山猫雑貨店

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 白熊の様な犬の所為ニャ。あと少しだったニャ。肥ったのを料理できたニャ。それなのに、親分に勘当されたニャ。弟猫と山を下りたニャ。   ~・~ 「お先に失礼します」  正社員の皆様に深々と頭を下げると職場を後にした。今日も正社員の皆様とサボっていると思われない程度に談笑をして、仕事でミスが出ないように確認を怠らず、仕事が遅いと言われない様にする。礼儀正しいと言う人もいるけど職場関係でのミスは更新止めのリスクが高まる。下手をすると嫌がらせで冤罪を着せられるリスクもある。敷地を離れ正社員の目の届かない場所に移動するまでは用心が必要だった。  職場の正社員の皆様の九割は心優しい方々だけど、一人いるかもしれないリスクに備え用心を怠らず今までの積み重ねが無駄にならない様に注意に注意を重ねる必要があった。  低賃金なのにパフォーマンスは正社員と同じものを求められる事に不満が爆発しそうだけど、定時で上がらせて貰えるのだけはありがたい。早く家に戻って図書館で借りた本の続きを読みたい。本を介して作者との会話だけが私の楽しみだから。  私の朝は正社員より早い。早く出社して職場の掃除をする。最初は感謝してくれる正社員もいた。でも、感謝が欲しくて掃除はしていない。  一人一人の机を拭いてシンクに置きっぱなしのマグカップを洗い電気ポットに飲料水を補充しておく。正社員に必要不可欠な存在と思って欲しいから。でも、三年経てば捨てられるのは分かっている。会った事もない偉い人の思い込みを変える事が出来ないから。  大丈夫、あと一月で、何事もなかったように契約期間が切れ明日から来るなと言われるだけ。   ~・~  吾輩は店主ニャ。店の名前は『山猫雑貨店』ニャ。苦労の末の開店ニャ。  新天地を探したニャ。いわて犬がいない土地を探したニャ。始めは北を目指したニャ。北には絶望しかなかったニャ。あおもり犬がいたニャ。白熊より更にデカいニャ。大きすぎて神々しいニャ。直ぐに南を目指したニャ。  線路沿いを延々と歩いたニャ。  里には兎がいないニャ。雉もいないニャ。雀で飢えを凌いだニャ。  ある日、死んだネズミ食べたニャ。殺猫剤だニャ。走馬燈が回ったニャ。母ちゃんに会ったニャ。阿武隈川が三途の川に見えたニャ。六文がなく追い返されたニャ。貧乏に救われたニャ。  犬よりネズミが怖くなったニャ。  南の犬は小さいニャ。沢山いるニャ。全然怖くないニャ。犬だけどウマシカだニャ。簡単に挟み撃ちニャ。食べ放題ニャ。不味いけど我慢したニャ。ここで暮らそうと思ったニャ。  が、不意打ちだったニャ。群れに襲われたニャ。応戦したニャ。餌を八つ裂きにしたニャ。食べるの我慢して応戦したニャ。頑張ったニャ。でも、数に押されたニャ。  電柱の上で三日三晩耐えたニャ。四日目に、南を目指したニャ。  都会に来てしまったニャ。  豚肉が売ってるニャ。牛肉も売ってるニャ。魚も売ってるニャ。ぜんぶ犬より美味しいニャ。でも、お金が必要ニャ。  ケーキ屋で働く事にしたニャ。店長は喜んだニャ。が、客が逃げたニャ。先取りし過ぎたニャ。  行き詰ったニャ。  残飯を漁ったニャ。野菜は毒ニャ。吐いたニャ。人間に追いかけられたニャ。  もう、行く場所ないニャ。  ・・・・  置かれた猫缶に救われたニャ。あの恩義忘れないニャ。 「兄猫、ブツブツ誰に言ってるニャ?」  店主は上を指差し、 「本の虫ニャ」  弟猫が見上げても、店の天井があるだけだった。   ~・~  この帰り道もあと一月かも。そう思うと感慨深いものがあった。突然、石油王が現れて連れ去ってくれても大丈夫。祠から異世界に迷い込んでも大丈夫。どんな世界線でも生きていける。うそ。この世界線だけは厭だ。 「ふ・・・・。大丈夫、妄想は見ても幻覚は見ないから」  『山猫雑貨店』の看板が目に入った。銅葺きの庇。この界隈には意外と残っている古びた造りの建物だ。観音開きの扉で真鍮のノブ。ガラスが填め込まれているけど中の様子は伺えない。 「あれ? 祠があったような? お店に見覚えがないような? まさかの異世界?」  吸い込まれるように扉を開けると薄暗い。花を模した装飾の電球スタンドが店内を照らしている。木製の什器には古びたカップ、ゼンマイ仕掛けの目覚まし時計、石鹸、複葉機のおもちゃ、脈絡なく商品が並んでいる。奥の方でぐつぐつ煮える音がする。 「いらっしゃいニャ」  巨大な猫が隣に立っていた。薄暗い店内で目が光る。口元がもぞもぞ動いている。まるで本物だ。 「珍しい商品が並んでいますね」  どの商品にも値札がない。客の顔色で値段が決まる骨董屋あるあるだ。 「欲しいものあるニャ?」  語尾に『ニャ』を付ける猫の着ぐるみはちょっと興味があるけど『キャー』の方が可愛いかもと言ったら店員さんに怒られそう。 「部屋が狭いから、目の保養にです」  買うとも買わないとも言ってはいけない。店に入った瞬間から店主との駆け引きが始まっていると、どこかの職場で聞いた事があった。 「楽しむニャ」  一歩下がった店員は、店の奥に消えた。   ~・~ 「客が来たニャ」  弟猫は興奮を抑えきれず兄猫に言った。  兄猫が店を覗くと、肉付きが良い美味そうな人間が立っていた。口に含んだ瞬間に融けてしまいそうな・・・、考えるだけで涎が止まらなくなる。 「美味そうだニャ」 「美味そうだニャ」 「犬より美味そうだニャ」 「犬より美味そうだニャ」 「もっと美味くするニャ」  兄猫は、猟師の時の失敗を思い出した。自分で調味料を摺り込んで鍋に入って下さいと言って入るほど人間はバカじゃない。しかし、人間臭を消せばもっと美味しくなる。 「兄猫、策はあるニャ?」 「任せるニャ。弟猫」  と、言うと売場に出て行った。 「いらっしゃいニャ」  驚かないで、こっちを見ている。ケーキ屋の客と違うのは良い事だ。しかし、近くで見ると窶れている。 「欲しいのはあったニャ?」  色々興味深けに見ている。良い事だ。でも迷う。売り上げで肉を買うか? そのまま食べるか? どっちも捨てがたい。が、逃がしたら全てがお終いになる。 「会員カードを作るニャ」  興味と警戒が入り混じっている。これは脈がある証拠だ。もう一押し。 「粗品があるニャ」  差し出した入会申し込み用紙に一瞬の迷いがあったが、名前を書いた。 「ありがとニャ」  粗品を渡すと紙パックの中の粉末を繁々と見ている。物が分からない様だ。 「出汁ですか?」 「違うニャ。ハーブ湯ニャ」  この人間は侮れない。一発で見抜くとは。 「先に入れるニャ。後からお湯ニャ」  匂いを嗅いでいる姿は犬のようだ。 「好い匂いですね。ありがとう」  と、言うと人間は帰った。 「兄猫、どうニャ?」 「大丈夫ニャ。来週が食べ頃ニャ」   ~・~  お風呂の蓋を開けると浴室に甘酸っぱい香りが広がった。全身が香りに包まれているのが分かる。  お湯に浸かると、アロマオイルマッサージをして貰っているかのよう。肌が綺麗になっていく。身も心も柔らかくなっていく。 「入浴剤? これが入浴剤? ホントに入浴剤? 一生出たくない」  肩の力が抜けるとはこう言う事だったのか。癒されるとはこう言う事だったのか。改めて、食いしばって生きてきた事に気がついた。 「好いお店を見つけたな。また、行こう」  普段よりの長風呂を楽しむと、湯冷めする前に布団にもぐった。  正社員と同じ時間に職場に入り、お湯が沸くまでの時間を正社員と談笑する。身の回りの掃除はする。割り込みの仕事を依頼されたら、どちらも時間内に終わらせる事は辞めた。依頼主に順位を決めてもらう。気を使うのは私の仕事じゃない。  今まで気がつかなかった。この職場に私が必要不可欠ではない様に、私にも必要不可欠な職場ではない。正社員でもリストラされる。誰に足元を掬われるのか分からないのは正社員も同じ。私だけが不幸じゃない。みんな不幸なんだ。  見るのは正社員の背中じゃない。未来を見て進むんだ。 「お先に失礼します」  笑顔でお辞儀をすると、真っ直ぐお店に向かった。  山猫雑貨店は昨日と同じ場所にあった。 「こんにちは」  扉をそっと開け覗いてみる。大丈夫、昨日と同じだ。現実世界のお店だ。 「いらっしゃいニャ」  昨日と同じ猫の店員が出てきた。 「昨日頂いた入浴剤ですが、とても良かったです。凝り固まっていた身体が柔らかくなって、心も柔らかくなりました」  店員の目が三日月のように細くなった。 「良かったニャ」  喜んで貰えるなんて、ちょっと嬉しい。 「待つニャ。店主に教えるニャ」  と言うと奥に消えた。   ~・~ 「同じ客が来たニャ」  弟猫は興奮を抑えきれず兄猫に言った。  兄猫が覗くと、見違えるほど美味そうになっている。一日でこの違いなら、数日煮込めば骨まで柔らかくなるかも。 「計画通りニャ」  兄猫が売場に出て行った。 「いらっしゃいニャ」 「入浴剤に癒されました。全身強張っていたのが解かれて今の職場でも自然体で過ごす事が出来ました。大人になってからずーと頑張ってきたけど、頑張っても手に入らないものを追い求めていた事に気がつきました。朝の掃除はしない、誰の分の片付けもしない。やらなくても誰も何も言わない事に気づきました。これも全部入浴剤のお陰です。ありがとうございます」  客は深々と頭を下げた。 「良かったニャ」 「粗品の入浴剤と同じ商品はありませんか?」 「あれはシリーズニャ」  昨日とは別の入浴剤を差し出した。 「ありがとうございます。御幾らですか?」 「これも粗品ニャ」  無料と言われて戸惑う客に、悪い事でもした気分になっていた。食べる為の下拵えとは言えないからだ。 「何か、お礼をさせて下さい」  食い下がる客に魔が差してしまった。 「猫缶。猫缶が良いニャ」 「わかりました!」  客は深々と頭を下げると帰った。   ~・~  出汁袋に入った入浴剤を浴槽に入れてからお湯を張る。初回の入浴剤と同じ手順だ。 「これも好い香り。少し苦みがあるけどミントみたいな爽快感もある」  自然体で仕事をしたらストレスが少なく一日を終える事が出来た。入浴剤のお陰。でも、仕事の為のリフレッシュ? 報われない仕事の為にリフレッシュしている。立ち止まったからこそ見えてきたものがあった。 「搾取されて嘲笑われる仕事じゃなく。喜んで貰って笑顔を貰えるような仕事が好いな。私も猫の着ぐるみでお客さんに喜んで貰える商品を売りたいな」  山猫雑貨店の扉を開くと落ち着いた雰囲気の店内はアンティークの花を模した電球スタンドが店内を優しく照らしている。木製の什器にもアンティークなゼンマイ仕掛けの目覚まし時計、手作り石鹸、複葉機のおもちゃ。どの商品からも大切に受け継がれた温かみが伝わってきた。お店に入るだけで癒される。 「いらっしゃいニャ」  笑顔で迎えてくれるだけで癒される。 「あの・・・、猫缶です。猫ちゃんの好みに合うと良いけれど・・・」 「あ、ありがとニャ」  震える手で紙袋を受け取ると店の奥に行ってしまった。 「あ、行ってしまった・・・」  奥からはごそごそ。歓喜の叫びが上がったかと思うと静かになった。一瞬、祠が見えた気がしたけど、店主が出てきた。 「美味しかったニャ」  まさかのご本人が食された? ツナ缶の方が喜ばれてかも、サバ缶もある。でも、こんなに喜んで貰えている。 「喜んで貰えて良かったです・・・」 「あの猫缶ニャ。あれに救われたニャ」  店主は、堰を切ったように山を追われてからの日々を語り始めた。むせび泣く店主の言葉に涙が溢れ、お互いの過酷な環境を慰め合った。 「え? 私はお肉だったの・・・・」  二人の間に緊張が走った。  店主は、静かに首を横に振った。 「お肉だったニャ。今は仲間ニャ。仲間は食わんニャ」  店主の目に嘘は感じなかった。猫缶を持って来なければ柔らかくなったところで食べられていたのかもと考えても、入浴剤に救われたのも事実だった。使い捨てにされる会社で奪われた時間は命そのもの。会社に命を食べられたのと同じだ。それに、私だってお肉は食べる。 「仲間って言ってくれてありがとう。でも、羊は狼を恐れるわ」  店主は落胆の色を隠さない。 「そうだニャ・・・・」  沈黙が広がる。どうしようもない。知ってしまっては戻れない事はある。 「また、猫缶持って来ます」 「ホントニャ?」  店主の嬉しそうな顔を見ながら店を後にした。 「今までお世話になりました」  深々と頭を下げてもみんなは仕事に忙しい。今度こそはと努力をした。期待をした。夢も見た。でも、今日の期日は初日に決まっていた事実から目を背けただけだった。隣の席の人に貰った紙袋を提げ寄り道をする事にした。  表通りから路地を二つほど曲ると朱色の祠があった。 「やっぱり祠はあったよね」  見覚えのある祠の代わりに山猫雑貨店が無くなっていた。 「バカですよね。別の世界線なら生きて行けると見栄を切ったのに、今の世界線にしがみ付いてしまいました」  猫缶と手紙を祠に供えた。   ~・~  ぐー・・・・、二疋とも腹の虫が鳴いた。目の前で保健所に犬を奪われたショックは大きかった。 「兄猫は優しいニャ」  あの人間に弟猫は未練があった。兄猫の言い分も分かっていたが背に腹は代えられない。あの時に食べていれば保健所に負けなかったとの後悔もあった。 「塒に帰るニャ」  弟猫を宥めながらも、あの人間を餌に見る事は無理だった。種族が違っても同じ境遇を生き抜いてきた仲間だったからだ。 「仕方ないニャ。別の人間、捕まえるニャ」 「大丈夫ニャ?」 「大丈夫ニャ。人間の犬ニャ」  祠に戻ると仄かに入浴剤が香る。兄猫は辺りを見回したが人間の姿はなかったが、猫缶と手紙があった。 「弟猫、猫缶ニャ。沢山あるニャ」  猫缶を食べる弟猫の横で、手紙を読む兄猫は何度も頷いていた。 「そうニャ。助け合うニャ」  兄猫は入浴剤を袋に詰めると、嬉しそうに出掛けた。   了
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