化かされる

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化かされる

 狐やら狸やらが人を化かす、という話は昔からよくあるものだが、人間だって負けちゃいない。  寺で坊主の話を聞いていると、そういった面白い話がごろごろと舞い込むものでな……そうだ。最近聞いた、とびきりの話をぜひ、聞いていってほしい。  ある女が、夜な夜な現れる霊に悩まされていたんだ。  その霊は女を、恨みがましい目で睨みながら「返せ」と罵るんだと。あんまりにも恐ろしい形相で、何日も何日も睨まれ続けるものだから、たまらず女は、最近仲良くなった男に相談をしたそうだ。  男は初めこそ半信半疑だったが、女に必死に頼み込まれて断り切れず、家に行ったりなどしながら話を聞いていたという。  男は女のために、盛り塩だとかお守りだとか、調べたことを片っ端から試してみた。しかし、女はいつまで経っても霊がいなくならないと男に泣いて助けを求めた。女に泣きつかれた男には何も聞こえない。しかし、霊が「返せ、返せ」と脅かしていると、女は怯えきって男に縋っていた。  いっそ、有名な寺にでもお祓いにでも行こうかと男は女を励ましたが、それだけは嫌らしく、女はたいそう渋った。それが最後の手段だと男が言っても、女は聞き入れない。その後も、女は霊の被害に悩まされ続けたらしく、いよいよやつれた顔を見せるようになっていった。  そこで男がふと、何かを返せというのなら、返してしまえばいいのか?と思いついた。  けれど思いついたところで、一体何を返せば良いかなんて見当もつかない。男は女に、心当たりはないかと問うも、女は何も答えなかった。まさか霊から何か奪えるなんてことはないだろうと、男は言葉を改め、代わりにできるだけ、私物を捨ててしまうのはどうかと提案した。  例えば、誰かからの貰い物の中に紛れて、そんな曰く付きのものでもあるのではないかと男が考え、女はその考えに納得したように頷く。そうして部屋の物を少しずつゴミの日に出して、女の身の回りの物をどんどん捨てていった。  あるときは、別れた男に貰ったアクセサリーだとか、あるときは、付き合いのなくなった昔の知人のお土産だとか。少しでも可能性のあるものはどんどん、ゴミ袋の中に放り込んでいった。それでも霊は夜な夜な現れ続け、何度も女に「返せ」と訴える。  女もここまで酷くては、さすがにお祓いにでも行くほかないのではと、追い詰められたように考えるほどだった。  お祓いに行く前に、最後にこれを試そうと女は意を決して、アパートごと全てを手放すことを選んだ。そうして近くのコンビニで最低限の日用品だけを買い、男の家へほとんど身一つで転がり込むことにしたのだ。  急なことに男も驚いたが、半年ほど女とそのような付き合いをしていたため、遅かれ早かれ男女の仲にするつもりだったと、そのままなし崩しに同居を始めることにした。  さて、男のおかげでしばらくは快適な生活をしていた女だが、やがてまた、件の霊が現れた。身一つで男の家に逃げたにも関わらず、女へまだ「返せ、返せ」と言うのだ。返せるものなど何も無いと、霊に向かって何度唱えても、女を恨みがましく睨んでいる。  女は悲鳴を上げて、男の寝室へと飛び込んだ。その青ざめた表情にたまらず、やはりお祓いにでも行くかと男は提案したが、やはり女は眉間に皺を寄せそれだけは、と渋るのだ。  だが女はその日を境にまた、日に日に追い詰められていく。彼女が一人で暮らしていたときより、よっぽど怯えているように見えた。男は気休めだとは思ったが、その日は女と部屋を変えて眠ることにした。  案の定、霊は男の夢枕に現れた。  今度は男にも見えたようで、返せ、と呟きながら女を捜しているらしい霊に男は「お前の物はここにはない!」と叫んだ。すると霊は男の方を向いて「どうして……」と呟いたきり、姿を現さなくなったという。  そのことを翌朝、男が女に報告すると、女は両の手を振り上げて喜んだ。  これで心置きなく眠れると、女は男に感謝しながら手を握る。男はこんなにあっけないことを訝しんで、念のためお祓いに行かないかと女を誘った。やはり女は、寺だけは好きになれない、と言って拒む。だが胸騒ぎがする男は「一度だけでいい」と頼み込んだ。そこでようやく、しぶしぶと言った顔で、女は男と共に寺へと行くことにした。  寺でまじないのようなお祓いを受け、坊主に事の顛末を聞かせる男。女は終始不機嫌そうにしていた。坊主も男と同じように、女に心当たりはないかと聞いたが、女は黙ったままだった。代わりに男が、女が身一つで自分の家に引っ越したことを話した。すると坊主はほう、と何か納得したような顔で頷くのだ。  憑いているものはないと聞き、安堵した男が女と共に寺を去るとき、最後に坊主は男にこう問いかけた。 「あの女性と知り合ったきっかけを、覚えておられますか」と。  男は大学時代に友人経由で、と答え、坊主の質問の意図には気づかないようだった。そうですか、そうですかと坊主はまた頷き、それ以上は何も言わなかった。女はそれが気に入らなかったようで、男の腕を引き、急いで寺を後にした。  これで、この話はしまいさ。  ……あ?ネタばらしをしろだって?  まあ、しいていうなら始まりは、女の虚言だったってだけの話さ。以前から男の懐に入るときに、こういう手口を使う女だったらしい。男の家へ転がり込みさえすれば、それは女の演技だけで終わるはずだったんだ。女が本当に、その霊から何も奪ってなければな。嘘から出た真、ってやつだなぁ。
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