4night

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1.  史朗さんが連れて行ってくれたのは、美味しい和食のお店だった。  和食っていうか、創作懐石…?  ひとりだったらまず入らないし、莉奈と一緒でも選ばないような。 お刺身とか和牛のグリルとか、上品に盛り付けられてカウンター越しに提供されるお店だった。 お値段も絶対にいいはずだ。 「美味しいです…」 「ありがとうございます」  カウンターの向こうで、黙々とお料理しているスタッフの人が律儀に頭を下げる。  何とかいう深海魚の蒸物は、生姜の風味と辛味大根卸が絶妙に効いていた。 変な言い方だけど、飲み込むのがもったいなく思えるほど美味しかった。  これは家では再現できないな…お店の味だぁ…  最近こんなことばかり考えてる。 「ここはまだこっちに来たばかりの頃に、接待で来たことがあって」  史朗さんも同じお料理を口に運びながら、笑顔を浮かべていた。 「何を食べても美味しいんだよ」 「ほんとですね」 「まだお腹が大丈夫なら、もう何品かお願いしても?」 「はい、食べたいです」 「じゃぁ…すみません、いいですか?」 「かしこまりました」  史朗さんは今日も格好良い。  お仕事モードだぁ…  気付かれないように気をつけながら、ついちらちら見てしまう。  仕立ての良いスーツは涼し気なライトベージュ。薄紫色のストライプ模様のシャツと、濃紺のネクタイ。  ダンディズムっていう言葉は、この人のためにあるんじゃないかと思う。  目の保養…  あの電話に出た数秒後、後ろからも声が聞こえて振り返ったら、史朗さんがそこに立ってた。 てっきり外で待っていると思ったから驚いた。 「迎えに来たよ」  そう言われて、胸が高鳴った。  手をつないでカフェを出て、停車していた史朗さんの車に乗っても、どこか現実感がなくて。  今だって、夢なんじゃないかって少し思ってるし。  悲しい現実をこじらせ過ぎて、週末ダラダラと寝ているうちに見ている夢、とか。 疑ってしまう自分もいる。 「澄香?」 「え…あ、はい」  これが夢で、いつか覚めるとしてもいいとさえ思ってしまう。  史朗さんが格好良すぎる…  昔から歳上がタイプだ。 同年代や歳下は、お馬鹿な弟を連想させるから敬遠してしまう。 「海老と帆立、どっちにする?」 「あ、じゃぁ…海老がいいです」 「うん、そうしようか」  海老を、と声を掛ける史朗さん。  はい、と返事をしたスタッフが手元に視線を移す。 「天ぷら、好き?」 「大好きです」 「俺も好きなんだ」 「美味しいですよね」  たったそれだけの会話が、どうしてこんなに幸せなんだろう…  お店を出て車に戻ると、史朗さんが助手席のドアを開けてくれた。 「あ、ありがとうございます…」  こういうのに慣れてなくて、カフェの前で乗せてもらった時も驚いてしまった。 「どういたしまして」  律儀だな、と言ってくすくす笑う。 あなたの方がよっぽど、って思う。 ドアを閉めて反対側に回り込んだ史朗さんに慣れてないんですと言うと、「そう?」と訊かれた。 「もしかして、あまりしないのかな…」 「………」  それはわからないけど、今まで付き合った人の中にはいなかった。  門平くんは絶対しないな…  しないというより、似合わない。  青野、は…  岩崎さんにはするのかもしれない。 私にはしない。 「史朗さんは、こういうのが似合います」 「ん?」  似合うとかあるの?って、また笑うから。 「エスコート、してくれるの…素敵だと思います」  言ってからちょっと恥ずかしくなって、目を逸らした。 「…………」 「…………」 「……澄香?」 「は、はい」 「このあとだけど、どうする…?」 「………」  このあとって、…そういう意味、だよね…?  膝の上に落としていた視線を上げたら、史朗さんと目が合った。 「……帰る?」 「あ…」  それを、訊くの…?  そう思ってから唐突に、これはあの夜をなぞってるんだって気付いた。 彼が微笑んでるから。  このあと、どうされますか?  帰りますか?  あの夜、そう訊いたのは私の方だった。 彼は…… 「帰らないで……」  そう言って。 「今夜、一緒にいたいです…」  そう、続けた。
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