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「うむ、助かったぞ娘」
若様は上機嫌である。どうやら本隊へと手早く合流できたことをえらく喜んでいるようだった。部下達に農作物達を遠慮なく馬に積み込ませながら、気持ち悪い笑顔を浮かべている。
「其方、名をなんと申す」
「はい、サクラと呼ばれておりまする」
「ふむ、サクラか、良い名じゃのう」
気のせいかやたらと馴れ馴れしい態度だった。
「そこの小僧、貴様は帰ってよいぞ。サクラとやら、丁度我等はこの家で飯を喰らうところだ。其方も同伴せよ」
若様とやらはそう言うと、無理矢理サクラを連れだって村長の家に入っていった。彼女はチラリとこちらを見たが、諦めるように僕へとかぶりをふったのだった。
いつまで待てどもサクラは帰ってこなかった。
夜もとっぷり暮れ、そろそろ就寝かという頃合いに僕は喧噪に気付いた。土間まで来ると、大勢の大人達が彼女の噂話に明け暮れていたのである。
「おぉ、そげなことがあったんだっぺか」
「せや。今丁度村長の所で祝言進めているそうでなぁ。めでてぇ、この村からたいした出世頭だっぺや」
話が飲み込めない僕に、ずっと聞いていたらしい妹がこっそり耳打ちする。
「お姉ちゃんね、若様のお嫁さんになるんだって。凄いね」
僕は慌てた。そしてあの若い頭領の目つきが怪しかったのもそのせいかと今更納得した。どこの馬の骨ともしらない出のサクラだが、その美しさは異論の余地はない。一目惚れしてもおかしくはない。
僕は絶望に包まれ、一人寝床へと戻っていくしかなかった。言いようの知れぬ不安感に襲われながら。
どのくらい時間が経ったろうか。
僕はふと人の気配を感じた。頭を横に向けると、そこにはサクラが立っていたのである。
「少しお話があります。いつか出会った山で待ちますから、そこまで来て下さい」
サクラはそう言うと、スッと外へ出ていってしまった。僕は慌てて後を追ったが、彼女の姿はない。必死に走って山へと向かった。
「サクラ!どこだ!?」
こんな深夜に一人で山に入るなど、正気の沙汰じゃない。彼女の安否を気にしながらも僕は全力で声を張り上げながら、駆け抜けた。
なんとかその場所まで辿り着いた僕は吃驚した。真っ暗闇に覆われた森林がにわかに鈍い輝きを放っているではないか。しかもよくよくみると、僅かにではあるが、成長をしているようで、この季節にも関わらず果実を実らせている木までもある。なんとも神々しい光景に僕は唖然としてしまう。
「サクラ」
ハッと僕は気付く。
そのか光輝く木々の中央、巨大な老木にもたれかかるようにサクラが苦しそうに立っていたのである。僕は鼓動を高鳴らせながらゆっくりと彼女に近づいた。
「サクラ、大丈夫かい?具合でも悪い?」
彼女は苦しそうに胸を抑えて、こう言った。
「お別れです、清太郎さん」
「えっ?」
「ごめんなさい。貴方や村の人達には隠し事をしていました」
彼女は語った。
自分は人間ではないこと。
生まれて間もない桜の精であること。
父たる神々の命でこの山に顕現したが、生まれたばかり故に山の主を追い出した時に力を殆ど使い果たしてしまったこと。
このままでは存在そのものが消えてしまう為、長い眠りにつき、再生を図るしかないこと。
僕はそれらを黙って聞いた。彼女が普通の人間でないことは薄々感づいていた。あの猪を追い払った光や村を豊作で救った事などは決して夢ではなかったのだから。
サクラは最後にこう言った。
「貴方にお願いがあります」
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