3night

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1. 「改めまして、この度担当になりました有澤と申します」 「頂戴いたします」  差し出した名刺を受け取る、鳴海さんの大きな手。 見た瞬間に何故かドキッとして、慌てて目を逸らした。 「有澤は企画部の一番優秀な社員です。どんなご希望にも添える仕事をいたします」 「あ、青野…」  何言ってんだよぉ…! 「…それはすごいな。是非ともよろしくお願いします」 「…おそれいります。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」  何とも気まずいのを押し隠し、顔には笑みを貼り付けて、内心で今は仕事中だと自分に言い聞かせる。 そうしないと、頭の中で勝手にあの夜が再生されてしまうから。 「あぁ、そうだ。私の名刺も…」  鳴海さんも名刺ケースから一枚取り出した。 「鳴海です。今回の新規進出については全権担当しますので、何かあればいつでも私の方に…」 「は、はい…」  またしてもそのきれいな手に目を取られたけど、どうにか視線を引き剥がして受け取った名刺を見た。  ㈱GrandOcean 副社長 鳴海史朗  ふ、副社長……なの?  四十代後半くらいに見えるのに、と内心驚きながらバッグに仕舞う。  それにしても、だ。 「広い、ですね…」  この大きなホテルの二十階以上は、いわゆるワンフロア状の客室で、長期レンタル対応しているのだというけど。 当然だけれど、オフィスというよりは客室の造りで。 大きなテーブルセット、ソファセットもある。 でも奥にはバーカウンター付きのキッチンがあるし、反対側のドアはきっとベッドルームに続いているんだろう。  オフィスって感じじゃ、ないよね…  ついキョロキョロしてしまう私を見て、鳴海副社長はくす、と笑った。 「普通のテナントを借りるはずだったんですが、手違いで押さえられなかったんです」 「そ、そうなんですか」 「ええ。しかも、今はまだこちらに来ているのは私ひとりですしね」  オフィスといえども、実情は副社長のホテル一人暮らし、らしい。 「でもさすが、GrandOceanさんですよね。ここを一年、押さえていらっしゃるんでしょう?」  一年…って、すご…!  青野の言葉に、鳴海さんは微笑んだ。 「社長の一存なので、私は…」 「その社長さんはとてもお若いと聞いています。私達とあまり変わらないのでは?」 「えぇ、彼はまだ二十代です」 「二十…」 「興味がありますか?」 「え、いえ…ただ、すごいなと思って」  あぁぁ…頭の悪そうな発言をしてしまった。  恥ずかしくなって、口をつぐんだら。 「そうかな…有澤さんもお若く見えますが」  鳴海さんに笑いかけられた。 その途端、胸の内側が騒がしくなる。  や、やばい… 金曜の夜の、史朗さん、が…… 「いや、こんなことを言ったらハラスメントになってしまうのかな…すみません」 「い、いいえ…」 「あ、元は私が年齢の話を振ったので…失礼しました」  青野の言葉で、我に返った。 そうだ、今は仕事中だ。  ドキドキしてる場合じゃない… 「いえ、優秀な方々にお願いできるのは、こちらとしても嬉しいことです。喜原屋さんは業界の大手ですし、安心して任せられそうだ。早速打ち合わせをしましょう」 「はい。よろしくお願いします」 「よろしくお願いします」  青野と一緒に頭を下げて、案内されたテーブルにつく。   そこからたっぷり二時間、仕事に没頭した。  帰りの車の中。 「どうする?このまま帰っていい?」 「ううん。一度戻って過去のデータ拾い出す」  二時間みっちり打ち合わせをするうちに、鳴海さんが、というよりも先方のホテルがどんな商品を必要としているのか、ぼんやりと見えてきていた。  北海道産グルメを使った、美しくておいしいお料理が映えることが第一。 それから使いやすくて丈夫で、それ自体も美しい物。 今回は完全オリジナルでということだから、既存の物から選ぶのではなく、デザインするところからだ。 どこのメーカーのどんな商品からあたるか、考えただけでワクワクする。 いろいろ話し合って、先方と意見を擦り合わせていくのはいつもとても楽しい。 思い描いた商品を届けられるように、できる限りのことをしたいと思う。なのに。 「えー、俺は直帰したいんだけど」  と、水を差す青野。 「………」  まぁそれも仕方ない。 営業と企画では目線が全然違うから。  ひとりでオフィスに戻って、続きをやればいいや。 「じゃぁ駅で下ろして」 「そうじゃなくて。有澤も帰ろうぜ」 「…なんで?」  まだ就業時間内だし、営業と違って企画部はタイムチェックもある。 理由もなく直帰はできない。 「奢るって言ったじゃん」 「いらないって言ったでしょ」 「俺ビール飲みたい」 「帰って飲みな」  私はいらないって言ったら。 「ひとりで飲んでもつまんねーじゃん」  だって。  知るかよ、そんなのー。 「はぁ……岩崎さんは?」  「彼女は平日は実家」 「そうなんだ…」 ということは、週末はお泊りに来るのか。
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