いちばんいい時期

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いちばんいい時期

 来るんじゃなかった。  歩道脇のベンチにどさりと腰掛けて、目前を横切っていく花見客の群れを、まゆりは忌々しげに眺めている。  ベビーカーを押す若い夫婦の穏やかな眼差し、子どもたちのみずみずしい笑い声、カップルの柔らかく絡んだ指先……  空は高く、今塗ったばかりみたいな青。甘やかな春の陽が惜しげもなく降り注ぎ、歩道の両脇にずらりと並ぶソメイヨシノは枝々にもっさり淡いピンクを携えて、今がまさに花盛り。  完璧すぎるほど完璧な、お手本みたいな休日に、見渡す限り幸せそうな人生ばかりでまゆりはもううんざりだった。  この場所から一刻も早く離れたいまゆりだったけど、久しぶりにまともに陽を浴び身体を動かしたせいで、四肢はぐったりと重く、しばしの休息が必要だった。  自宅から三十分、平坦な道のりをただ歩いてきただけなのに。体力の衰えを痛感し、気持ちはますます沈み込む。  ここ数日、まゆりは家に閉じこもり、一日の大半を布団の中で過ごしていた。このままじゃいけない。焦れば焦るほど身体は思うように動かなくなった。何もする気が起きなかった。特に、朝は最悪だった。  それなのに、どういうわけか今朝はすんなりと目覚めることができた。カーテンの隙間から差し込む陽が、あまりに優しかったせいかも知れない。  今日が元々休日だったこと思い出し、職場に欠勤の連絡を入れないでいいのだと気づくと心はふわりと舞い上がり、久しぶりに外に出てみようという気になれたのだ。  春の陽気に誘われるようにして、幼い頃よく花見に来ていたこの場所へ、まゆりは辿り着いていた。
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