春を告げる黄色

1/1
30人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

春を告げる黄色

店先のミモザの花が枯れてゆく。 鮮やかな黄色だったそれはだんだんと茶色味を帯びたオレンジ色になり、葉も見るからに萎れて下を向いて…。 毎日通る駅前の花屋のそんな様子を、毎朝通るたびに俺は見ていた。別に見たくて見ていたわけじゃあないんだけど、通勤すると嫌でも目に入るし、目に入れば気にはなるもの。 けれど駅前を行き交う人々の中で、一体どれくらいの人があの花の変化に気づくだろう。マジョリティーじゃないだろうな。別にどっちでもいいんだけどな。今さらだしなぁ。俺の、こういうところ。気にしたってどうにもならないことを昔っから気にしてしまうんだから。 はあ、と小さい溜め息を一つ置いて、俺はいつもの道を歩き出した。数分もすれば、もう違うことを考え出している。 それから仕事が終わって夕方になって、まだ開いている花屋の前でまた思い出すんだ。別に立ち止まってじっと見たりはしないものの、黄色から濃いオレンジへの変化はあっという間で、遠目からでもはっきり分かるくらいになっていた。それが別に悪いことだとか可哀想だとか思っているつもりもないのだが、心躍ることとはちょっと反対側の出来事な気がして、朝のようにまた溜め息を一つ。 「…まぁ、そういうもんだよなぁ」 「造花じゃないですもんね」 「あぁ、確かに…んぇ?」 「どうも、こんにちは…こんばんは?」 「はあ………いや、どちらさま」 ポツリと零した独り言、だったはずの言葉を誰かに拾われて、驚いて声のした方を見ると俺より頭一つ分くらい背の高い青年が立っていた。色のついたサングラスの下の瞳は何色か分からない。柔らかそうな長い茶髪を青年が耳にかけるといくつか輝く銀色が見えた。ピアスか。というか、じっくり見なくても分かるくらい…。 「おにーさん?すいません、そんなに驚かせるとは」 「いや、その…まぁ、驚きましたけど」 視線を合わせるようにこてんと傾げた首筋に、まとめきれなかったのだろう髪が一房流れる。そんなことは気にも留めず青年がサングラスを取ると、中からミモザのように鮮やかな黄色が現れた。 夕方なのに、朝陽が昇ったのかと思った。眩しい。サングラスが必要なのは俺の方かもしれない…と考えるくらいには俺は疲れていたようだ。彼の側を通り過ぎる人みんなが同じような反応をしてきゃあきゃあ騒いでいる。あれが黄色い声ってやつか…元気だな。 でも分かる。店先で咲き誇るどの花より彼は…きれいだった。 いやちょっと待った。見惚れて一瞬思考がどこか行ってしまっていたが、彼の発言を振り返ると気になることが一つ二つ、三つはあるぞ? 「おにーさん考えてること顔に出るってよく言われません?」 「失礼だな。言われ…るけど」 「でしょうねぇ」 「まず君は誰だ?あと、何で俺の思ってること分かった?ていうか芸能人?」 「朝飯は和食派です」 「んー質問と全然関係ない答えどうも!俺も和食派!」 「あはは、混乱してておもろ」 「とりあえず性格悪いんだなってことは分かった」 「えぇー」 いきなり話し掛けてきた朝飯和食派の青年は人が多い駅前から俺を連れ出すと、近くの喫茶店に入った。仕事も終わってるし時間もあるんだが…なにこの展開。店内は大型チェーン店で個室なんてものはなく、周りからの視線が無遠慮に彼と、向かいに座る俺にまで降り注ぐ。でも青年はそんなものはまったく歯牙にもかけず、サングラスを外した瞳でじいっと俺を観察するように見ていた。どっちかと言わなくてもこっちの視線の方が痛いし気になる。初対面で失礼では?と思ったが、俺も俺で彼のことをじろじろ見てしまっていたので他人のことは言えなかった。 でもさすがに見過ぎじゃないか?と思って彷徨っていた視線を青年の黄色に向けると、彼は待ってましたと言わんばかりににっこり微笑んだ。本当眩しいな。 「実は毎朝見てたんだよね」 「は?」 「おれもね、あのミモザの色が変わってくの知ってたんだ」 「…そうなの」 「そうなの。毎朝通り過ぎながら横目で見るくらいだったんだけどさ。どうせおれ以外、誰も気にしてないんだろうなと思ってたし」 そっか。彼も俺とおんなじこと考えてたのかな。彼の話にじっと耳を傾けていると不思議なことに、周りの喧騒が気にならなくなった。さらりと、俯くのに合わせて垂れる髪がやけにゆっくり揺れて見える。 穏やかに話す彼は「でもね」と嬉しそうな色を唇に乗せて続けた。 「なぁんかここ最近、毎朝やたら花屋を気にしてるおにーさんがいるなぁって気づいたの。初めはあの店に気になる子でもいるのかと思ってたんだけど」 「違うし。ていうかいつから…?てか一体どこから見てたの…」 こんな目立つ奴がいたら、いくらあの人通りの多い駅の中でも気づくだろうに。彼は実は忍者なのか、ここぞという時に気配を消すのが上手いらしい。じゃなきゃいくら俺でも気づかないなんてことないだろう。 「いつからだったかな…。でも違うってことはすぐに分かったよ」 「なんで?」 「だっておにーさん、いつも一点だけ見てたし。それに叶わない片想いとかならともかく…もし好きな子見てたんなら、あんな顔しないじゃん?」 「あんな顔」 「寂しそうな、かお」 「…寂しそう?」 きょとんとして呟くと、彼がこくりと頷いた。 寂しそう。さびしそう?俺、そんな顔してたの? 「気づいてなかったんだなぁ」 「そんなの、考えたこともなかったし…」 「そうだよねぇ。でもそれで、何見てるのか分かっちゃって。…ごめんね、嬉しかった」 「それは…同じものを見てる人がいたから?」 「それもあるだろうけど何か…おれに気づいてもらえた気がして」 「ふうん。………うん?」 何を言ったのかはきちんと聞き取れたはずなのに、その意味がよく分からなくて首を傾げた。 俺が見てたのはミモザだし、この青年が見てたのもミモザだ。自分だけだろうと思っていたのに、同じものを見ている人がいて嬉しくなった…ということかと思ったけれど、彼は「自分に気づいてもらえた」と言った。 え、待ってどういうこと。 「もしかしてもしかすると君は…その、あの花の精とか、ですか?」 だって妖精ですって言われても納得できる見た目だし、そういえばあの指輪の物語にエルフ的な感じで出てた気がしないでもない。チャラいけど。ピアスめっちゃあるけど。 「んふっ、待っておにーさ、ふふっ。結構疲れてる?ごめんね仕事終わりに連れ出しちゃって」 「え、違うの?じゃあさっきの気づいてもらえたっていうのは…?いやめっちゃ笑うな君」 「ふふ、だって真顔で…。だめだちょっと待って」 「すげぇ笑うじゃん…」 青年の笑いがおさまるまで俺は注文していたアイスティーをズズズッと啜った。もうほとんど氷しか残ってない。青年の真っ黒なアイスコーヒーは、氷が溶けて色が薄くなって、まだ半分くらい残っていた。 彼の髪色は、どちらかというとこのアイスコーヒーより俺の飲んでいたアイスティーに近いかな。本当はホットにしようと思ったんだけど、今日は暖かかったもんなぁ。さて。 「もういいですか。落ち着いた?」 「はい、すいません。花の精…」 「蒸し返すな。いるかもしんないだろ」 「そっすね。…あー、どこまで話したっけ」 「君が、気づいてもらえて嬉しかった、とか…」 あ。 答え、分かったかもしんない。 顔を上げて、笑い過ぎたからなのか若干の涙を携えて俺を見る瞳はあの花に似ていた。というより、店先に並び始めた時くらいのあの色にそっくりで。もしかしなくても、彼はあのミモザに自分を重ねていたのかもしれないとかロマンティックなことが思い浮かんだ。 とはいえこれを俺が言うのは何だか恥ずかしい気がしたので、彼が言うまで分かんない振りをするか…。ずるい大人でごめんな、チャラい青年。 「おにーさんホント顔に出るよね、もうマジで退屈しないわ」 「出てないし。それより君は…」 「そうだよ、思ってる通りだよ。…おれのこと見てくれてる気がして、嬉しかったんだ」 「………そう、なの」 「そうなの」 ふっと微笑ってから黄色を隠してしまった彼の本当の心の内は見えない。だって俺が見てたのは彼ではなくてミモザだったから。でもあのミモザにも心があったとして、その本心はやっぱり分からない。 俺は俺を通してしか、世界を見られないのだから。そこにはどうしたって俺の勝手な憶測や思い込みが介在してしまう。 何かを言おうとして、でも言葉が紡げないでいると青年が顔を上げた。またおかしそうに口角を上げる。 俺を見る度に笑うのは最早失礼なのではと思ったが、よくよく見なくてもその笑みはただ優しく、馬鹿にする色なんてこれっぽちもなかったので怒る気も起きなかった。 寧ろ…彼が微笑う度に、胸の奥のよく分からないところにほわっと明かりが灯ったようで。やっぱり彼は花の精とかエルフとか、そういう類なんじゃないかと思う。朝飯は和食派らしいけど。そんで俺も和食派だけど。 暫くの沈黙の後、気づけば店の外はもうとっくに暗く濃い青に包まれていた。それとはまるで正反対の朝みたいな瞳を持った青年はその輝きをこれでもかと放ちながらまた俺を見る。俺の黒い瞳とは全然違う、あの花みたいな色。 唇を見なくても、彼が微笑っているのが分かった。 「ねぇおにーさん、おれの名前、知りたくない?」 「あぁ、まぁ。うーん…」 「こんなに悩まれるの初めて。てか自分から声掛けたのも初めてなのにな」 「そうなの」 「そうなの。だから今度さ、二人でミモザの木を見に行こうよ」 「脈絡がないよ、花の精くんや」 そう呼ぶと彼がまた花のように笑った。もう花の精ってことでいいような気がするが、それでは色々と不便なのでちゃんと名前も聞くことにしよう。俺も俺で、彼と同じものを見ていたのかは分からないけれど…この不思議な時間がもう少し続けばいいと思ってしまったのだから。 「あぁ。やっと一年分の料理の特訓が報われそう」 「んぇ、なんて?」 「んーん。こっちの話」 いやいや、ばっちり聞こえたんだけど。 「あのさ、君は…」 「得意料理はだし巻き卵。おにーさん、好き?」 「あぁうん。好き、だけど…」 「よかった。お弁当作っていくね」 「うん。…なぁ」 「ん?」 「一年前って…」 「だいじょうぶ。今年はきっとずっと、ずうっと、綺麗な花が見られるよ」 また支離滅裂で、全然俺の質問に答える気がない。なのに。 彼の瞳に咲く色を見ていたら、その言葉も本当な気がして。また一つ、黄色い花が胸に咲いた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!