秋雨

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秋雨

 ここ数日、雨が続いている。  熱を持った空気と混ざっているのか、細かい粒が霧となって身体にまとわりつくのか、どちらにしても不快な雨だった。    花柄模様のビニール傘をさして学校から帰宅すると、玄関先に人の影がある。  紺色の作業着姿で家の前に立っていた男が、黒い傘と一緒にお辞儀をした。  年齢は40代くらいだろうか。顔がふっくらしているし、もう少し若いのかもしれない。 「こんにちは。お母さんはいますか?」  誰だろう、と不審な男の姿を一瞥し、「はあ」と答える。  母は恐らく寝ているはずだ。既に呼び鈴は押した後だろうか。 「あの、お母さんの同級生で……この近くの現場で仕事をしています」  腰を低くしたまま、男が言った。  同級生って、いつの時代の同級生なんだろう。母は、ここから離れた県境の町で生まれ育っている。 「ええと、ちょっと声を掛けてみます。でも、あまり体調が良くないので……」 「あ、はい。すいません」  男を残して鍵を開け、一人だけ家に上がる。  洗面所で手を洗ってから、母のいる寝室に向かった。 「ただいま。お母さん、誰か来てるよ。同級生って言ってるけど……男の人」 「同級生?? どんな??」 「わかんない。作業着だった。中肉中背? 近くの現場で仕事をしてるとか言ってて」 「ええー? どうしよう、お母さん寝巻なのに」 「断ってくる??」  ボサボサの白髪交じりの髪は肩下まで伸びていて、刻まれた皺のある顔にそばかすやシミが見える。  40歳を過ぎたばかりだけれど、数年前はとてもきれいな、自慢の母だった。  病気が酷くなる前だったら、こんな姿を人前に晒すことはなかっただろう。 「ううん、会うことにする。わざわざ訪ねてくれる同級生なんて、もう現れないかもしれない」 「あ、そう。居間に案内すればいい?」 「うん、ちょっとだけ待っててもらって」  母が身体を起こし、鏡台に向かう。  どんなに体調が悪くても、それをそのまま見せるつもりはないのだ。 「分かった。じゃあ上がってもらうよ?」  私は自分のリュックサックを2階の部屋まで持って行き、姿見に映る湿気を帯びた髪の状態を確認した。  セーラー服はところどころ濡れているけれど、気温が高いせいで寒さは感じない。  さっき会った人にちょっと見られるくらいなら許容範囲か、とそのまま部屋を出て、階段を降りて玄関を開ける。  男は、ずっと立ったままだ。 「どうぞ。母の支度に時間がかかるかもしれないので、中で待っていてください」 「ああ、どうも……」    傘を閉じた男を家の中に案内する。玄関からすぐの居間に入ってもらった。  お茶くらい用意しようかと台所に向かい、冷蔵庫から冷えた緑茶を出してグラスに注ぐ。  お盆に載せて持って行くと、居間の座布団にあぐらをかいた男が「ああ、わざわざすいません」と頭を下げた。  母と同い年のはずだけれど、やはりこの男性の方が随分と若く見える。  皺はほとんどないし、健康的に日焼けしていて……身体も丈夫そうだ。 「中学生?」  なんだか不躾に聞かれる。  私はちょっと面食らって、「あ、はい」と答えた。 「お母さんに似ていますね。中学生の頃の」 「そうですか……」  そりゃ親子だし、と思ったけれど、この人は中学生の母を知っているらしい。  中学の頃なんて遠い昔だろうに、私を見て感心している。  じめじめとした空気がまとわりつくせいで、男の視線が不快だ。  私は軽く会釈をして、居間の外の廊下で母を待った。  雨が止まない。  室内にも響くざあざあという音を聞いていると、隣の部屋の襖が開いた。  母は半袖にカーディガンを羽織り、スカートを履いていた。薄化粧を施している。  恐る恐るといった様子で居間を覗いて、「あ!」と大きな声を上げた。
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