1章 お菓子な悩み事

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 今が正念場だと考えた明日香は、サボ2号の入った容器にそっと触れた。その瞬間、部屋に優しさの波動のようなものが満ちていく。明日香も心の中で、米田社長の想いが重森工場長に伝わるように祈った。  腕を組み目を閉じていた重森工場長は少し間をおいてから大きく呼吸をし、表情を和らげたかと思えば、その視線を米田社長のほうへと向けた。 「ははは・・・。負けましたわ」  米田社長も視線を上げ、工場長のほうへとまっすぐに顔を向ける。 「こんな回りくどい会話はもういいでしょう。今日の本題は、まぁ、私を引き止めるということでしょう?うん・・・ですから、私は定年まで働かせてもらいますよ」  そう言いながら、明日香に微笑みかける。 「今里さん、この短時間に会社のことをどれくらい理解いただいたのかは分からないのですが、会社を良い方向に持っていってくださってありがとうございます。私にとってもこれらは個人的に嬉しい方向でした。なかなか、すごい手腕ですね」 「ありがとうございます。重森工場長だけでなく、他の皆さんも幸せになれる方法を米田社長と頑張って考えました。金岡さんにもご相談させていただきましたが。上手くいったのなら良いのですが」 「いやぁ、面白かったです。ちょっと悔しいけど、良い意味でしてやられましたわ。うん。・・・でね、米田社長」  そう言いながら、工場長は視線を米田社長のほうへと向ける。 「あの帝生銀行の連中とは縁を切ったほうがいいと思うよ」  その銀行名を聞いた瞬間、明日香は過去の辛い経験を思い出してしまった・・・少し胸が締め付けられる。が、すぐに重森工場長の声に神経を集中させた。 「結局、ローテの件も運動施設の件も、帝生銀行の入れ知恵でしょ?運動施設なんか、結局、銀行が融資したいだけじゃない。社長の不安をあおって、自分たちの都合の良いように会社を変えようとしていく。これを良い機会に、あそことは手を切ったほうがいいですよ。・・・相談なら、まずは今日この部屋に集まっている優秀なメンバーにしたらいいんだから」 「返す言葉もありません・・・」  うなだれる米田社長に、金岡さんが慰めの声をかける。 「米田社長は社員を活かすタイプの社長なんだと思う。だから、もっとみんなを信用して、頼ってくれたらいいんだから。みんなが自由に仕事をできる環境を作ってもらえたら、会社もさらに良くなっていくと思うよ?」 「それ、ヒカルちゃんが好き勝手したいだけやろ?」 「バレました(笑)」  和やかに転じた雰囲気の中、米田社長は手に持っていたコーヒーカップを机に丁寧に置き、襟を正し、改めて参加者全員に自らの想いを伝えることとした。 「ええ、そういうことで、私はこれからも社員のみなさんの声をたくさん聞きながら、より良い会社経営ができるよう尽力します。どうか、よろしくお願いいたします。ですので、重森工場長も、もう少しだけ米田製菓に力を貸してください」 「あいよ」  全てが円満に解決した・・・と思われた瞬間、明日香はスッと席を立ち、少しぎこちなく話を続けた。 「米田社長、みなさま、本日はお疲れ様でございました。ここで失敗すると大切な社員を失ってしまうかもしれない、そんな難局を乗り越えられたことをお祝い申し上げます。・・・本日の進行は、いかがだったでしょうか?」 「ええ・・・思ったより落ち着きながら進めることができました。これも今里さんのお陰です」 「いえいえ、恐れ入ります。でも、実は少しだけ、ズルをしているんです」  明日香の発言に、参加者は「え?」「何?」といった反応を返す。 「実は、本日お飲みいただいたコーヒーは、ときじく薬草珈琲店の安神ブレンドという商品なんです。ナツメをはじめとした心を落ち着ける効果のある薬草をいくつかブレンドした薬草珈琲で、今日の会議を穏やかに進行するのに活用させていただきました。・・・本日のみならず、やはり仕事を進める中で神経を使うような場面も多いのではないでしょうか。そこでよろしければ、弊店の薬草珈琲を福利厚生の一環として、貴社に常設いただくことなどいかがでしょうか」  もちろん、サボ2号も関与していたので、薬草珈琲だけの効果だけではなかったのだが。 「あははは、今里さん、もしかしてここで商品の売り込み?」  すかさず来た金岡さんのツッコミに、全員で笑ってしまった。
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