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「ふ――ん」
私と目を合わせることなくつまらさそうに妻は口を鳴らした。そのまま黙って立ち上がると浴室に向かう。が、思い出したようにこちらを振り返ると戻って来て目の前の紙袋を掴む。そこで妻はようやっと私と目を合わせた。
「これは預かっておくわ。もちろん勝手に捨てることはしないけど、あなたのトラウマみたいなものって解ってても、でもいい気持ちはしないもの」
程なくしてシャワーの音が聞こえて来る。まさか妻はあれを着ようと言うのか……いや、さすがにそれはないだろう。
私は妻が競泳水着に身を包んだ姿を一瞬思い浮かべては見たものの、すぐさまそれを頭の中から打ち消した。
それからの二、三日、私は妻を顔を合わせることがないよう残業やら飲み会やらを理由にして終電で帰宅していた。そして週末がやってきた。
妻はもうあの紙袋を処分しているだろうし、そろそろ許してもらえるだろうか。
私は妻にご機嫌伺いのメッセージを送ってみた。
帰宅するとめずらしく妻が玄関先まで出迎えに来た。どうやらもう怒ってはいないようだ。私はホッとしながら「ただいま」と挨拶する。
あらためて妻の姿に目を向けると彼女にしてはめずらしくロング丈のシャツ一枚の姿だった。色白のスラリと伸びた足にかつて互いに毎日のように求め合った記憶がよみがえる。
やはりもう許してくれたのか。
それにしてもなぜシャツだけなのだ?
そう思った瞬間、私の目に白いシャツの薄手の生地の下にうっすらと見える黒いシルエットが飛び込んできた。
ま、まさか……。
私がそれに気付いたと同時に妻は恥ずかしそうに微笑むとその裾を少しだけたくし上げた。
そこに現れたのはハイレグほどではないが鋭角を描く黒い競泳水着だった。
「最近のってすごいのね。キッツキツで着るのがほんと大変だったわ。あっ、誤解しないでね、ワタシが太ったってわけじゃないんだからね」
「あ、ああ……」
私は言葉を発することができず、玄関先でただ呆然とするばかりだった。妻が私の手を掴んで腰のあたりにエスコートする。私の指先に触れたのは張り詰めた光沢に包まれた滑らかな緊張感だった。
「勘違いしないでね。これはそういう目的じゃないから。最近ちょっと運動不足気味だからスイミングでもやってみようかなって思ったのよ。もちろんきっかけはあなたの想い出話だけど」
そう言って妻はさっと踵を返すと「夕食の準備ができてるわ」と言ってキッチンに向かった。そしてアルミ製のツッパリ棒から下がる薄手の暖簾を片手でめくりながら私に向かって言った。
「ついでにあなたも会員登録しておいたわ。そろそろ目立ってきたそのお腹をなんとかしなきゃだし、小太りのフェチ中年なんてワタシは勘弁だからね」
フェティッシュ・ヴァリエーション:Case03
ター子の競泳水着
―― 幕 ――
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