満月の君

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満月の君

 エルフの国では、満月の夜は魔力に満ちているので、環境に影響されやすいエルフ、特に大人のエルフは家の中に閉じ篭っている人も多い。一方で満月の夜に出歩くのが若者の習いだった。   まだ14歳で一人で出歩く事が許されていない僕は、膝までの柔らかなドレープのナイトシャツの寝着のまま、月明かりに誘われて裸足でそっとテラスから外に出た。  こんな夜は月の魔力が満ちていて、眠ってしまうのが勿体ない。それにしっとりとした柔らかな草の上を素足で歩くのは、ワクワクする様な楽しさがある。 当てもなく城の敷地をほっつき歩いていると、地面に月がもうひとつ落ちているかの様に見える場所がある事に気がついた。あそこはたまにちょっとした池の様な水溜りになる場所じゃないだろうか。 僕はその場所まで鼻歌混じりに近づいて行った。近づくと想像以上に地面に月が生えているかの様に光って見える。何て不思議なんだろう。  思わずその水溜りを覗き込むと、変な感じがした。妙な立体感だ。水溜りがこんなに深さがある訳無いのに。僕は顔を顰めて空を仰いで月を見上げた。いつも通りの満月を確認すると、もう一度ひざまづいて水溜りを覗き込んだ。 …こちらを覗き込む誰かがいる?明らかに僕では無い誰かだ。驚いて思わず声を出すと、向こうの人物が畳み掛ける様に僕に話しかけて来た。誰って、僕のこと?月を背にして覗き込んでいるせいか、相手の表情はよく見えない。けれども明らかに服装も髪型も違う。 耳が尖ってないのでエルフじゃないのは確かだ。…もしかして人間?僕は一気に心臓がドキドキし始めた。  僕より年上に見えるその青年は、ほっそりした背の高いエルフ国の若者達とはまるで違う骨格をしていた。見るからに鍛えられたがっちりした体格は、エルフの戦士達みたいだ。 柔らかそうなブラウスは胸元が開いて、月明かりに立体的な筋肉の盛り上がりを見せている。若く見えるけれどやはり彼も戦士なのかな。 淡い髪色に月の光が滲んで光に溶け出しそうだ。覗き込んでいるせいで顔がよく見えないのが残念だ。  魔力が満ちた満月の夜だから、こんな不思議なことも起きるのだろう。僕は彼が人間でも、そうでなくても、明らかに害を成す相手では無いと感じて楽しくなって来た。 兄弟にも聞いた事のないこの現象は、まだ夜歩きの許されてない僕への特別な計らいに思えたんだ。 僕を精霊と呼び、戸惑っている水鏡の様な水溜りの奥にいる彼に、僕は満月の君と呼び掛けた。エルフの国では名前は力を持つ。彼の名前を呼びかけたら、こちらへ引き寄せてしまうかもしれない。彼が誰なのか分からないのにそれは危険だ。  一方彼に自分の名前を半分与えたのは、どこか僕に似た人間らしい彼に親近感を持ったせいなのかもしれない。 初めて見る自分に似ている彼に会って、僕はますます自分がエルフ達とは一線を画している事に気づいてしまった。家族がどんなに愛してくれていても、僕の心はどこか欠けていて、時折孤独な気持ちが顔を覗かせる。 でもこうして僕の仲間に思える満月の君と向かい合うと、何処かその欠けた場所が満たされる気がしてホッとした。  僕は少し浮かれた気持ちで、ふいに顔を上げてどこか見つめた彼が、慌てた様にまた会いたいと言うのをぼんやり見つめた。ああ、月明かりに照らされた彼はとてもかっこいい。僕が欲しいと思う、逞しい男の雰囲気を彼はふんだんに持っていた。 エルフ達は皆、揃って美しい。流石に戦士達はかっこいいけれど、それでも美しさが際立つ。だから彼の様な力強い引き締まった顎や、鋭い眼差しは見た事のないものだった。  年に数回交易にやってくるドワーフ達の、あの騒々しさと親しみやすさとは種類の違うものだ。それとも彼をかっこいいと感じるのは僕が彼に近い種族のせいなのだろうか。 複雑な気分のまま、僕は彼ともう一度会う約束をした。満月の魔法は僕に秘密の楽しみをもたらしたんだ。  次の満月が近づくにつれ、僕はこの事を誰かに相談した方が良いのでは無いかと思い始めた。そんな矢先、晩餐の時間にベルベット姉様が話し出した話題に、思わずギクリと身体を強張らせる羽目になった。 「そう言えば、この前の満月の魔力は相当だったみたいね。エルフの森で迷子が続出したって友達が言ってたわ。迷子は夜歩きし始めの年頃の子達が多かったみたいだけれど、魔力に酔ってしまって朝までに家に帰れなくなったらしいの。 マグノリアンがまだ14歳で良かったわ。そうじゃなきゃ、デビューの満月の夜には心配で一晩中ついて行くところだわ。」  僕を可愛がってくれるのは良いけれど、少し過保護にも感じられる銀の髪をふんわりと背中に流したベルベット姉様に僕は口を尖らせて言った。 「15歳になれは僕も夜歩き出来るけど、姉様と一緒に行く気は無いよ。流石に恥ずかしいでしょ?友達に笑われるよ。」 僕がそう言うと、ケル兄様が面白そうに笑った。 「ははは、確かに保護者付きだなんて、女の子だって早々見ないよ。姉上だって夜歩きのデビューは監視付きじゃなかったろう?」 顔を顰めた姉様はため息をついて僕を見つめながら言った。 「だって、こんなに可愛いマグノリアンが無防備に酔ったら、何が起きてもおかしく無いでしょ?せめてエスコートをつけなくちゃ…。やっぱり心配だわ。」  …こんな心配のされ方は、一応男の僕にはディスられている様にしか思えないよ。しかもエスコートって、どう言う事?やっぱり正体不明の満月の君の事は相談できそうもない。とっても大ごとになりそうだもの!
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