上野公園の桜

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

上野公園の桜

 上野恩賜公園の桜のお花見は毎年毎年テレビで嫌という程放送されている。  長野県に住む梨枝のおうちは店をやっていて、普段から定休日というものがないお店だった。今から50年も前の事だ。    梨枝は、埼玉に親戚がいたので、まだ新幹線も通っていなかったその頃、信越線の特急に乗って、覚えている限りでも幼稚園の頃から上野経由でその親戚の所まで祖母に連れられて行っていた。  埼玉の親戚は父方の弟の家で祖母にとっては息子の家。向こうの家にも孫がいるのと、もともと芸妓さんで華やかな世界にいたので、長野県の田舎はとても退屈だったのだろう。  定期的に埼玉に行っていたので、梨枝が小学校に上がる頃には、もう、上野から地下鉄に乗って、その後東武伊勢崎線の各駅に乗り換えて行くと言うあたりまでは覚えていたほどだ。  信越線の特急も、梨枝が幼稚園の頃はまだ3時間半ほど上野まで時間がかかった。梨枝が高校生になる頃、まだ新幹線はなかったが、信越線の特急は2時間半ほどで上野に着くようになっていた。  祖母は横川では必ず釜飯を買った。梨枝が残すとわかっていても、必ず一つ買ってくれた。プラスチックの四角いお茶も付いてきた。  食べた分の釜飯の入れ物も捨てることなく、親戚の家の分の釜飯もお土産に買うので、つくころには大分荷物は重くなった。  梨枝は祖母の時間つぶしで上野のお店を見て回ったり、上野公園をお散歩したり、時々は浅草の花屋敷に連れて行ってもらうのが嬉しかった。  さて、祖母は我が家では一番偉かった。発言力があったと言えばよいのか。  長男である父と一緒に暮らしていた。  お店の事には口を出さないが、家の事は祖母が仕切っていた。  ただし、芸妓さんをして、そのままお嫁さんになり、満州にわたってお手伝いさんを使うような生活をしていたので、祖母は家事は全くできない人だった。  母はいつも祖母に食べたいおかずを言われ、買い物に行き、奴隷のように食事の支度をして、洗濯をして、お店に出て、毎日大変そうだった。    祖母は、梨枝が朝起きた時にはぴしっとお化粧をしていた。  お風呂で顔を洗う時も、鶯のフン、とか、粗塩で洗うとか、お肌にいいと言われることは全て試してみる。おしゃれには家の中で一番気を使っている祖母だった。  そして、婦人会の会長をして、普段も婦人会の旅行だなんだであまり家にはいない人だった。  そんな祖母が一度だけ、長男である父にわがままを言ったことがあった。  上野でお花見がしたいというのだ。  それも、店員さん達もみんな連れて、広い場所を取って、みんなで飲んで騒いで楽しくお花見がしたいと言い出した。  つまりは店を一日休まなければいけない。  祖母は鹿児島の人で鹿児島で置屋に養女に出され、芸妓として仕込まれ育てられた。  祖父は第一次世界大戦のころ、その置屋に長逗留していたらしく、そこで祖母と出会い、一目ぼれして満州で結婚した。父は満州生まれだ。  次の戦争がはじまるという話が出た。  上官がとても良い人で、そのころには埼玉にいる叔父も生まれ、お腹には3人目の赤ちゃんがいた祖母を連れた祖父に、 『次の戦争は負ける。お前は戦禍の届かない長野へこのまま帰れ。』  と言ったそうだ。祖父の所属していたのが茨城の陸軍の駐屯地だったので、捕まるので関東には帰るなと言われたのだ。  祖父は軍人として、満州に残ると言ったのだが、上官命令で日本に返されてしまった。でも、長野に何のつてもなかった祖父と祖母は田舎のお寺でお世話になりながら第二次世界大戦が負けるのをじっと見ていたそうだ。  その頃の生活は余りに貧しく、戦時中と言う事もあるし、今の様に役場が何かしてくれることもない。  祖父の上官でさえ、負けが分かっていた戦争をした対価は余りにも大きかった。日本のあまりの敗戦ぶりに、祖父は、ずっと軍人としての自分の行動を恥じていたと、祖母から一度だけ聞いたことがあった。  話がそれてしまったが、つまり、祖母は田舎ではお花見もできないので、上野恩賜公園でお花見をしたかったのだ。  幸い東京の桜の時期にはまだ長野の田舎は農作業も始まったばかりで店もそんなには忙しくない。  家族だけでも良かろうと思ったが、祖母はテレビに出てくるような大勢のお花見をしたかったのだと思う。  祖母と梨枝と姉の弘子は朝一番の電車に乗り上野に向かった。  父も無理やり駆り出され、母とそのほかの店員さんはその次の電車に乗ったはずだ。何故ならみんなお弁当を作って持ち寄りだったからだ。  とにかく、朝一番の電車に乗った祖母と梨枝と弘子は一番大きな桜の下に持って行ったビニールシートを沢山敷いて、場所取りを始めた。  風でシートが飛ばされるので、靴を脱いで抑えた。靴で足りない一番大きな周囲は梨枝と弘子が座って、精一杯抑えていた。  祖母はと言えば、近くの酒屋まで走って、お酒を山ほど買い込んできた。  子供二人ですごく大きな場所を、それも、桜が最高に綺麗な場所を取っていたので、怖いオジサンが来て、 「こんなに広い場所ひつようないだろ。」  と、すごまれた。 「これから、お店の人がみんなくるから、これくらい必要なんです。」  と、梨枝が言った時、祖母が帰ってきて、きりっとした態度で、 「子供に絡むなんて最低だね!」  と、言うと、怖いオジサンは何やらブツブツ言いながらどこかに行ってしまった。  お酒が来たので、ようやく、シートを抑える物もできて、梨枝と弘子は少しの間、その辺で遊んできていいと言われた。  その後、父も母もお店の人たちも到着して、みんなそれぞれ持ち寄ったお弁当を広げた。  田舎の人は大量のお料理を作るのに慣れているので、お重が沢山あって、色とりどりのおいしそうなお弁当が開かれた。  お昼には少し早かったが、みんなその日にまた帰って、明日からはまたお店を開くので、すぐに宴会が始まった。  いつもは我儘ばかりで疎ましい祖母の提案で、上野でお花見ができる事を皆とても喜んでいるようで、いつもよりお喋りをして、いつもよりもはしゃいでいた。  梨枝も弘子も朝早かったし、お腹がいっぱいになって途中で眠ってしまった。  起こされたときには、みんなお酒に酔っていい気持ちになっていたが帰りの電車に向けて、みんなで片づけをした。  その頃には、夜桜見物をしようという人たちも大勢来ていて、梨枝たちの取っていた広い場所が空きそうだったので、何人かの人が、片付けを手伝って、ちゃっちゃと、自分たちのシートを敷いていた。  梨枝は初めてのお花見をしたのだったが、朝みんなが来る前に花はたくさん見たし、その後はいろいろな食べ物に目が行って、テレビで見るようなお花見をしなかったなぁと思った。  ただ、テレビで見ている人たちも飲んで騒ぐ方に夢中で実際お花をめでている人たちはあまり見たことがなかった。  とにかく、桜の下で。と言う事が大事なんだろうと思った。  祖母は満足した様で、終始ご機嫌でみんなで電車に乗って、長い道のりを長野まで戻って行った。  昔々のお花見の様子だ。  出店も何もなく、自分たちですべて準備してのお花見はそれなりに大変だった。でも、今のお手軽なお花見もいいけれど、昔のお重を下げてのお花見は、準備をしない子供としては、とても楽しいものだった。  今は今で、お店が沢山あるし、それも楽しいと思う。  外国の人も大勢見に来るし屋外でお酒を飲めるのは珍しい国と言う事で楽しんでいる様子がテレビで映し出される。  上野の桜の木はずっとずっとその移り変わりを見ているのだと思うと、ちょっと桜に、人間のお花見の感想を聞いてみたい気持ちになる。 【了】    
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!