【第一幕 江戸、下向】第一章・第一話 乙女の奮戦

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 邦子の手を握って、和宮(かずのみや)はきびすを返した。 ***  翌日、和宮は縁側に腰掛けて、何をするでもなく、裸足のままの足をプラプラと揺らしていた。公家社会では、どんなに寒くても、帝の許可が下りないと足袋を履くことはできない。  足の動きに従って、深紅の袴の裾が、ヒラヒラと揺れる。それをぼんやりと目で追っていると、不意に「和宮」と名を呼ばれた。同時に、コン、と頭に軽い衝撃を感じた。  (つや)のある緋色の髪で覆われた頭に手をやり、目線を上げる。その先には、有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王の面長の輪郭の中で、切れ上がった目元が微笑していた。その鼻筋はまっすぐに通り、唇は穏やかに両端が上がっている。 「……熾仁兄様」  熾仁とは、本当の兄妹ではない。とは言え、彼は和宮の亡き父・仁孝(にんこう)帝の猶子(ゆうし)となっている為、戸籍上は兄妹だ。  しかし、和宮が六歳――実年齢五歳の頃、彼とは婚約の儀を結んだ。ゆえに、彼は将来の夫でもある。  ただ、猶子云々は関係なく、出会った時から和宮は熾仁を『兄様』と呼んでいるし、実際熾仁は兄のように接してくれている。 「どうしたんだい? 今日は浮かない顔だね」 「……そういうわけじゃ」 「そういうわけだろう。ほら、可愛いほっぺが膨れてる」  チョンと頬をつつかれ、和宮はますますお冠になった。 「宮?」 「どーせ、兄様だって知ってるんでしょ?」 「何を」 「あたしが、本当は丙午(ひのえうま)生まれだって。食い殺されるかも知れないのに、婚約までして……怖くないの?」  唇を尖らせたまま、ボソボソと問う。  バレたときが見物だ、などと、あんな風に()き下ろされては、いい気分はしない。今の和宮には、熾仁に露見して嫌われるかもという恐怖より、彼女たちに気持ちのいい見物なんてさせるものか、という意地のようなものがあった。  あのあと邦子に訊いたところ、和宮の本当の誕生日は、弘化(こうか)三年(うるう)五月十日〔一八四六年七月三日〕だという。従って、現在の本当の年は七歳だ。  弘化三年は、干支(えと)に直すと丙午の年で、迷信好きな公家社会では『不吉』ということになるらしい。当然、母やその周囲の(ちか)しい人間はそれを恐れ、和宮が二歳になる頃、年替えの儀を(おこな)ったという。
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