281人が本棚に入れています
本棚に追加
5-7. 婚約者との午後は好みのコーヒーとわるだくみで③
【マルガレーテ (前王母) 視点】
「マルガレーテさま。また、そのようなものをご覧になって…… 」
「心配しないで、ニナ。眺めていると落ち着く…… それだけの話ですから」
マルガレーテは武骨な金属の腕輪を丁寧に布でくるんで机の引き出しに入れ、鍵をかけた。
背後では侍女のニナが、ほっとしたように息をついている。
『おしゃべりな侍女に、この腕輪の中身をこっそり明かされると良いでしょう』
宰相の指示に従い、ニナに毒のことを打ち明けたのは正解だったようだ。
釈放されたリザを冷たくあしらった、あのあと ――
マルガレーテはわざと自室の机のうえに腕輪を置いておき、側仕えの侍女たちを全員呼んで散歩に出た。
戻って確認すると、腕輪の中身は半分減っており、机に少し白い粉がこぼれていた。
これもすべて、宰相が腕輪とともによこした指示どおり ――
『サープと娘には、結婚式前夜をあなたの教会で過ごすよう進言しています。亡き国王2人を忘れぬために、との忠告を、ふたりは素直に聞いておりました。
―― あとは、あなたは何もせずとも、すべて。
あのメイドが勝手にやるでしょう。
もし失敗しても、あのメイドはあなたの名を出したりはしますまい ―― 忠実な使用人は、持つものですな』
すでに燃やしてしまったメモを、マルガレーテは頭のなかで読みなおす。
―― もし万一、リザが失敗したならば……
『一切関係ないと言い張り、信じていたのに裏切られたと嘆いてみせ、彼女に対して厳罰を望まれるのがよろしいでしょう ―― すべて、あのメイドの責任にするのです』
―― そうまでされても、リザがマルガレーテの名を出さない保障は…… 果たして、あるのだろうか?
(そうですね…… 失敗したら。いえ、成功しても。あの子は…… また、宰相に相談しなければなりませんね…… )
ナサニエルを勝手に慕い、まとわりついていたメイドだ。
究極の話、すべてはナサニエルの出生の秘密と名誉を守るためなのだから……
もしも宰相が賛同するなら、彼女も喜んで生命を捧げるべきではないか ――
そこまで考えて、マルガレーテはほっと息をついた。
背後でニナが、けげんそうに首をかしげる。
―― つい先ほどマルガレーテは、散歩から戻ったところを、国王の侍従のひとりにつかまったばかりだった。
彼がニナのあるじに告げたのは、5日後にせまった国王の結婚に関すること。
ナサニエルが亡くなってさほど時間が経っていないのに、予定は変更できないからと行われる結婚式である。
ニナもそばで聞いていたが、多少、無神経ではないかとは思った。
―― いまのあるじの態度を見るに、やはり、気にくわなかったのだろうか。
「マルガレーテさま? さきほどのお話、お気に召さないのならば、お断りされてもいいのでは…… 」
「国王陛下が、結婚式前夜を城の聖堂ではなく、この教会で過ごす件のことですか? 別にかまいませんよ…… わたくしたちは、立ち退いたりしなくても良いのでしたね?」
「はい。その必要は、ないそうです。令嬢とおふたり、小礼拝堂にこもるだけですので、マルガレーテさまは特になにもしなくて良いと…… 」
結婚式の前夜に聖堂にこもって一晩中、神に祈りを捧げるのはこの国の風習である。神から結婚の許しを得るためだ。
―― もっとも、彼らがそこで実際は何をしているかはそれこそ、神のみぞ知る、といったところだけれど。
「なにもしなくても良い、とは言っても、夜食の用意ていどは、せねばならぬでしょう。明日、厨房に伝えておくように」
「かしこまりました」
「よろしくね。もう休みますから、さがりなさい」
「はい。お休みなさいませ、マルガレーテさま」
侍女がさがると、高い天井からのしかかるように静寂が降りてきた。
マルガレーテはベッドに入り、身体をまるめて手で耳をふさぎ、ぎゅっと目を閉じる。
あと、7日 ――
もしも国王たちが予定どおりに式前の夜をこの教会で過ごすならば。
7日後の明け方、小礼拝堂には冷たくなった骸がふたつ、転がっていることだろう。
国王の結婚が神の意に添わず、祈りが受け入れられなかった結果 ―― 宰相はそう公表するに違いなく、死因が深く探られることはないだろう。
宰相は彼の望みどおり王位を継ぐだろうし、そうすればしばらくは、マルガレーテに恐ろしいことを言ってはこないだろう。永遠にではないかも、しれないけれど。
(とにかく。このような思いをさせられるのも、あと7日のしんぼうです…… )
マルガレーテはベッドのなかで身を縮めたまま、己に言い聞かせた。
―― 悪いのはすべて宰相であり、自分はいつだって、ただ操られるだけの憐れな人形にすぎないのだ ……
※※※※※※
【リザ・カツェル視点】
「こんなしごとばっかりじゃ、いつまでたっても側仕えに戻れないわ」
リザは皿を次々と洗いながら、イライラとひとりごとをもらした。
保釈されてから、4日 ――
―― 首尾よく毒を盗めたのは良いけれど、使う機会にはいっこうに恵まれない。
リザが厨房で与えられた仕事は、皿洗いに薪運び、床磨き ―― 城とは違い、使用人の数が少ない教会は忙しい。そして国王は、こちらに姿を見せることすらない。
(このままじゃ、一生下働きじゃないのお!)
不満をぶつけるようにガチャガチャと皿を重ねていると、ふいに 「こら! 扱いが荒い!」 と頭をはたかれた。
先輩のメイドだ。ずっと下働きで、妃の側仕えに一度もなったことがないくせに、リザに厳しくあたってくる。
「まったく、皿ひとつ洗えないなんて…… なんでこんな子をわざわざまた、拾ったのかしら」
ブツブツ言いながら、彼女はアゴで厨房の隅を示した。
「きなさい。国王陛下の結婚式前のおこもりのクジ引きだよ」
「クジ引き?」
「一晩中起きて、お夜食や飲み物をご用意してさしあげる役よ。キツいけど、当たったら翌日は丸一日休みだからね。もし行きたければ、結婚式のパレードも見に行けるよ」
「だったら、わたしがやります!」
リザ自身が信じられないほど大きな声が出た。
厨房のみなが顔をあげて注目するなか、リザはさらに大きな声を出した。
「やらせてください! わたしは城でも配膳を担当していましたし、簡単なものでしたら、作れますから!」
「ま、まあ…… いいと思うけど。ねえ?」
リザの勢いにたじろぎつつも、先輩メイドがみなの顔を見回す。
ほっとしたような表情がいくつも並んでいた。
一晩中起きてお偉いさんの世話なんてとんでもない ―― もともとがみな、そんな気分だったのだ。
翌日に休みがもらえるとはいえ、その夜の責任はとんでもなく重大。そのうえ、なにかそそうでもあれば確実に格下げ ――
厨房より下となるとあとは、洗濯係かドブ掃除か…… とにかく、イヤである。
「お願いしますう! わたし、頑張りますから!」
必死に頼みこむリザを、みなは半ばしらけて眺めた。
(この子ったら。国王夫妻の目に止まれば、出世できるとでも思ってるんだね…… 下働きでそんなこと、あるはずないのに)
誰もがそう思っただけだった。
「やらせてやったらいいんじゃない?」
ひとりが言い出すと、あとは簡単だった。
わざわざ反対する者など、誰ひとりとして、いなかったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!