「え?」 「何だよ。もっと具体的なこと言えばいいのか?」  違う。そういうことではなくて。  だけど首を振ることもできなかった。  ひとめぼれ。たった五文字がこんなにも脳を揺さぶる。 「小三のとき、委員会決めただろ。図書委員の一人がさ、クラスから浮いてる子で、誰もペアに立候補しなくて。あんときお前、真っ先に手上げたじゃん」  それは別に、何でもよかったからだ。  朝陽くんだって、先に体育委員に決まっていなければ、同じことをしていたはずだ。 「あと給食のとき、虫が入ってたから残したいって言った子が、先生に怒られてただろ。残すのはいいけど嘘をつくなって。でもあのとき真月が、虫は入ってましたって担任に言ってさ。すげぇかっこいいと思ったんだよ」  それは、疑われているのがあんまりに可哀想だったから。  あの子は大事にしたくなくて、虫を取ってすぐにティッシュにくるんで捨てていた。  やっぱり気分が悪くて残したいと言ったときには、証拠がなかった。  それを補強するために、少し口添えしただけだ。  これもやっぱり、朝陽くんが見ていたら同じことをしたに違いない。 「まだあるぞ。クラスで取り合ってた間違い探しの絵本のことだよ。人気でさ、なかなか読めないやつ。やっと順番がきたときに、ちょっと内気で、競争にも参加できてなかった子を誘ってたじゃん」  だからそれも、どうせなら人が多い方がいいと思ったからだ。  朝陽くんだって、僕が言わなければ同じことを、 「小四のときイジメられてたのだって、女の子を(かば)ったからなんだろ? 可愛いからってちょっかいかけられてさ、転校したばっかで女子とも馴染めなくて。でも真月は、その子に声をかけたんだよな」  だって、だってそれは、話が合ったから。  持っていた消しゴムが雑誌の付録で、その子も少女漫画を読んでるってわかったから、話しかけただけだ。  それをからかうあいつらに、「漫画なら、ああいうダサいやつらも出てこないのにね」って、聞こえるように言っただけ。それだけなのに。  ただそれだけで、朝陽くんの優しさに釣り合うはずもないのに。 「真月はさ、俺のこと優しいって、完璧だって言うけど」  咄嗟に耳を塞ごうとした両手を掴まれる。  涙で濡れた僕の顔と、恥ずかしそうに唇を噛む朝陽くんの間に、遮るものはなかった。 「俺は完璧じゃないし、真月はすっごい優しいよ」
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