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5-8. 婚約者との午後は好みのコーヒーとわるだくみで④
【ヴェロニカ視点・一人称】
はるかな昔。精霊と人間がまだ普通に話ができていたころ ――
精霊の娘と人間の若者が恋に落ちた。
最初、神はふたりの結婚を許さなかった。
そこで、ふたりは神に捧げものをして一晩祈り続けた。
神は心動かされ、ふたりの結婚を許して加護を与えた。
以後、人は結婚式の前夜、神に捧げ物をして加護を祈るようになったのだ ――
「そうは言いましても、そもそもほかの人間たちにまで神が加護を与える理由も必要もありませんわよね。といいますか、精霊に人間と同じ生態を当てはめることの無理につきましては、もっと早くにどなたかがツッコミを入れるべき、と存じますわ? あれは100%、ただの伝説ですわね」
「つまり、結婚式前のおこもりが大変、不本意だとおっしゃりたいのですか、令嬢?」
「いいえ。単なる、かわいいおしゃべりでしてよ」
アースカラーの瞳が、見透かそうとするようにじっとこちらに向けられた。
街の精霊術師、グレンの診療所 ――
結婚式前のおこもりが目前にせまった昼過ぎ、ここを私が訪れたのは、先日の解呪の結果を報告するため。
そして今後、彼の協力をあおぐため ――
解呪の結果報告にかこつけて、私はさらりと父とマルガレーテが結託していた事実をグレンに告げた。そして父が王位を狙っていることをも。
(私の予想では父の真の目的は違うところにあるが、ここはインパクトとわかりやすさを優先)
グレンが戸惑うのも、あたりまえ ―― 他愛ないおしゃべりと称しつつ、重要事項をガンガン混ぜこんで話しているのだから。
それでも私は、口を止めない。
なぜなら、すでに彼を巻き込むことに決めているから ―― 恨むなら街いちばんの精霊術師の評判と自身の人のよさを恨んでね、グレン先生。
「ヴィンターコリンズはこうして、実力者の血筋であると喧伝しながら決して表に出ることなく、存続してきた家ですのよ。
ヴィンターコリンズを得る者は王位を得る ―― という、立ち位置ですの。
ですから、建国以前よりこれまで、王家はたまにすっかり変わりますけれど、ヴィンターコリンズの血脈は途絶えることはございませんでしたわ……
ですが、わたくしの父は目先の私利私欲にとらわれ、滅びの道を急ごうとしています。ヴィンターコリンズは、王になってはなりません」
「…… 令嬢。それを私に言われても、私の手には負いかねますが」
「グレン先生に、父を止めるようお願いしているわけではございませんわ? そのようなことは、こちらですべて、いたしますもの ―― ただ」
「ただ? 令嬢の言われることが無理だと判断しましたら、私は一切を聞かなかったことにしますが」
「わたくし、ただ、父がことを起こすまえに、そのあやまちを心から反省していただきたいだけなのです…… そのための施術を、先生にはお願いしとうございますの」
「…… 禁をおかせと、言うのですか」
「その禁を作ったのは父で、その父が都合により禁を破りましたケースが、わたくしですわね」
グレンの表情が、みるみるうちに曇っていく。
根が正直で善良な彼は、自分と同じ精霊術師が幼い子どもに対して禁をおかしたことが、許せないのだ。
そこが、私のような者に付け入れられるもとにもなってしまうのだが。
「この国の精霊術師たちは、みな、父の味方でしょう?
―― わたくしには頼りになるかたは、先生しかいらっしゃいませんわ」
「私も精霊術師ですから、宰相閣下は恩人には違いないのですよ」
「ですが、先生は良心を持っておられますから…… わたくし、先生の良心にすがって、お願いしておりますの…… 父がこれ以上、破滅の道を歩まぬためにも、ご協力いただけませんでしょうかしら?」
「ですから、私にそのような力は」
「ありますわ」
グレンの色素のない指先に、私の指先をそっと重ねる。
「ヴィンターコリンズのお抱えが、なぜ、あれほど強い力を持つか、ご存知?」
「それは…… 」
「祖先が精霊、などという荒唐無稽な伝説が真実とみなされるほどに、精霊の加護の強い家 ―― 神の加護は、ただの迫害逃れのための後付け伝説ですけれども、精霊の加護のほうは本物ですのよ?」
精霊は気に入った人間に力を貸す。
その基準が何なのかはよくわかっていない。精霊術師は平民のなかにもランダムに現れるからだ。
だが、血筋がまったく関係ないかというと、そうでもない。
精霊にとって力を貸したくなる家系というのはやはり存在するらしく、ヴィンターコリンズの血筋も、まさに精霊ホイホイと言っても良いほど ―― それは、貴族らしく魔力を得ることを優先させて家門から精霊術師を輩出しなくなった今でも、そのままである。
そして現在その恩恵を受けているのはもっぱら、ヴィンターコリンズと血の契約を結んだお抱え精霊術師 ――
「試してごらんになります?」
「いえ…… そんなことを安易に、おっしゃらないでください、令嬢」
「安易に言っているつもりはございませんわ。グレン先生だからこそ、父を止めていただけるのでは、ないかと…… そして、いずれは…… 先生には、わたくしの精霊術師になっていただきたいと、心の底から願っておりますのよ?」
グレンの目に迷いが生まれる。
力と、それを得るための大義名分の両方を鼻先にぶら下げてあげたのだ。
いくら正直で実直な精霊術師でも…… 普通なら、くいつくでしょ。
「…… 考えさせてください」
「わかりましたわ…… 大変なことをお願いしている自覚は、ございますのよ? ですからどうぞ、無理はされず、じっくりお考えくださいませね」
うつむいたアースカラーの瞳をのぞきこむようにして私は〆のセリフを吐き、立ち上がる。
「もしお断りになっても、わたくし、気にいたしませんから…… 先生の正義に従われた結果と、わかっておりますもの」
では、と完璧な淑女の礼を披露してみせる。
グレンの戸惑いには気づかぬふり ―― この私の敬礼の価値をわかっているようで、なによりだ。
王宮に戻ったときにはすでにお茶の時間を過ぎていたが、セラフィンは待ってくれていた。
「なにをしていたんです?」
「ほんのちょっとだけ、わるいことを」
「わるいことは…… 「わかっていましてよ」
コーヒーの甘く苦いかおりを、私はふかぶかと吸い込む。
「成功しましたら、なかなか楽しいことになりそうですの…… 一緒に楽しみましょうね、ラフィー?」
「しかたないですね」
セラフィンが私に直接、コーヒーカップを渡してくれる。指がふれあうとき、私たちは自然にほほえみあっている。
今後のスケジュールを考えれば、これが、結婚前の最後のお茶の時間 ――
この時間が結婚後どうなるか、なんて、わからないけれど。
わからないからこそ、ワクワクして楽しい。
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