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熾仁はと言えば、帰り道もずっと無言で、橋本家の家人に和宮を預けるや、さっさと帰ってしまった。
転んだことを聞いた藤は、大急ぎで湯殿の用意を若い女房に命じ、湯の準備ができると和宮の衣服を脱がせた。袴の下にあった膝は、案の定、擦り剥いており、肘は打ち身になっていた。
藤は、清潔な布で膝の擦り傷を丁寧に拭いてくれ、全身を清めたあと、打ち身になった肘に湿布をしてくれた。
「――姉様」
「はい?」
その夜、布団に入ってから、いつものように寝付くまで傍に付いていてくれる邦子に、和宮はそっと話し掛けた。
「やっぱり、その……武術、教えてもらえない?」
和宮は、以前から邦子に、武術を教えて欲しいと頼んでいた。宮中行事でことあるごとに彼女が見せる武術の立ち振る舞いに、初めて見た時から魅了されている。
以前にも一度、弓術と馬術を教えて欲しいと頼んだが、『護衛なら自分がいるから大丈夫だ』と断られてしまった。
じっと縋るように彼女を見上げると、彼女はいつもと変わらない、柔らかな微笑で和宮を見つめた。
「宮様。以前にも申し上げましたが、宮様をお守りする為に、この邦子がいるのです。どうぞ、ご案じ召されますな」
(……そうじゃないんだけど……)
案じているとかいないとか、邦子の腕を信じているとかいないとか、そういう問題ではない。ただ、憧れる彼女のようになりたかった。
それに、今日は熾仁にまで迷惑を掛けてしまった。たかが一緒に歩くというだけで、実際に彼は迷惑そうな表情をしていた。
公家や皇室の姫は今時、大体家の中に引き籠もっているのが常識だ。みだりに外を出歩いたり、ましてや馬に乗ったり走り回ったりは、はしたないとされている。
けれど、それではだめだと、和宮は今日の出来事で痛感した。
普通の公家の姫と同じことをしていては、熾仁の心を捉えることはできない。書や歌、華道や香道も、皇族の姫として疎かにはできないが、それだけではだめなのだ。
今のままでは、熾仁は和宮を『妹』か、もしくはそれ以下の『足手纏いなお守りの対象』としてしか見てくれない。
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