1章 お菓子な悩み事

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1-3  旧国道24号線から東へ少し入ったところに米田製菓株式会社の社屋と工場が立ち並ぶ。周囲は田畑に囲まれ、さらに東には奈良盆地東部の山並みが見える。  正門を入ってすぐの来客用駐車場に車を停め、明日香と朱里は社屋のエントランスへと向かった。スマホで米田社長に電話をかけると2階の奥の部屋を予約しているということで、二人は階段を上がる。廊下の先の部屋の扉は開いており、その中に米田社長が会話をしている姿が見えた。明日香と朱里は目を合わせてうなずき合い、廊下をまっすぐに進んだ。 「失礼します・・・今里です」 「あ、今里さん。お待ちしておりました。・・・星野さんもご来社いただきありがとうございます」 「はい。本日はよろしくお願い致します」  そんな風に、三人は軽く挨拶を済ませた。  テーブルをはさんで向こう側に初老の男性が座っている。 「重森さんでいらっしゃいますね?」  明日香が挨拶をすると、重森工場長は優しい笑顔で二人を迎え入れた。そして、ジェスチャーで二人に着席を促す。 「ええ・・・今里さん、本日はご来社いただいて、ありがとうございます。・・・私はいないほうが良いと聞いていたので、さっそくですけれど、後はお願いしてよろしいですかね。工場長も忙しい中すみませんけど、よろしくお願いします」  米本社長はそう言うと、扉を閉めて部屋から足早に立ち去っていった。  名刺を交換後、明日香の名刺を確認しながら重森工場長から質問する流れとなった。 「・・・ということは今里さんはカフェの経営者でいらっしゃるの?」 「ええ。こういう場で名刺を交換するとみなさん驚かれるんですが、そうなんです(笑)。まぁ、営業活動の一環ということでご理解いただければと思います」 「まぁ、分かりました。世の中にはいろんな人がいるからね。・・・で、今日のお話なんだけど、簡単に言えば、今里さんがうちの社長に頼まれて、私の退職を引き留めようということなんかな?」 「米田さんは私にそう期待していると思いますが、私は違います」 「えっ?どういうことなの?」  明日香の発言が耳に留まり、重森工場長は少しだけ会話に対する集中力を高めた。 「米田さんからお聞きした話をベースに考えてみたのですが、私の勘では重森さんはまだもう少し、少なくとも65歳の定年までは働きたいと思っていらっしゃるんじゃないかと思っていて」 「・・・」 「でも、同時に会社を辞めたいという気持ちもはっきりしている。・・・もし、その仮説が正しい場合、その矛盾をなくせたらいいなぁと思っているんです」 「なるほど、そうですか・・・」  重森工場長は机の上の水筒を手に取り、お茶を汲み、それを少し口に含んだ。 「重森さん、まず、仕事を続けたいお気持ちのほうからお話いただけませんか?」 「はは・・・今里さん、さすが、話の持っていき方がお上手だね。・・・でも、そりゃね、この工場で働いてきたことが私の人生そのものですもん。先代の社長の、会社が小さい時から、この米田の会社に尽くしてきましたもん。ずっと」 「そうですか・・・でも、それって素敵ですね」 「まぁ、私にはその他に特技もないから、工場以外では働けないんですけどね(笑)」 「いえ、そんなことはないでしょうけど。では逆に、今のお仕事で辛いと思われていることって何なんですか?」  明日香は少しずつ、本題に迫っていく。 「まぁ一つは、うちの会社、最近・・・3年くらい前からかな?4年かな?ローテーションを組むようになったんだけど、営業やっていた人間が4月になるといきなり工場のオペレーションをすることもあるの。その教育やら尻拭いやらで私もちょっと疲れちゃってね」 「そうなんですね。もちろん、ローテーション制度のメリットもあるのでしょうけど、そのおかげで重森さんは時間や労力を少し奪われてしまっているということですね」 「そうそう」 「なるほど、理解いたしました。他にもお辛いことなどあったりするんですか?」  明日香はメモをとりながら、会話を前へと進める。 「うん、でもそれはすごく個人的なことだから・・・ごめん、言えません。私ひとりのワガママで会社のみんなの幸せを奪う訳にはいかないからね。また、時代は変わっていくべきものだから」 「もうひとつのお辛いことははっきりしているけれど、個人的なことであるためあまり公言はされたくない、ということですね」 「うん」 「誰にも言えない、という感じでしょうか」 「その通りです」 「そうですか・・・分かりました」 「ごめんね、今里さん。こんな話に付き合わせちゃって。もう私の心は決まってるんで、無駄足にさせてしまったね」  重森さんは会話を終了に持っていこうとしたが、明日香は少しだけ話をつなげるための言葉を重ねる。 「・・・あの、今は全く想像もつかないのですが、もし、その重森さんのワガママというものが叶っちゃったら、もう少し会社に残られますか?」 「そうだね。そうかもしれない。でも、もう決まってしまっていることだからね」  重森工場長はもういちど水筒のお茶を飲んで、視線を机の上へと落とした。  明日香は今日の会話はこのあたりにしておこうと考えはじめていたが、重森工場長からの思いがけない提案で、もう少し米田製菓に滞在することとなる。 「あのさ、今里さん。うちにヒカルちゃんっていう活きのいい子がいるからさぁ、せっかくだから会ってきなよ。若い者同士で気も合うんじゃないかな」 「え、そうなんですね? じゃあ、是非・・・」  明日香が答えるのを待たず、重森工場長は社用の携帯電話を耳に当てた。 「おお、ヒカルちゃん、ちょっとさ、いま時間あるなら、応接室Bに来てみなよ」  しばらくして、ショートヘアの長身の女性が足早に部屋へと入ってきた。
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