3night

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4.  それしか考えられなかった。 だから、そう言った。 そしたら。 『そうじゃないんだ』  澄香、と。 また名前を呼ばれた。 跳ねる心臓。 思わず部屋着の胸元を握りしめる。 『聞いてほしい』 「…………」  もう、夕ごはんどころじゃない。 オロオロ彷徨っていた視線が、無地の壁紙に張り付いたまま動かない。 気付いたら、いつの間にか正座してた。 「……何ですか?」 『うん……』 「……………」 『…………君と会ったあと、なんだけど』 「はい…」  はぁ…、って。 ため息が聴こえた。 『頭から離れないんだ』 「…………」 『あの、夜のことが』 「えっ……」  あの夜、って。 「金曜、の…?」  だらしなく酔っ払って、フラフラになっていた、あの夜。  史朗さんに会った、夜。 『そう』 「…………」  彼は今、どんな顔をしてるんだろう… 『朝、君と別れた時は平気だったのに…』 「………はい」 『帰ってから、何度も思い出して…』 「何度も……?」 『そう』 「…………」  あの夜、一度したあと。 シャワーしてから、また二度目をした。 そのあと一緒に眠って。 起きたら朝で、シャワールームから出てきた彼に勧められるまま、自分もシャワーを済ませた。 ルームサービスの朝食をとる間、ぽつりぽつりと話はしたけど。 名前以外のお互いの情報は何も話さなかった。 『だから…週末はずっと君のことを考えてた』  今何をしているのか。  どこにいるのか。  あんなふうに声を掛けた自分のことを、どう思ったのか… 『連絡先を訊けば良かった、って…思った』  それは。  私に、少しでも惹かれるところがあったってこと…? 「史朗さん…」 『……その声』 「……え?」 『また聴きたいと思った』  もう一度、呼んでほしいと。 『そう思ったんだ…』 「………っ」  そんなこと、そんな声で。 言わないでほしい……  もう心臓が破れそうなほどバクバクしていた。 顔が熱いし。 何故か涙目になってる。 彼の声には、私をこうさせてしまう何かがある。  何か、言わなきゃ…  そう思うのに、うまく言葉が出てこない。 『……ごめん、急にこんな話をして』 「…大丈夫、です」 『でも、困るでしょう』 「いえ、そんなことないです…」  だって、私も同じことをしてた…  彼のことを何度も思い出してた。 それを言おうか、やめようか、少しだけ迷って。 「……あの、嬉しいです」  言ってしまった。 「私も同じだから…」 『同じ……?』 「…はい。週末はずっと、あなたのことを考えてました」 『…………』  今何をしているのか。  何を考えているのか。  自分との夜を、後悔してはいないだろうか…  あの夜。 全てに見離されたようだった人生が、たった一晩でまるで違ったものになった。 「落ち込んでたのが嘘みたいで…」  あなたが抱きしめてくれたから。 一時でも、素敵な人に愛されたような気持ちになれたから。 「でも…」  名前以外のことは訊けなかった。 訊いて拒絶されたら、また前日に逆戻りだ。 自分は女として誰からも必要とされず、今までもこれからもずっとひとりで生きていく人生なのだと。 もう思いたくはなかった。  きれいな思い出にしてしまえば、時々思い出しながらまた頑張れる気がした…けど。  口にしたら、何だかものすごく恥ずかしくなってきた。 「あ、あの、だから私は、ですね……」 『澄香?』 「あ、はい…」 『ひとつ提案していいかな?』 「え?はい、どうぞ…」  提案、て。 なんだろう…… 『俺はね…』  あ……俺、って言った…  仕事の時は、私だったから。 今は、仕事じゃないってことだ。 もうますます心臓がうるさい。 『君のことが気になってる』 「………はい」  はっきり、言うなぁ… 『いい歳をして、格好悪いのは百も承知だけど…』 「そんなこと…」  ていうか、史朗さんて何歳なんだろう? 「ないです…」 『そうかな…俺は自分がこんな人間だったんだって知って、少し幻滅したんだけど』  くすくす、笑ってる。
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