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フラエがゆっくり目を開けると、白い天井が目に入る。瞬きをすれば、視界がもっと鮮明になる。
「目、覚めた?」
ミスミがフラエの目の前で手を振っていた。その手を鬱陶しげにはたいてどかす。
「覚めた……」
フラエは起き上がり、額に手を当てて前髪を掻き上げた。結い上げていた髪は降ろされており、紐で束ねていた跡が残っていた。見渡せば、王宮内の騎士団が使用する救護室にいるようだ。今は自分たち以外に誰もいないが、外からは騎士団の訓練する声が聞こえてくる。
「さいあく」
吐き捨てるように言うと、ミスミは呆れたように「発言には気をつけろよ」と釘を刺す。分かってるよ、と毒づくフラエに、ミスミは自分の太腿を叩いて「さて」と言った。
「大変なことになってきたなぁ」
「あのッ……」
馬鹿野郎が、という言葉をなんとか飲み下す。実家を出て研究者になるために、それなりの苦労をしたのだ。今更、足元をすくわれるようなことはしたくない。長い長い溜息をついて、「ずっとここにいてくれたの」とミスミに尋ねる。彼は首を横に振った。
「ずっと側にいて欲しかった?」
「あのバ……いや、……」
あの馬鹿王子以外だったら誰でもいい、という言葉を、なんとか噛み砕いて一般化する。
「ミスミだったら大丈夫」
「本当に、発言には気をつけろよ」
言い含めるような彼の言葉に、フラエは不服と言わんばかりに口元を歪ませたが、しぶしぶ頷いた。ミスミは同情を込めた声で「お前も大変だなぁ」と労わりの言葉をかける。その優しさに、フラエの肩の力が抜けた。彼は貴族として致命的な欠陥をいくつか抱えているが、感情を隠せないことはその最たるものの一つだ。
素直な気質は研究所の仲間からの信頼を勝ち取るために役立ったが、権謀術数渦巻く政治の世界では何ら役立たない。
「グノシス殿下は」
低い声で尋ねると、「陛下に呼び出されて、今二人きりで話してるってさ」と軽い調子でミスミは言う。フラエは頭を抱えて唸りはじめ、ミスミも彼を慰めるように背中を叩いた。
「今日は疲れたろ。発表会は終わったし、早く帰って休めよ」
「うん」
ベッドから降りると、ミスミは「これ、俺が持つよ」とフラエの荷物類を指さした。資料の入った革の大きな鞄に、発表のために準備した植木鉢。
「重たいし。ただでさえ回復しきってないんだから」
「ありがと」
おう、と彼は気安く返事をして、片手に鞄を持つ。植木鉢は小脇に抱えて歩き出し、二人で救護室を出た。
王宮内は広く、途中騎士や文官たちと廊下ですれ違う。彼らは皆それとなくフラエに視線を向けてくるが、いつものことだ。公爵家の次男が早々に騎士団から退団し、勘当された上に研究所へと転がり込んだことは、噂好きなら必ず知っていることだ。
さらに今は、公爵家次男の噂に、自ら得体のしれない植物の子種で孕んで出産したことも加わった。全て事実であり、フラエは特に訂正しないし止めもしない。歩きながら髪は適当に束ね、ひとつにまとめる。ミスミがそれを見て、揺れる髪を顎でしゃくった。
「そういえば、それ、なんで伸ばしてるんだ?」
「願掛け」
フラエは髪の一房を指先に絡め、親指の腹で撫でる。
「魔力は髪に宿る、っていう迷信を、うちの家は信じてたみたいだからさ」
フラエは魔力量が少ない。平民であればそれは何らハンディキャップにならないが、フラエが産まれたのは、将来騎士団で武人として働くことを義務付けられた家だった。
「少しでも魔力を増やして、できるだけ多くの攻撃魔法を使えるようになってほしかったみたい。切ったら切ったで周りから理由聞かれそうで面倒だし、切ってない」
ちらりとミスミの様子を伺うと、彼はこちらを見ずに「そっか」と小さく頷いた。
「お前が研究者になってよかった」
その言葉に、フラエは確かに友情を感じた。思わず照れて「君は、僕のことが好きなのか?」と茶化してしまう。ミスミはその言葉に、いやらしくにやりと笑った。
「好きじゃなかったら荷物なんか持ってやらないよ」
「いひ……」
笑い方! とミスミがフラエを肘で小突く。フラエは思い切り彼の背中を叩いた。ふと外を見れば、窓の向こうに光の玉が漂っている。「お」と声を上げ、ミスミが立ち止まる。
「鬼火だ」
「珍しいね。こんなところで精霊なんて」
精霊とは、純粋な魔力から形成される生命体のことである。通常の生物とは異なって身体が魔力で構築されている。
「不思議だな、単なるエネルギー体が生命を持っているなんて」
ミスミはそう言って、ぼんやりと外を眺めていた。フラエは頷く。
「魔力は、すべての生命の源だからね。だからといって、魔力溜まりから自然と生まれてくるなんて、不思議だ」
基本的に、魔力が魔術師たちによって統制・管理されている王宮内で精霊を見かけるなんてことは稀である。珍しいものを見たな、とフラエとミスミは言い合った。
「どうしてこんなところに発生したんだろう」
「確か、この辺りに霊脈があったよな。西南部だったか?」
「霊脈が活性化しているなら、うちの観測部門が……」
学者が二人揃えば、学問の話になる。二人はあれこれ言い合いながら、寮までの道のりを歩いていった。
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