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髪と瞳を黒に変えて制服を着ると、ヴィントはどこからどう見ても僕だった。背の高さも体つきまでそっくりだなんて。変装が完了すると、ヴィントはスクールバッグを持って家を出た。
「今から行っても、部活しか出来ないよ」
「部活、いいじゃん! 風太は何部?」
「バスケ部……」
「あ、それなら本で見た! やってみたかったんだ~。楽しみ!」
「期待しない方がいいよ。どうせストレッチだけで終わるから」
「え? なんで?」
「……行けばわかるよ」
「はは~ん。さてはお前、下手くそだな。数合わせにもならなくて、後方支援に回されてんだろ。俺に任しとけ! 汚名なんて吹っ飛ばしてやるよ」
「そうじゃなくて」
「おい、水無月」
体育館に入ると野太い声が呼び止めた。キャプテンの鳴川先輩だ。声を聞いただけで足が竦んでしまう。何も知らないヴィントは、へらりと笑って手を振った。
「ちゃ~す! 今日もよろしく、センパイ♪」
「ふざけてんのか! ほら、さっさと飲み物人数分買ってこい」
「え~、なんで俺? 自分で買えばいいじゃん。箱入りのお姫様じゃないんだから」
ヴィントの奴、なんて態度を!
鳴川先輩が鼻息を荒くしてヴィントの胸倉を掴む。言わんこっちゃない。先輩の逆鱗に触れた!
「忘れたとは言わせねぇぞ。てめぇがポカしたせいで俺らはインターハイ決勝進出を逃したんだ。補欠に残してやってるだけ感謝する立場だろうが!」
「あー、なるほど。要するにいじめられてんのね。アホくさ。こんな木偶の坊の何が怖いんだか」
「なんだと!?」
ガラガラと体育館のドアが開き、顧問の先生が入ってくる。鳴川先輩はヴィントに舌打ちして、準備運動を始めた。
「なんてことしてくれたんだ! あれじゃ後でどうなるか」
「別に、殴られるだけだろ?」
「殴られたら痛いじゃないか!」
「まさかとは思うけど、それが怖くて命投げ出そうとしてんの? バカじゃないの?」
「バカ? 僕が死にたいほど悩んだことをそんな風に言うのか!」
「まぁいいや。事情はわかったし、なんとかしてあげる。拷問も洗脳も慣れっこだからさ」
「え?」
今、さらりと不穏な言葉が聞こえたような……。そういえばヴィントって学生じゃないみたいだけど、裏の世界では何をしてるんだ?
*
部活後、校門を出てすぐ鳴川先輩が道を遮るように現れた。ヴィントは軽口を言ってかわそうとしたが、部員達に左右を固められて空き地まで連れていかれた。
「さっきは邪魔が入ったが、もう一度教育してやる。おい、押さえろ」
ヴィントを羽交い締めにし、鳴川先輩が殴る。唇が切れ、ヴィントがペッと血混じりのつばを吐いた。その後も腹を肘で蹴り上げ、足を踏む。そんなことが暫く続いた後、これで終いだとばかりに組んだ両手を振り下ろすと、ヴィントは地面に崩れ落ちた。部員達はゲラゲラ笑い、飲み残しのスポーツドリンクや溶けたアイスをかけていく。うう、見てられない……。
「ケッ。わかったらもう俺に逆らうんじゃ――」
「もう終わりなの? 本当、どうかしてるよ。骨一本折れてないのに」
「あ?」
ヴィントがむくりと立ち上がる。顔に垂れた液体を手の甲で拭うと、鳴川先輩の方に歩き出した。
「チィ、まだ殴られてぇか!」
「縛れ」
唱えた瞬間、ヴィントの目に怪しげな光が灯る。突風が吹き荒れ、僕や部員達は地面に投げ出された。風が緑の縄を編み、逃げ出そうとする鳴川先輩を縛り上げる。
「くそ、なんだこれは!? 何しやがった!?」
ヴィントは刺すような瞳で鳴川先輩を冷ややかに見つめながら、足を前に進めた。拘束から逃れようと奮闘する指先を蛇のように撫でる。何か嫌なものを感じ取ったみたいで、鳴川先輩が身震いしてヴィントを見上げた。
「指か爪か、どっちがいい?」
「何の話だ?」
「痛めつける場所に決まってるじゃん。髪も結構効くけど、やってみる?」
「脅しのつもりか? いいから放せ!」
「じゃあお前は俺が放せって言った時に放したのかよ? 人のお願いを聞かない奴が人にお願いを聞いてもらえるわけねぇだろが」
ヴィントは鳴川先輩の顎を掴み、額と額がつくまで顔を寄せる。
「自分が特別だとでも思ったか? 何をしても許されると? 俺からすれば紙くず同然の命だよ、お前は。初等魔法で簡単に消し炭になるような、雑魚の中の雑魚」
なんなんだ? 普通の人の顔じゃない。死そのもの、絶対に逆らえない何かを思わせる気迫を放っている。殺気、なのか? こんな人が裏の僕だなんて!
「お、お前をスタメンに戻す。パシリもさせねぇ! それでいいだろ? なぁ!」
「そりゃいい決意だ。けど口ではなんとでも言える。証を作んなくちゃなァ?」
鳴川先輩が野太い悲鳴を上げる。右手がおかしな方向にしなってる。
「クハハ……決ーめた。右肘にしよう。大丈夫、ちょーっと神経は切れるけど、日常生活に支障は……」
「やめるんだ!」
ヴィントの前に飛び出し、必死で叫ぶ。ヴィントはゆっくりと僕に視線を移した。ドクンと心臓が萎縮して体の感覚がさっと引く。人を虫けらのように見る目、引きつった頬。やっぱり普通じゃない。この人は何人も殺ってる!
「なんで止めるの? こいつをどうにかすれば解決でしょ?」
「傷つけられたことを理由に、誰かを傷つけていいわけがない」
「説教? この期に及んで何? そんなガキ臭い綺麗事を信じてるから、こんな下等な奴らに使われる羽目になってんのわかんないわけ?」
「君の苦しそうな顔は見たくない」
ヴィントの目に灯った光が不安定に揺らぐ。僕はもう一歩前に出て、続けた。
「本当は嫌なんだろ? だってヴィント、笑ってるけど全然笑ってない。本物の猟奇殺人者ならそんな顔しない!」
「何をわかったような口を……」
「わかるよ! 同じ顔なんだ。僕がパシられて、惨めで、泣きたくなって、でも泣いたらもっとつけ込まれそうだから、無理やり笑う。コンビニに入る時、ふと窓に写り込んだ僕はいつもそんな情けない顔してた。今のヴィントも同じなんだ。だから……」
「一緒にするなよ。俺はお前みたいな温室育ちじゃねぇ」
「同じだよ! 心があるじゃないか。美味しい物を食べたら喜ぶ、悪戯をしたら笑う、誰かが痛めつけられたら怒る。そんな感情があるじゃないか! ヴィントは普通の人間だよ。傷つく痛みを知った、ただの男の子だよ!」
「うるせぇよ。俺が何をしてきたか、何も知らないくせに!」
「知らないよ! でも君が傷ついてるのはわかる。これ以上自分を痛めつけないで! お願いだから!」
ヴィントの目の光が溶けるように消える。風が止み、解放された鳴川先輩はその場で腰を抜かした。ヴィントはふぅと息をつき、袖口で目をゴシゴシとこすった。
「死にたがりのくせに俺の心配かよ。どうかしてるな、裏の俺」
「……」
やれやれと首を振り、空き地から去っていく。一人にしてはいけない気がして、僕はヴィントの後を追った。
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