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 レムはテーブルにほおづえをついて、蜂蜜の皿を一生懸命に舐めているクウを眺めていた。  クウのまるまった身体は、ふわふわの金の鞠だ。小さな耳と真珠色の角がちょこんと突き出ている。ピンク色の舌は意外に長く、粘りけのある蜂蜜を上手にすくい取っては口に運ぶ。そのたびにうっとりと幸福そうな顔をするのが可愛らしかった。こんなすてきな生きものを、誰にも見せてやれないのは残念だ。 「不思議な子だね」  レムはつぶやいた。 「蜂蜜だけで、よく生きていられるな」  レムは、クウの角を指先でちょっとつついた。  クウはレムを見返して、前足で角をこすった。手を差し出すとそこを伝ってレムの肩によじ登る。首筋をぺろりとなめられ、くすぐったさにレムは思わずクウを払いのけようとした。 「くすぐったいよ、クウ」  クウが怒って噛んだらしく、首がちくりとした。 「こら!」  クウはレムから飛び降りて、長椅子にけだるげに座っていたリューの髪にもぐり込んだ。髪の間から、首をかしげてこちらをうかがっている。  レムはくすりと笑った。 「いいよ、許してやる」  クウは顔をひっこめた。リューの肩の上で寝るつもりなのだろう。  村のサリアおばあさんが転んで腰を打ったということで、フォーヴァは治療に出かけていた。そのせいか、リューはどこかさびしそうだ。  村の男たちと接触させるわけにはいかず、フォーヴァはリューを魔法でこの家につなぎ止めていた。外には出られないし、仲間のもとにも戻れない。可哀想で、なんとかしてやりたいと思う。しかし、フォーヴァにもできないことを自分ができるわけはない。  そんな思いでレムはリューを見つめた。リューはレムを見返して微笑み、すっと立ち上がった。  近づいてきたリューの目尻に、以前はなかった皺を認めてレムはぎょっとした。  リューは、さらに歳をとっていくようだ。変化があまりにも早すぎる。クウは何一つ変わっていないというのに。  リューは両手を伸ばし、レムを抱きしめた。驚く間もなく屈み込み、リューはレムの肩に顔をうずめた。 「リュー!」  レムは夢中でもがいたが、リューの力は意外なほど強かった。  レムは首筋にリューの唇を感じ、ついで鋭い痛みを覚えた。さっきクウに噛まれたところだ。レムが力いっぱい押しのけると、リューは簡単によろめき、倒れ込んだ。  レムは息をあえがせながら首筋に手をやった。痛みはなくなったが、指先に血がついた。  ぐったりしたリューの髪の間からクウが飛び出してきた。すばやくレムの身体をよじのぼり、右肩にしがみついた。 (たすかった)  頭の中で声がした。 (血の引き継ぎが完了したわ)  レムは動転したままクウを振り払おうとした。しかし、できなかった。  かわりに、身体は自分の意志にかかわりなく動きはじめた。床にうずくまったままのリューをなんなく抱え上げて長椅子に座らせたのだ。 (自我を持ったものに寄生するのはやっかいね) (クウ)  レムは、自分の心に巣くったものに問いかけた。 (クウなのか?) (リューはもう役にたたないわ)  クウは言った。 (おまえの血が受け入れられるものでよかった) (いやだ! 離れろ) (そうはいかないの)  首筋がちくりとした。こんどは、クウが自分の血を吸っているのがわかった。あの長い舌を管のように差し込んでいるのだ。  レムはふらふらと倚子に倒れ込んだ。 (大丈夫。たいした量は必要じゃないから)  レムの頭の中に押し寄せてきたのは、クウの記憶だった。クウとリューのいた世界。二つの太陽に紫色の空。水の色もまた紫だ。木々が豊かに生い茂る湖島でクウたちは暮らしていた。  その世界の人間は、知能もなく、クウたちが寄生しなければ、火を使うことも服をまとうこともできない生きものだった。  クウたちは、生まれるとすぐに人間の子供に寄生する。その血を主食とし、自我のない宿主を自在に操ってこちらの人間に似た生活をしている。クウたちは人間の血と蜂蜜しか口にしないが、人間たちの食糧のために田畑も作れば狩りもする。  ただ人間の寿命は短くて、成熟期に達し一度に二三人の子供を産むとすぐに老化がはじまり、死を迎える。男は女よりもいくらか長生きだが、数人の女を孕ませれば役目が終わる。  長生きのクウたちは、何人もの宿主を乗り換えながら生きていく。この世界に紛れ込まなければ、クウも同様だったはずなのだが。  リューの短い成熟期は終わりつつあり、繁殖の機会を逃した今となっては間もなく寿命が尽きるだろう。その前に、レムを得られたのは幸いだった。  クウははじめにレムの血を少し舐めて、彼らの世界の人間と変わらぬものであることを確かめた。リューはレムの血を吸って、自分の血と混ぜ合わせた。そうすることで、クウは次の宿主であるレムの血を容易に受け入れることができる。  それが、血の引き継ぎ。 (いやだ!)  レムは夢中でクウの思考を追いやろうとした。とたんに頭を締め付けるような痛みがおそい、レムはうめき声を上げた。 (おとなしくしていた方がお互いのため)  なだめるようにクウは言った。 (わたしは、ガウシャイイに帰りたい。魔法使いとやらは、わたしを帰してくれるかしら) (フォーヴァさんは、なんとかしようとしているよ。でも、ぼくにこんなことをすれば、フォーヴァさんを怒らすだけじゃないか) (しかたがないわ、こんな所に来て、わたしはどうやって生きればいいの)  クウはレムから離れてテーブルに降りた。レムの顔を真正面から仰ぎ見る。  レムはクウにつかみかかろうとした。しかし、突き出した手は途中で止まり、動かない。 (無駄よ。わたしたちはもう血のつながりができている。離れていてもおまえはわたしのもの)  レムの手は、ゆっくりと伸びてクウの角の付け根を撫でた。クウは気持ちよさそうに目を細めた。 (言うことを聞いていれば、悪いようにはしないわ。わたしだって、無駄な力は使いたくないのよ)
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