2.証拠

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2.証拠

 私は完全に困ってしまっていた。  そんな話、父からは一言も聞かされていない。今更見知らぬ者が異母弟(いぼてい)として出てきて、私はどういった処遇を(ほどこ)せばいいの?  ただでさえ父の残した事業が多方面にわたって膨大で、その処理に追われているというのに!  私がトマスの話にすぐに何も言えなかったからだろうか、トマスは唐突(とうとつ)に、 「ねえ、あの、エマ様。エマ様は僕たち母子(おやこ)のことを恨みますか?」 と聞いた。  私は急にそんなことを聞かれてどきっとした。  恨む? つまりトマスは私たちから父を奪ったということを言っているのだろうけど、今こうしてこの話を聞かされて、父を(ののし)りたいと思うの、私は?  私はゆっくりと昔の自分を振り返った。  確かに私は父に溺愛されていたという記憶はないが、かといって愛されなかったという想いもない。  そう、普通。  普通だと思う。  世の中の父親っていうのがどういうものかあんまり分からないけど、父親というものはそんなもののような気もしたし。  私は自分に問いかける。 「一緒に食事して、おいしいね、と言いたかった?」 「子どもの頃、初めて馬に乗れたことを褒めてもらいたかった? 一生懸命に描いた絵を見てもらいたかった?」 「初めての舞踏会。新調したドレスを身に着けた私を見て、『さすがうちの子だね、かわいいね』と言ってもらいたかった?」  うん、そういうこともあった。幼い頃。(かす)かにだけど、そんなことを思っていたという記憶がある。  でも、父は厳格で淡々とした人だったし、事業も忙しかったのならば仕方がないと思っていた。  それが、もしかしたら、父の人柄や仕事のせいではなく、別の母子(おやこ)に愛情が捧げられていたからだとしたら?  もし、トマスの方に分配されていた愛情分を全て自分が独り占めしていたら、私はもっと幸せだったのか……?   私は生前の父と母を思い出した。  二人は仲が良かったとは言えなかった。  母は3年前に病気で死んでしまったが、それより前も寝たきりの期間が長かった。寝たきりになっていたときも、母は父が病室に訪れるのをあまり喜ばなかった。  だからもはや二人でいるところを見ることは少なかったように思う。  母はトマスの母のことを知っていたのか? 私の知らないところで、父と母はすでにトマスたち母子(おやこ)について話し合い済みで、その結果母は父が病室に入ることを拒んだのか?  否、それはない気がする。  それなら母はその話し合いの「内容」について、亡くなる前に私に何かしら一言あるように思われるから。母は私のことは(そば)に置きたがっていたのだから。  そうすると、きっと母は具体的にはトマス母のことは知らなかったと思う。  でも、母は父を遠ざけていた。  それは仕事人間で家庭を顧みなかったことで怒っていたのかもしれないし、外の女の影だったかもしれないし、もともと母自体が父との結婚を望んでいなかった可能性とかも考えられる。  ――ええ!  我が家はね、決して幸せな仲良し家族じゃなかったんですよ!  今までは、それは父や母の性質のせいだと思っていた。  でも、トマスはさっき『父とトマスの母は仲が良かった』と言った。  では我が家の関係が少し寒々としていたのは、本当は、トマスたちのせいだったというの?  ――父よ、私はあなたが何を思っていたのか全く分からないのです。  どんな気持ちで他に家庭を持っていたのか。私たちに悪いと思っていたのか、それとも私たちにはもはや関心がなかったのか。  そして、トマスのことはどう思っていて、今後どうするつもりだったのか。  だって、亡くなるときに父は異母弟(おとうと)がいることを私に言わなかった!  ラモント男爵家に残された私が知らないということは、トマスたちのことは無かったことになるじゃないの!  トマスは今、後ろめたそうな顔をして私の前に座っている。  私は、自分でも頭の中が取っ散らかっていると思った。  私はゆっくりと首を横に振った。  いやいや、そんな話に振り回される前に、まずは確認しなくちゃいけないじゃないの!  私はしっかりとトマスを見て聞いた。 「ねえトマス、あなたが父の子どもだって、何か証拠になるようなものを見せてもらえないかしら? 例えば父があなたたち母子に送った手紙とか。もしくは何かラモント家に(ゆかり)の物をもらってたりとか」  しかしトマスは縮こまるばかりだった。 「何もありません」  私は驚いた。 「そんなはずはないでしょ? 手紙の一つくらい」 「母は何かと遠慮がちでした。手紙は処分したのかも」  私の方がヒステリックな声をあげた。 「じゃあ、何? あなたは何の証拠もなしに、自分はラモント家の子どもだって言いに来たの。いくら何でもそれはないでしょう? それでは何も判断できないわ。あなたを父の子どもだと認めるわけにはいかないわ」  トマスはますます縮こまって背中を丸めた。 「確かにそうですね。何か父にまつわるもの、一つだけでも残しておいてもらえればよかったのだけど……」
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