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1-3. 転生か脳の異常かって当事者には割とどっちでもいい③
「侍女課3年、メアリー・オーフェルンにございます」
「あら、あなた、とってもきれいですね、メアリー」
「えと、その…… どどど、どうもありがとうございますっ 」
学園の一角にあるヴィンターコリンズ専用サロンの入口でおずおずと淑女の礼をとった彼女をひとめみて、私はまず、ほめた。
きれいな若草色の髪と澄んだ翡翠の瞳。すらりと背が高く、モデルにもなれそうなほどスタイルがいい。顔立ちは地味だが、よく見れば整っていて、メイクをすればかなりな美女になるだろう。
本人には自覚がないのか。ほめられると顔を赤らめてどもるところが、なかなかいい。
彼女を味方につけよう、と私は決め、ドリスにメイク道具を用意して部屋から出ていくように告げた。
ドリスがそろえたメイク道具はどれも、現代日本のものに近かった。使い方はほぼわかる。
余談だがこの世界では、高度な技術力がいりそうな品はすべて魔法で作られている。
魔道具というやつだ。上下水道も街灯もそれで完備されている。
発動には、呪文…… この世界では 『魔導方程式 = 魔導式』 と呼ばれるものを唱える。
魔力がない者でも、魔力石と魔導式さえあれば魔道具を使える便利仕様。
さすがはご都合主義とロマン優先のゲームっぽい世界である。
「わたくしがメイクしてあげますわ、メアリー。 ねえドリス、いったん席を外してくださいな。そして、わたくしが呼びましたら戻ってきてくださいね。きっと、驚きますから」
「かしこまりました、お嬢さま」
ドリスが部屋から出ていくのを見届けて、私はメイク用の下地クリームを手に取った。
お嬢さまの気まぐれな遊び ―― はためにはそうとしか見えないだろうが、それだけではない。
至近距離でメイクをしながら話せば自然に小声になり、扉の外から聞き耳をたてても話の内容はわからないだろう。
第三王子とヒロインのやらかしについて聴くには最適だ。
「メアリーは、お肌が少し乾燥ぎみですね。保湿はしていて?」
「いえ、とくには」
「保湿は毎日きちんとしたほうがよくてよ。あとで化粧水とクリームを届けてあげますわ。情報提供料としては安すぎますかしら?」
「いえ、そんな…… 」
パッチテストをするためにとったメアリーの手が、びくりと震えた。
私はメアリーの手の甲に少量のクリームをつけ、反応を見ながら小声で話す。
「気づくのが遅くなってごめんなさいね。第三王子殿下と聖女候補を止められる者は、わたくししかおりませんでしたのに」
「いえ、そんな。ヴィンターコリンズ公爵令嬢のせいではありませんから」
「ヴェロニカと呼んでくださいな。わたくしたちはもう、協力者どうしでしてよ」
なんのことだか?
事情など私ももちろん、わかってはいない。ただ 『情報提供料』 ということばをメアリーは私の予想より重くとり、反応した。
それならば、ヨハン王子とアナンナは、よほどのことをしているはず……
考えつつメアリーの手の甲を確認する。
パッチテスト、よし。
私がメアリーの顔に下地クリームを塗り終わったとき、メアリーが口を開いた。
「アナンナさんは普通科ですけど、侍女科棟にもしばしばきていて。アナンナさんと相部屋だったステラが侍女科で、侍女科の子のほうが家柄が近くて話しやすい、っていうことだったんです」
「アナンナさんは子爵家の養女ですものね」
「はい…… 気になったのは、ステラがいなくなってからでした。アナンナさんがヨハン王子殿下と、その、親しい関係になってるのは学園じゅうの噂ですけど…… 」
「知ってますから、気になさらないで」
メアリーがちらっと私の顔色をうかがうので、私は明るくほほえんでみせた。
そのまま、メイク用のブラシで薄くファンデーションをつけていく。メイクは初めてのようだから、ナチュラルにしておこう。
「ステラは、アナンナさんからヨハン王子殿下を紹介してもらえる、って喜んでたんです。わたしたち侍女科の生徒の目標って、王宮か高位貴族の…… できたら奥さまやお嬢さまの専属侍女、なので。国王から溺愛されてる第三王子とのコネ、なんていったら、欲しがらない子はいないでしょう」
「そうですのね」
なるほど。だから私の護衛騎士は、割かし簡単に面会を取り付けられたわけだ。公爵令嬢とのコネもまた、侍女科の生徒にはご褒美だろう。
私はメアリーの話を待ちつつ、メイクを続ける。ごく淡い青みがかったピンクのアイシャドウを選び、メアリーのまぶたに軽く置いた。もともとの肌色に近いから、自然に目元が明るくなる。
次はマスカラ…… 私が色味を選んでいるあいだ、メアリーがふたたび口を開く。
「…… でもそのあと、ステラは消えました。先生はステラは急に決まって他国に嫁いだ、と…… ご家族に聞いても、同じことを言われたんです。そして、これ以上はもう聞いてくれるな、と」
「なにか、ありますわね」
「はい、たぶん…… それに、ステラだけじゃないんです。アナンナさんと親しくなった子は、もう何人か。でも、誰もなにも言わなくて…… 」
「わたくしも、それで気づくのが遅くなってしまいましたわ。けれど、どう考えても不自然ですものね」
「そうなんです! 良かった…… わたしだけじゃなくて」
もちろん気づいてなんていなかった。前世を思い出していなかったころの私は、かなりぼんやりした子だったのだ。
―― でもここで小さな嘘をつくのは、メアリーを安心させるためである。
(ちなみにステラは、ゲームではチュートリアルでヒロインの同室として色々おしえてくれるキャラだった。チュートリアル以降見かけないのが、裏でなにかあったせいだったとは)
マスカラは結局、無色のものに決めた。
透明マスカラでメアリーのまつげに自然なカールをつくる。それだけでも、まつげが長く目が大きくなったように見える。
チークはささないことにし、リップはほんのわずか、目立たないように色をのせるだけ。
しあげは、つけすぎてテカらないよう注意しながら鼻筋やアゴに銀粉を散らしていく。ハイライトを微妙に強調するテクニックだ。
メイクをした感はまったくないのに、華やかめな美人顔の完成である。
「すごい! わたしなんだけど、わたしじゃないみたいです」
「いいえ、これがあなたの実力なのですよ、メアリー」
鏡の前で盛り上がりつつ 「ほかになにか知っていることはありませんの?」 と尋ねてみる。
とたんに、メアリーの笑顔はひきつってしまった。
「大丈夫ですよ。なんでも話してくださいな?」
「あの、ステラの家の人が…… 実家に迷惑かけたくなければ、これ以上は絶対に首をつっこむな、って。この国で暮らす以上はどうにもできないから、って…… 」
「わかりましたわ。ありがとう」
ほうほう、つまりは国家権力でにぎりつぶしたいほどのことを第三王子とヒロインはしている、と。
これは、なかなか楽しいことになりそうだ ――
私はメアリーを安心させるようにほほえんで、最初の約束どおり、メイクの仕上がりを見てもらうためにドリスを呼んだ。
ドリスもまた年頃の少女らしく、メアリーの変身ぶりに驚き、素直にほめてくれた。
恥ずかしいのと嬉しいのが半々のような表情で照れるメアリー。やはり、かわいらしいではないか。
「ではね。今日はありがとう、メアリー。またいつでもメイクしてあげますから、いらっしゃいね」
「そんな、おそれおおい…… 」
「あら。わたくしたちはもう、おともだちでしてよ。ね、メアリー?」
「は、はい…… では、ごきげんよう、ヴェロニカさま」
メアリーが去ったあと、ドリスがメイク道具を片付けはじめた。
ちらちらとこちらをうかがっているのは、おそらくはドリスがこんなヴェロニカお嬢さまを知らないからだろう。
「ドリスもこんど、メイクしてあげましょうか?」
「けっこうです。どうせ子豚ですから」
「子豚ってかわいいですわよね。わたくしは好きですよ」
「さようでございますか」
ああ、これはダメなやつだ。
まったく以前のヴェロニカときたら…… 専属侍女に子豚ちゃんなんてあだ名をつける余力があるなら、名前をきちんと覚えればいいのに。
ちなみに悪口のつもりはなく親愛の情からだったが、当然ドリスには通じていない。
はっきり言って、バカだよヴェロニカ。
―― ともかくも、第三王子とヒロインの裏の顔については、もっと調べなければ。
そうは決めたものの残された時間は少なく関係者の口は固く、有力な情報が得られぬままに私はゲームのエンド ―― 卒業式の日を迎えてしまった。
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