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 わずか一週間前と比べてもはっきりと分かるほど暖かさを増しつつある今日この頃。桜の開花も近そうだなぁと約二週間後に迫る花見の日に思いを馳せる一方、私はもう一つ、ここ最近勢いを増しつつあるを呆れたように見やる。 「ははぁ、なるほど! そういうことだったのか!」  この一週間、部屋の一角を占拠し続けている杉田くん。何やらずーっと同じ本を眺めては「全くだ」だの「どうりで」だのわざわざ声に出し、「どうしたの?って聞いてくれアピール」を繰り返している。  これまであえて放置していたのだが、日に日に彼のアピールの声量も増してきており、いよいよ無視できない状況だ(お隣さんにうるさいと思われたら困る)。 「……どうしたの?」  渋々声をかけると、杉田くんは待ってましたとばかりに即座に本から顔を上げた。 「いやね、最近偶然、梶井基次郎さんの『櫻の樹の下には』という短編小説を読んでいたんですよ」 「……うん」  何が偶然だ、という言葉をグッと堪えて頷く。 「すると、その小説内に驚くべき情報が書いてありまして」 「なに?」 「『桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!』、だそうですよ、布川さん!」 「うん。……うん?」 「だから、桜の木の下には死体が埋まっているんですよ! この小説内で主人公は、桜の花の信じられないような美しさを疑問に思うのですが、その秘密を『木の下に埋まっているなんらかの死体から液体を吸い上げているからでは?』と推測しているんです!」 「えっと、うん。そういうフィクションだよね?」 「いいえっ! 僕はこの一節を読んだ瞬間に確信しましたよ! 『なるほど、桜の美しさは下に埋まっている誰かの犠牲の上に成り立っていたのか……っ!』と。  死者を愚弄するなんて、桜とはなんとおぞましい存在なのでしょう!」  今度はそうきたか、と私は頭を抱える。素直に「お花見に行かないで」と言わないのは彼らしくもあるけれど、今はそれがシンプルに面倒臭い。 「いやぁ、僕も以前からあの美しさには何か裏があるに違いないと思っていたんです。梶井さんのおかげですっかり謎が解けましたよ。あんな醜悪なものを、我々日本人は今まで褒めそやしていたんですね。あぁ! 嘆かわしい!」 「だからフィクションだってば。その梶井さん?も本気にする人がいるとは思ってなかったと思うよ……」 「とんでもない! 彼ほどの大作家が言うのだから、きっと本当のことなのでしょう。だから布川さんもお花見などはやめて、その、僕と、」 「そう言うなら、君は偉い作家さんの言葉は全部信じるってこと?」 「え? あぁ、まぁそれは名も無き凡夫の言葉よりは信用できるでしょうね」 「じゃあ、偉い作家さんに『今の彼女とは上手くいかないから別れなさい』って言われたら、別れちゃうの?」 「な!? い、いや、そんなこと言われるわけ……」 「悲しいなぁ。私みたいな名も無き凡夫が別れたくない!ってすがっても捨てられちゃうんだね。だって、君にとっては偉い作家さんの言葉の方が大事だから」  私が伝家の宝刀「別れちゃうの?」を抜いた途端、形勢は逆転。杉田くんはこの前みたいにしばらくオロオロした後「あぁもう! ずるいです!」と叫び玄関の方へと駆けて行った。  一週間ぶりに一人になった部屋で私はプッと吹き出した。杉田くんには悪いけれど、次はどんな手でくるかと少しだけ楽しみになってきた自分がいる。  さぁ杉田くん。君に私のお花見を止めることはできるのかな?
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