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「わたし達、きっと思い出と話してる」  元々、見慣れない景色の片隅で。世界が滅ばなくても誰もいないような、寂れた道。知らない自販機。現実的な衰退に背中を預けて。  色のない光の翼。寂しいくらいに。泣きたくなるくらいに。 ──この子がいなくなってからすぐ。俺は、この地を離れた。  家族の都合で。今思えば、少し不自然なくらいに、すぐ。それは、誰による……何による思惑だったのだろう。 「なぁ、どうして──」  宛もなく呟いた声は、途切れる。続かない。  何も変わったつもりなんてなかったのに、彼女のものと重ねれば、こんなにも似合わない声。  そして。どうして。  今更。  その一言が、続かなかった。言えば、何かが終わり始めるような気がして。  どうして。 「……俺を、連れ出そうとしたんだ?」  今と昔を隣り合わせて。息を潜めるほど静かに、夜は続く。  白い息。光の粉のように散らばって、黒い空を染める。 「理由なんてほしい?」  プルタブの開く音とともに。俺は、思わず彼女の方を見遣る。 「運命でも偶然でもないよ。君は、そういうの知らなかったりする?」  溜め息をつくように、缶コーヒーが白い湯気を立てる。  それすら、眩い光にざらついて。不釣り合いすぎて笑えるくらいだった。なのに。 「違うよね。わたし達、そんなんじゃなかった」  声。真っ直ぐに、刺すように。いつか見慣れた町並みを、消し落とすように背で覆う光。  いつか。かつて。彼女の言ったことを。俺も知っていた気がする。だけど。  彼女を亡くして、それが正しいとでも言わんばかりの色褪せた世界。  もう、滅びてもくれない。夢を描くなら違う世界がお似合いなんだ。  目を逸らすように俯く。  追うように、彼女の手からコーヒーの缶が滑り落ちた。  他人事のように、虚ろに響く音。じくじく、じくじく広がる黒い水たまり。  鉛筆でぐちゃぐちゃに塗り潰したような。  うまく描けなかった夢をでたらめに塗り潰した(無かったことにした)ような。  ううん。そんな、大した話じゃないんだ。 「……あのまま連れられていたら、どうなったんだ?」  沈黙が煩わしかった。ただ、ただそれだけ。なんとなしに。言葉に任せて。俺は、彼女に問いかける。 「分かんないよ」  視線を、奪われる。 「何が起きるかなんて分からない方へ。二人っきりで、逃げるの。夜が明ける前に。覚えてるでしょう?」  ふやけた笑み。目が眩むくらいに。  かつて。  いや、本当は。今もまだ、その感覚を知っていた。 ──夢から覚めるように。 夢に落ちるように──  黒い水溜りが解けていく。あらゆる輪郭線が巻き直されて、ノートのような、ざらざらの世界へ。  大した話じゃないんだ。  間違っている。  正しい。  きっとそんなことよりも求めていた、自分らしさ。  分かる。自分が、似合う未来だ。心地がいいくらいにしっくりくる。  自分が居る世界が、ここにあった。境界も影も全部が溶けて、元の、色のある手が。 「行こうよ」  差し出される。眼の前に。  終わりはきっと始まりに似ている。  始まりは、終わりとは似ていないって思っていたのに。  ありふれた、夢だなんて呼べない、夢。その手を掴むように。  光に、手をかざすように。  ……涙を拭うように。分かっている。その手は、  取れない。自由落下した俺の手から、払った雫が落ちて波紋を立てる。  彼女が溶けて色付いた世界へ。もう、過去なんだ。  過去になったから、また会えたんだ。向き合うために、戻ってきたんだから。 「……ふふっ。そっか」  そして、きっと。寂しげに、楽しげに。  まるで嬉しげに。彼女は目が眩んだような笑みを浮かべた。 「分かってた、って感じだな?」 「ううん、半分本気だったよ。でも、嬉しい」  彼女は空を見上げる。みんなが言う夢を、描くように。 「思った通りのキミがいた」  これから、を思い出すように。それは今にも泣き出しそうな笑顔で。 「大人になったキミ。私が、憧れた未来」  大人になりたがっていた彼女の、幼げで懐かしい微笑み。  だけど。 「いつか、辿り着くからさ。だから、それまで……」  奇跡なんて起きなかった世界で、答えなんて見つからないまま、生きるんだ。  どこにもない、そんな永遠。 「見守っていてくれないか?」  今から、過去。きっとまた会える。 「……うん。うん!」  そして、雫が落ちたように砕けた笑みが。 「私達、今やっと未来と話してる!」  踊るように。飛び跳ねるようにしてすれ違う。  そのまま、溶けた。  どうして空を見上げているのかも思い出せないまま。視界の端で、時計の針が夜明けを描く。  白い。白いはずの雲が、僅かだけ。  もう、何がこんなに悲しいのかすら忘れ始めているんだ。朱色が、朝を、指す。  息は白い。夜の切れ端はまだ黒い。それでも、景色に少しずつ色が灯っていく。昨日が、手の届かないところへと流れていくから。  奇跡を探すように。そうして、仰ぎ見た空に。  笑えるくらい、祝福に似た。  粉雪のかけら。眩い羽根に似た。なぁ、俺はどうして泣きそうなんだろうな? 誰に問いかければいいか分からないまま、翼でも思い描くように。瞬きは、できずにいた。  それでも、頬に触れて、熱を奪う。  色を灯すように。きっと、朝焼けに似ているのだろう。  だから、頬を伝う雫。心に色を残して、まるで誰かが居なくなったみたいに透明な。
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