第1話 不浄討滅と狂人の望み

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第1話 不浄討滅と狂人の望み

 二一九七年。春人が香港民国にあるランタオ島から救い出されて五年の月日が経った頃。  ──目を閉じてだけで今でもあの光景が思い浮かぶ。  好きだった場所、大切な両親、そして──結菜(ゆな)の笑顔を。  そしてその大切だったそれらが、対話の成り立たない殺戮のために作り出された怪物、鎧殻獣(ルプス)どもによって一方的に殺されてしまったあの光景を。  父方の従兄妹夫婦へと預けられて育てられたいまでも、春人にとってはあの惨たらしい虐殺されるだけの戦場は、とてつもなく忘れがたい出来事であるために、春人は繊細に思い出してしまう。  そして現在、日本帝国の新潟県南西部に広がる高田平野にある中心の街、上越(じょうえつ)市。そこにあるのはかつて新潟県第三の都市と呼ばれるほどに栄えた場所だったがいまは街の残骸、廃墟が立ち並んでいる。かつては日本三大夜桜のひとつと称される高田城址公園(たかだじょうしこうえん)の桜や、高田城の城下町の総延長一六キロもの雁木(がんぎ)通りの町並みなどで知られ観光客が訪れたり、立地の良さから近代以降は工業に力を入れていたが、いまは瓦礫の山と化している。  元々は兵庫県にある私立の有名中学校に二年生の(なか)ばまでいたが、育ての両親からの猛烈な反対を押し切り帝国陸軍西部幼年学校へと入学。それから半年後、正式に一般戦術兵科から転属──帝国陸軍の特殊防衛委員会が所管する国際討滅官機関極東総局の専任中央訓練校に特殊戦術兵科・第三一四期予備大隊本部AⅠ第六試験分隊の上等兵──となりこの地に立っていた。  閉じていた目を開け、夜の暗い空から朝日が昇る空の変化を見つめながら日本最大の禁踏不浄区域(フェイス・ボーダー)警備任務中にてそんなことを考える。  ──本当に、少し目を閉じただけで、五年経った今もあの光景が浮かんでくるな。  だがそんな物思いな考えをした姿も、第三者が春人の姿を見れば可哀想な少年とは思ってくれないだろう。  なぜなら、真っ赤だったから。空が朝焼けで真っ赤に燃えるように、春人の全身は訓練兵(なかま)鎧殻獣(てき)の血で真っ赤に染まっていたためだ。  そして、その血を浴びた春人もまた詰め襟の青い軍服と黒いの短めの外套(マント)と軍帽を、真っ赤に染めていた。  一七七センチある背丈も、ウェーブ気味の青みがかった黒髪も、日本人離れした雰囲気をした顔も、その手に腰に差した日本刀の形状をした討滅兵装も……何もかもが血の深い赤に染まっている。  ふと、春人は眼下に視線を落とす。  足元には人間と異形の化け物である鎧殻獣(ルプス)の死骸が累々(るいるい)と横たわっていた。  自分を除き、今回の第四警備大隊訓練中隊に出向(しゅっこう)してきた訓練兵の中で息のある者は一人もいなかった。  実戦に怯え戦うことを止めたか、訓練通りに固有兵装を起動できなかったか、理由はどっちでもいいが誰もいない血塗られた場所──そこがあの時と変わりない戦地での自分の居場所。  その時、建物が盛大にドゴオォォン、という音を立てて崩れた。  直後、 「クソが、キマイラ型の鎧殻獣(ルプス)か!」 「!」  春人の後ろの壁が砕けると同じ軍服を着た正規兵二人と化け(ルプス)が一体、一緒に突っ込んできた。  地に染まった血に降りたことでまだ渇いていない血が正規兵二人の足元に()ねて付着する。  そしてそのうちの一人が(おびただ)しい血に驚きながらも、こちらに気づき声を上げてくる。 「蒼崎春人上等兵!? 無事なのは頼もしく嬉しいが、ここは安全のため一旦後退……」 「……はっ、後退だと? つまりは下がるってか?」  そう言って、歪な四肢と胴体。長い尾の先まで入れれば、おそらく体長は二○メートル以上はある。大地を踏みしめて動く姿は生々しく、檻から開放された肉食動物特有の躍動感を抱かせるキマイラ型の鎧殻獣(ルプス)を見つめ、歯をむき出しにした不敵な笑みを浮かべる春人。 「誰に向かって言ってんだ。俺は誰も死なねえ世界を目指して討滅官(エクスキューター)を目指してるんだぞ! だったらこの程度のバケモノごとき……殺せなくってどうすんだっつんだよ」  春人はそう叫ぶと、自分の量産型討滅兵装を抜刀して、刻印により目覚めた霊気(ルオーラ)星辰光(アルテリズム)に移行させ日本刀に流し込みキマイラ型の鎧殻獣(ルプス)に突っ込んでいく。  刻印者──国際討滅官機関が定める刻印式を胸に施されたことにより内包する霊気(ルオーラ)を目覚めさせ、動体視力・反射神経・論理的判断力が飛躍的に向上し常人より一手動き出しが速くなる特異存在である。  さらに刻印者が討滅兵装を持った状態で霊気(ルオーラ)を兵装へと流し込むと、霊気(ルオーラ)はより純度の高い星辰光(アルテリズム)となり、その恩恵として刻印者の身体能力を数倍に跳ね上げ、強力な再生力で限界筋力を常に出し続けられるようになるのだった。  ゆえに春人は討滅兵装へと霊気(ルオーラ)を流し込むことに躊躇いはしない。  瞬間、春人の意識が飛びそうになる。  あまりにもの全能感に破壊衝動をきたし、無差別に人だけを斬りたくなってくる。  それを、外科手術で心臓に埋め込んだ制御術符により無理矢理抑え込む。  制御できなかった星辰光(アルテリズム)が、日本刀を握っていた右手から顔の右半身から右目付近まで赤い紋様として覆い溢れ出す。  何かしらの身の危険を察したキマイラ型の鎧殻獣(ルプス)が棘を放ちながら吼えるが、その音圧に(すく)むことなく春人は何十本もの棘を日本刀で叩き落としながら一直線に駆け抜ける。  そして、キマイラ型の鎧殻獣(ルプス)を斬り刻みものの一分で絶命させる。そばにいる正規兵との連携もなく単独で。  本来ならありえない戦闘力だった、通常なら警備隊正規兵の一個班──量産型討滅兵装三人、手練なら二人──による戦術陣形(タクティクス・フォーメーション)を駆使し、一時間近い時間をかけてチームの安全を考慮して倒す相手だからだ。  ゆえに春人のそれは戦術でもチームの安全性を考えていない、ただの虐殺だった。春人は延々と殺し続けるかのように、その肉片をさらに細かくしていった。人でありながら人としての感性を失ったかのように。  だから、第四警備大隊配属の熟練者な正規兵二人はそれぞれこんなことを言う。 「……おいおい、どっちがバケモノかわからなくなるな」 「あのバカ、また隊律を乱す命令違反を……!」  ──認めたくなかった。  ──絶対に認めたくなかった。こんなヤツらに多くの人たちが苦しめられ、戦場でコイツらを見るたびに自分の感情が抑えられなくなるのは。  だから春人は──今日も戦地で狂人に変わる自分の姿から目を背け続ける。 ◆  極東総局討滅官育成機関、専任中央訓練校。  通称、「候補生の楽園」。  魔種(ノワール)に対する誤認や畏怖(いふ)、差別意識が再び顕在化し始めた現代。  魔種(ノワール)との和平を結んだ各国はそれらに関わるすべての脅威を取り締まるため、国際討滅官機関を発足。  これに反旗を(ひるがえ)したのが、和平案を不服とした敵性魔種(アウトノワール)であった。  この動乱──のちに「天裂(あまさき)の乱」と呼ばれることになる──は四○年にもの年月をかけて、全人類の一割を死滅させた()むべき歴史として人々の脳裏に焼き付いている。  天裂の乱終結後、国際討滅官機関の活動はさらに向上し、各国の軍の一部を接収するまで巨大化。敵性魔種(アウトノワール)への処罰は法として確立され、世界の主要国に討滅官(エクスキューター)の育成機関である訓練校を創設。  国際討滅官機関の権力は大国と同等以上となり不動のものへとなっていった。  その国際討滅官機関極東総局が管轄する第三討滅官監督支局、現在もなお設立時から愛知県に置かれている専任中央訓練校にて、昨日キマイラ型の鎧殻獣(ルプス)抹殺を成し遂げた春人はいた。 「おい。あれ、死を呼ぶ不吉だろ」  専任訓練校の廊下を歩く春人を指さして、壁際でペットボトルに入った飲料水に口をつける男子生徒の二人組が嫌悪感を隠すこともせず睨みつけている。 「ああ、この前の警備任務でアイツだけまたけろりと生き残って、鎧殻獣(ルプス)を倒したらしい」 「なんで毎回毎回アイツ一人だけ無傷で帰ってくるんだよ、気味(きみ)わりぃよ」  生徒の言う通り日本に点在する禁踏不浄区域(フェイス・ボーダー)の警備任務のとき、春人と一緒に送られる何十人もの訓練兵の中で唯一、かすり傷一つ負うこともなく任務を終わらせてくるのだった。  ゆえについたあだ名が、死を呼ぶ不吉。他の訓練兵に死を(なす)り付け生き続ける不気味な存在だから。 「……アイツさえいなかったら、警備任務中の訓練兵の死亡率なんて飛行機の墜落する確率より低いのにな」 「もしかしたら密かに殺しているんじゃないのか? だとしたら調査部に徹底的に実態暴いてほしいぜ」  実に不服そうな会話が廊下に響き渡る。 人のことを己の価値基準で畜生と決めつける独善的な悪意を背中に浴びながらも、春人は背を真っ直ぐに伸ばして歩を進めた。  後ろ姿は子どもとは思えぬほどに凛々(りり)しい。  だが前は鬼の形相一歩手前だった。  元々子どもっぽくない目つきや並外れた戦闘力が際立って、まるで狂った殺人鬼かなにかのようにサイコパスじみた感情の起伏のない視線と表情をしている。  周りの生徒も、春人のあまりにもな恐ろしさに道を譲って壁際に避けていた。 「──!? はっ……!?」  春人は周りの状況に気づき、鬼の形相を慌てて引っ込める。 「ダメだダメだ。……我慢……我慢しろ……俺! 自分を嫌われたくらいでいちいち怒ってなんかいられるか……!」  額を左手の指で軽くつまみ、はぁと深く疲れたようにため息をつく。 「俺はもう、小学生の頃とは違うんだ」  腰に下げた刀に流れでなんとなく手を当てる。蒼崎春人を蒼崎春人たらしめているのはこれしかない。蒼崎春人がこの道を選べたのは、この量産型の討滅兵装に適合したからなのだ。適合しなければこんな場所を歩いてすらいない。  幼少の頃から勉強ができ、手先も器用で周りの女の子からそれなりにモテてきた。唯一の欠点と言えば絵の才能ぐらいだが日常で披露する機会はそもそもないので、大きな欠点ではない。さらには元々運動神経が優れておりスポーツ全般、とくにテニスでは格上にシングルスで勝ったことがあるぐらいにはセンスや勘もとてもいい。  それでもこの討滅官(エクスキューター)の道を進んだのは、香港の離島区と呼ばれたランタオ島へと仕事の都合でさきに暮らしていた父親のあとを追うように、母親と妹の家族二人と一緒に移り住みその土地にある学校で仲の良い友だちも何人かでき、日本を離れたときに生じた言い知れぬ不安感が払拭しつつあった九月一五日にあの出来事が起きたことが根本的な原因だろう。  なぜなら既に高度経済成長を遂げ先進国となった日本を「アジア唯一の大龍」に見立て、それに次ぐという意味合いでアジア四小龍と名付けられ、実際香港は東京、ロンドン、ニューヨーク、シンガポール、パリと並ぶ世界都市──主に経済的、政治的、文化的な機能と世界的な観点による重要性や影響力の高い都市のこと──の一つであり、同時に世界的に重要な国際金融センターを有し、通貨の香港ドルは世界トップクラスの取引高を有しているからだ。ゆえに人的被害も深刻だが、それ以上に経済的被害が相当危険だったらしく、テロによる香港経済が麻痺しその余波で世界恐慌が起きる一歩手前までいったとか。  あれだけでどれだけの家族が苦しみ、経済的な困窮(こんきゅう)(おちい)ったのかを考えるだけで、春人は非常に腹の底からイライラが増してきてくるのであった。  そこで春人はいったん歩くのを止めて、目を閉じ軽く息を吐く。  心の奥底ではテロの実行犯である「解放戦団」をあらゆる凄惨(せいさん)な方法で復讐して()りたい気持ちはもちろんあるが、そんなことをしたところで家族は生き返らないし、そんなことに費やすより家族の分まで幸せに生きるべきだと春人は悩みに悩んで決断している。しかし四年前を思い出すたびにどす黒い感情が浮かび上がりそうになるので、こうやって気持ちを落ち着けるのだ。  一分程度の時間が経過したあと、春人はゆっくりと目を開けて、自分の刀から手を離し再び歩みを再開する。 「気にするな……気味悪がられようと、俺はこの道を進むって決めたんだから」  それに父親の従兄妹家族からも絶縁状態な、いま。一人で生きていくためにも金が必要だった。  学生の討滅官(エクスキューター)でも、正規軍の一般兵よりかは平均して給与を高く設定されている。  魔種(ノワール)禁踏不浄区域(フェイス・ボーダー)内での出現が確認されている鎧殻獣(ルプス)の対処を全面的に任されており、対人よりも命の危険度が凄まじく高いためだ。 ぐっと(こぶし)を握り窓の外を見る。春人の瞳には涙は流れておらずとも、なにか切実な輝きを放っている。  ──蒼崎家のご先祖の皆様お許しください……生きていくにはお金が可及(かきゅう)的速(てきすみ)やかに必要なんです。  いまはただ、金を稼ぐ。  四年前のあの頃と比べて、劇的に変わり強くなった現在の春人は敵性魔種(アウトノワール)の討滅と同等までに、それを強く望んでいた。
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