3.ジンジャークッキー

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3.ジンジャークッキー

 そのとき、突然、トマスのおなかが「ぐー」と鳴った。 「あ、すみません……」  トマスが恥ずかしそうに顔を赤らめて下を向いた。  おなかが空いたのね。私もよ。そろそろお茶の時間かしら。  私はトマスが証拠がないと言うので(あき)れ返ってしまっていて、もう頭の半分はどうでもよくなっていた。  私は空腹に引きずられるようにお茶のテーブルを思い浮かべた。すると、トマスのことに対する集中力がぷつんと切れてしまったのを感じた。……そうね、早くお茶にしたいわ。  そのとき、私はふとトマスをお茶に誘うべきか迷った。  父の子どもである証拠がない以上トマスはラモント家には無関係な人だということになるので、お茶に誘う理由はないように思えた。  が、父の面影もあったこの少年をすげなく追い返すのも何となく気が引けたのだ。それに、彼は今おなかが空いている。おなかを鳴らせた人を目の前にすると多少の親切心なども芽生えるというもの……。  私は迷いがちな声で「お茶などいかが」と言った。  このもやもやした状況で、私にしては最大限の配慮といえる。  私はぼんやりとトマスは遠慮して断るのではないかと思っていたが、トマスはパッと顔を輝かせた。 「いいんですか?」  まあ、トマスは無邪気だったという事だろう。  私は軽く「そうか」と思うと、執事に「こちらの方もお茶をご一緒するわ。準備お願いするわね」と言った。  執事は「ご要望通り、庭でよろしいですか?」と確認をする。  私は(うなず)いた。 「ええ、難しい話をし過ぎたもの。気分を変えたいわ」  お茶の時間がやってきて、私はトマスを伴い庭へ出た。  相変わらず天気は上々で、美しい青空にやさしい風が吹いている。  庭に用意されたテーブルの上には、刺しゅう入りの真っ白なテーブルクロスが凛とかけられ、香りのよいお茶が私のお気に入りの茶器に用意されていた。  そして私の大好物のジンジャークッキーや可愛らしいプチケーキ、フルーツたっぷりのタルトなどが並べられていた。  そのとき、トマスが「あっ」と小さく声をあげた。  私が振り返ると、トマスの目がきらきらと輝いていた。 「このクッキー、懐かしいなあ! そうそう、いつもこの形だった!」  トマスは無遠慮にジンジャークッキーを一枚つまみ上げると目を細めた。  私は目を見張った。  今トマスは懐かしいと言った――?  そう、なぜだか分からないけれど、ラモント家ではジンジャークッキーはいつも必ず白鳥(スワン)の形をしていた。  長い首を丸々した胴にうずめている不格好(ぶかっこう)な白鳥だが。シェフが手作りで形を整えてこの形にしている。  いつからか知らないが、私の記憶にあるジンジャークッキーは全てこの形だ。 「知っているの? この白鳥(スワン)の形を……」  私の声は震えていた。  トマスは満面の笑みを浮かべる。 「ジンジャークッキーといえばこれでしょう? 父がよくお土産(みやげ)に持ってきてくれてました。エマ様はどこから食べるんですか? 僕はいつも頭から」  私は急に声が出なくなり、思わず両手で口元を覆った。  ジンジャークッキーは白鳥(スワン)型だと思っている。この形のクッキーはうち以外では見た事ないのに!  もしかしたら、トマスは本当に弟なのかもしれない。  トマスは無作法にもそのまま白鳥のクッキーの頭をかじった。 「お父さんが言ってた。ふだんは仕事で忙しいけど、大昔、白鳥の泳ぐ池でボート遊びをしたことがあるって。ボートで白鳥にすっと近づいて行ったら、湖面でゆっくりしていた白鳥たちが危険を感じて慌てて飛び立った。小さな女の子が一緒に乗っていたから、その子が驚いて泣くんじゃないかとハラハラしたけど、そんなことは全然なくて、その子は逆にキャッキャっと喜んで手をぱちぱち叩き、ボートの上で立ち上がろうとするから、こちらが驚いて焦ったって。ボートがゆらゆら揺れて、あの時の背筋の冷える感覚は(いま)だに覚えているって、そう言ってた」
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