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1-10. 狩りは順調あとはどう料理しようか③
「いま使われてる個室はひとつだけだ」
「新薬の試験をされているのがひとりだけ、ということですわね? それはデータとしての正確性と有用性に欠けそうではなくて? するならせめて1000人は必要ではないかしら」
「おっそろしいこと言うな、あんた」
半地階の個室は、どの扉も外からかんぬきで施錠できるようになっていた。ここも地下と同じく、まるで全体が牢獄のようだ。
テンに案内され、個室のドアをノックする。
少し待って、もう一度 ―― 返事はやはり、ない。
返事する気にならないのもわかるけれど。
―― と私は思ったのだが、実際には別の理由があった。
「失礼しますわね」
かんぬきを外して中に入ると、まず目にとびこんできたのは、投げ出された脚だった。
黒いくるぶし丈のスカートと黒のローヒールの靴は、侍女課の生徒の制服だ。
制服の上は、中央にひだがよせられたトップス。肩の部分が膨らんだタイトな袖や、学年で色分けされた首もとのレース飾りがかわいい。
―― けれどいま、レース飾りよりも目立っているのは、そのすぐ上だ。
あごにかかった、白いひも。
引き裂かれたシーツをねじって使ったのだと、簡素なベッドの上を見てすぐわかった。
ひもはあごの下から両側にのび、椅子の背につながっている。
がっくりとうなだれたうなじには、識別番号の類いだろうか。 『B』 の飾り字が彫られて、赤く腫れあがっている ――
「おい! 大丈夫か!」
テンがナイフを出して、ひもを切った。
そのまま床に横向きに寝かせて、手首をとり、脈をたしかめる。
「良かった…… まだ生きてる」
「首を吊ってから、さほど時間はたっていないようですね」
セラフィンが闇魔法をかけると、黒いドレスの胸が大きく動き、彼女ののどがひきつるように咳を出した。
ひとしきり咳き込んだあと、夕空の色の瞳がうっすらと開く。
「あなたはステラね?」
「…… メアリー? ごめんなさい、あなたの言うことを聞けばよかった…… ごめんなさい」
「どうやったら間違えるのかしら? わたくしはヴェロニカ・ヴィンターコリンズでしてよ」
「そう…… 間違えていたわ」
ステラの目から涙がにじみ、やせた頬骨をつたって床へと落ちる。
「わたし、あのとき、王子のコネを得るわたしをあなたが嫉妬して引き止めてるんだと…… そう思っていたの。醜い心根を、神さまが見てらしたのね。罰を受けたんだわ」
「思い上がりもはなはだしくてよ、ステラ? 多忙な神さまが、あなたごときモブの侍女見習いなど、目に止めるものですか」
私は悪役令嬢らしく腰に手をあて胸を張ってアゴを上げ、偉そうに言い放ってみた。けっこう気持ちいいな、これ。
「神がお目に止めるのならば、アホなゴミクズ王子のほうでしょうよ。そして彼を粛清するため、わたくしがこうしてここに存在することこそが、神の采配なのですわ。あなたではなくてね!」
「メアリー…… そんなこと言ったら、不敬になってしまうわ…… でも、慰めてくれてるのね、ありがとう…… 」
「どういたしまして。わたくしは、ここまでキャラを際立たせたつもりがメアリーに負けて、少々凹んでいますけれども」
「ふふふふ…… なんだかよくわからないけれど、面白いわ、メアリー。最後にあなたに会えて、良かった…… 」
ステラは再び、目を閉じた。
『できればあなたともう一度、日の当たる中庭でランチしたかったわ』 などと呟いて。
あまり私の趣味ではないが、ランチくらい、したければいくらでもするといい。
―― ゴミクズと詐欺師女を片付けて、キレイになった神の庭で。
ともかくも、見るべきものはすべて見た。
ヨハン王子とアナンナをどうするかも、決まった ――
「さて、そろそろ戻りましょうか…… セラフィン殿下。彼女を運んでいただけます?」
「きかれるまでもありません」
セラフィンが気を失った少女を軽々と横抱きにする。
私たちはそのまま、館をあとにした。
馬車まで戻ると、ヨハン王子とアナンナは気絶して地面に倒れていた。とりあえず馬用のこもで簀巻きにし、馬車の床に転がして公爵家に運び込むことにする。
ふたりを運ぶのを手伝ってくれたのは、馬車の外で待機していたヨハン王子の騎士とアナンナの従者 ―― 彼らもとうに主人には愛想がつきており、公爵家で雇う旨をエサにスカウトすると、喜んでこちらに乗り換えてくれたのだ。
ちなみに騎士も従者も残念ながら、ゲームではセリフも姿もない完全モブである。
「あなたがたは、このあとどうしますの? 」
「オレは、このままここで、しばらく待ちます」
「私も。騎士ザディアスどのの救助活動をお助けしますので」
「それは助かります。ありがとう」
「とんでもないです!」 「その程度では償いにはならないでしょうが…… 」
口々に言う従者と騎士。
―― これまで、どれだけアナンナとヨハン王子の悪行を見てきたのだろう。
なにもできずに耐えているだけ、ってつらいもんね。
私はもういちど 『ありがとう』 と繰り返して馬車に乗った。
「ステラ! 無事だったのね!」
馬車で待っていたメアリーは、セラフィンに抱きかかえられたステラを見て、ほっとした顔をした。
メアリーと私が隣どうしに座り、向かいにセラフィンとテンが腰をおろす。
「ステラはちょうど、首を吊っていたのですよ。少し遅ければ、どうなっていたことか」
「……! ステラ、かわいそうに…… 」
馬車が動きだす。
私たちはメアリーに、館の少女たちが媚薬の開発試験に使われていたことを説明した。
メアリーは何度も絶句して涙ぐみ、足元の王子とアナンナをにらみつける。
説明が終わったころには、メアリーは両手を握りしめて、震える膝の上に置いていた。
王子たちを蹴飛ばしそうになるのを我慢しているようだ…… 別に、好きなだけ蹴ればいいのに。
「ヴェロニカさま。これから、このひとたちをどうするんですか?」
「そうね…… とりあえず、テンとセラフィン殿下。偽装工作を、お願いできます? この人たちが偶然、事故に遭ったかのように…… 死体は、アナンナの従者とヨハン王子の騎士も入れて、4体必要になってしまいますわ」
「おやすいご用」
テンがうなずき、セラフィンが怪訝そうな顔をした。
「私は一応は王族ですが…… ヴィンターコリンズ令嬢がこのふたりに死を与えたいと言うのならば、止めはしませんよ。あれだけのことをした者たちの生命を救ってやるいわれはありません」
「…… では、もしわたくしが、ヨハン王子とアナンナをあの娘たちと同じ目に遭わせたいと言っても、賛成してくださいます?」
「私は常にあなたの味方だと、言ったはずですよ、ヴィンターコリンズ令嬢」
「ええ。もちろん覚えていましてよ。心強いですわ、セラフィン殿下」
私が右手を差し出すと、セラフィンはまるで壊れものを扱うようにそっと指先にふれた。
「俺には握手してくんないの?」 とすねるテン、続いてメアリーとも握手を交わし、私は計画を打ち明けた。
「ヨハン王子とアナンナは、真実の愛を貫いて駆け落ち中に運悪く事故に…… 適当な死体の顔を潰してふたりの服を着せれば、偽装できるでしょう?
そして本人たちは、公爵家の地下に監禁。ふたりの世話になった娘たちが回復したら希望者を公爵家のメイドとして雇い、ふたりの面倒を見てもらいましょう。殺さなければなにをしてもいいという条件つきでね」
「同じ目にあわせるにしては、ぬるすぎないか、それ」
テンが首をかしげた。
「お嬢さんたちが、あんたほどヒドい人間だっていう保証はないぞ? みじめな姿で懇願でもされたら、ほだされるのもいるんじゃないか?」
「そのときはそのとき、それはそれ、でしてよ。ようはあの娘たちの心の傷が癒えればいいのですから…… それに、アナンナとヨハン王子を飼う目的は、もうひとつありますの」
「なんだ、それ?」
「同じ目に…… ですよね?」
テンが身を乗りだし、メアリーがぽん、と両手を打った。
「媚薬の開発試験にこのふたりを使ってひともうけ、ってことですか?」
「そうね、メアリー。当たらずとも遠からず、といったところですわね」
合っているのは 『試験に使う』 ところだけだけれども。
媚薬だなんて優しすぎる。それに、私が今ほしいのは、お金ではなくもっと別のものだからね。
「―― 続きは公爵邸で話しましょうか。きっと、賛同してくれると思いますわ」
私が言い終わったときちょうど、馬車はヴィンターコリンズ公爵家の門に入っていった。
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