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おばあさんはゆっくりと顔を持ち上げ、目を細めた。
「決まってるじゃない」
つられて彼女の視線を追った。そこには、満開の桜があった。
「いつだって、今がいちばんなんだから」
さっきからずっとそこにあったはずなのに、無数の花びらが織りなす繊細で壮大な模様に、今改めてまゆりは見入った。
燃えるような命の逞しさと、少し目を離した隙に春の陽に溶けてしまいそうな、その儚さが胸を打つ。
どれくらいそうしていただろう。まゆりはただ、目の前の光景に心を奪われていた。
絹のような風が頬を撫で、優しいにおいが鼻腔をくすぐる。
「ねえ、そうでしょう?」
言いながらこちらを向いた彼女の頭上から、花びらがはらりと散った。それは真っ白な髪に着地して、即席の髪飾りになる。
まゆりはハッと息を呑む。
しわとしみだらけのその笑顔は、なぜだろう、これまでにまゆりが出会ったどんな綺麗な顔よりも文句なしに美しく、魅力的なのだった。
「そうかも、知れないです」
まゆりは、もっと近くで桜を見ようと立ち上がる。
なんだか身体が軽かった。これからのことは、まだわからない。でも今は、このままどこまでだって走っていけそうな気分だった。
さっきは、失礼な言い方してすみません。
先ほどの物言いを謝ろうと、まゆりが振り返った時にはもうおばあさんと老犬の姿はどこにもなくて、ベンチの上には、数枚の花びらだけが残されていた。
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