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船田渚(ふなだなぎさ)は17歳の高校生。10歳違いの兄である湊君がときじく薬草珈琲店で働いているということもあって、これまでも母と一緒によく店に遊びに来ていた。ただ、ここのところ高校が面白くないという理由で学校を休んでおり、それならバイトでもしてみたらと明日香に誘われたという訳だ。
「渚ちゃん、メニュー、目を通しておいてくれた?」
明日香の問いに渚ははっきりと答える。
「一応、頑張って覚えてきました」
「え?・・・もしかして、薬草コーヒーの効果も合わせて覚えていたりして?」
「はい、一応・・・」
「すっご〜い。・・・湊君、君の妹、頑張り屋さんだねぇ」
そう言いながら、明日香はきょうだい二人を交互に眺めた。
「うん、そうなんですよ。夕飯後に何回もテストしたもんな(笑)」
「うん」
「いいねぇ。どう?何か仕事に面白さを感じられそう?」
「はい。・・・あ、でもやっぱり、まだ分かりません」
「そかそか。『仕事を通して自分が楽しいと思えることを見つける』事だったっけ?渚ちゃんならきっと見つかると思うから、頑張ってね」
「はい。頑張ります」
湊君は笑顔が明るく朗らかで、接客が好きっていうタイプの分かりやすい人間だ。それに対して渚は物静かで、楽しさを表情にはあまり出さない。・・・渚ちゃんって、自分の母親に少し似ているな、と明日香は思った。でもそうなら、母・琴音のように秘めたる情熱のようなものがあるのかもしれない。
少しの時間、渚は兄から接客を含むホール仕事について説明を受けた。それが終わるとすぐに、実労働へと移る。・・・夕方の客入りの少ない時間ということもあって、渚は自分のペースを守りながら仕事に慣れることができた。
17時。近所に住む青木さんという高齢の男性が帰る時間だ。16時半あたりに来店し、明日香や湊君のお勧めの飲み物を注文し、30分ほど読書をしてから17時に帰る。紺色の帽子がトレードマークのおよそ70歳前後の男性である。
青木さん分のレジ打ちを明日香が進める横で渚もそれを学んでいると、青木さんが口を開く。
「こちらのお嬢さんは、新しい子か?」
「ええ、そうです。今日からしばらく働いてもらうことになった渚ちゃんです。渚ちゃん、こちら、いつもご来店してくださっている青木さん」
「あ、よろしくお願いします」
少しぎこちないが、渚は丁寧に礼をした。
「そうですか、そうですか。お若そうですが、高校生?」
「はい。高校です。仕事の面白さが知れたらいいなぁと思って、ちょっとバイトさせていただくことになりました」
「あぁ、そうですか。よろしいじゃないですか。お嬢さん、笑顔が素敵だから、こういう仕事は向いていると思いますよ」
「え、そうだったら嬉しいです」
「仕事って、誰かに「仕える事」って書くでしょう?漢字で。自分がしっかりとお仕えして相手が笑顔になってくれたなら、それはもう立派なお仕事ですから」
「なるほど、そんな風に考えるのですね・・・」
そのあたりで明日香は会釈しながら場を離れたので、青木さんの話を渚が聞くという構図となった。
「お店に行って、店員さんがいい感じだったら行ってよかったって思えますでしょう?逆に、嫌な店員さんだったら食事も不味くなるじゃないですか。私は結構、お店の店員さんの質というものは、客の人生に影響するって思うんですわ」
「確かに。そう言われたら、とても大事な仕事のような気がしてきました」
「ええ。大事ですよ?うん、お嬢さんは笑顔が素敵だから、良い店員になる素質がありますから」
「ありがとうございます」
「あ、そうだ。・・・店長さ~ん」
何かを思い出した青木さんは、キッチンに戻った明日香に届くよう声を張り上げた。すぐに、明日香はその場に戻ってくる。
「はいはい。青木さん、どうされました?」
「今日、お勧めしてもらった緑茶でしたっけ?あれは、どんなもんだったんでしゃろか」
「あ、あれですね。5月ということで新茶に陳皮をブレンドしたものなんですけど、今日って少し気温が高いでしょう?なので、身体の余分な熱をとって、心もすっきりさせる陳皮ブレンドの緑茶をお勧めしました。塩昆布もお付けしていたので、少しだけむくみの解消なども意識しています」
「そうですか、そうですか。陳皮って、みかんの皮よね?」
「ええ、そうですよ。無農薬のみかんの皮を干した自家製のものです。いかがでした?」
「いやぁ、いい香りだし、なんかすっきりしましたから。そういうことでしたか。・・・お嬢さんも勉強して、店長さんみたいに詳しくなったら良いと思いますよ。こういう知識は絶対に役に立ちますから」
「はい、がんばります(笑)」
話にひと区切りついたのか、青木さんはレジカウンターの机をトントントン、と鳴らした。
「ほな、ありがとう。帰りますわ!・・・お嬢さんも、また!」
「ありがとうございます!」「ありがとうございます」
青木さんを見送る渚の笑顔は純粋な輝きを発していた。明日香はそれを見て、この子はこういうお客さんとのおしゃべり、まんざらでもないのかな、と微笑ましく感じた。
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