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4.
土曜日。
史朗さんに、マンションまで送ってもらったとき。
「捕まえて」と言った私に、彼は微笑んだ。
どこか淋しそうな笑い方だった。
そして。
「逃げるなら今、なんだよ?」
ダメ押しするように、そんなことを言った。
まるで逃げてほしいみたいだった。
でもそれはつまり、今逃げなければ離さないという意味にも思えて。
どうしてそんなふうに言うのかわからなかった。
けど史朗さんの最後通告に対して、私は迷わなかった。
あなたの言いたいことはわかる。
でも離れたくない。
まさにそう思っていた、わけで。
だから、車を降りようとしない私の右手を史朗さんが引っ張った時も、何の抵抗もなく彼の胸の中に飛び込んだ。
首筋に掛かる、熱いため息に震えて。
「じゃぁ…俺のものになる?」
その低い囁きには、胸をときめかせながら頷いた。
彼の腕の中が、ここが。
自分の居場所だと思った。
「それで!?」
「それで…」
食い気味の莉奈の勢いに押されながら、続きを説明する。
「…一旦、着替えて…出掛けた」
「えっ!?何で」
「何でって?」
「チューしてそのまま澄香の部屋で一日中コースじゃないの!?」
「違うよ……」
一日中コースって何なの…
「あれぇ?おかしいな」
「おかしくないよ、別に」
「いやいや、でもキスはしたよね?」
「………………」
「ほらね」
「…もうこの話はおしまい」
食べようよと促すけど、莉奈は。
「うわぁ……」
顔を突き合わせるようにしてた体勢から、テーブルの向こうに仰け反った。
「あ、ちょっと莉奈…」
小声で話してないと落ち着かなくて、こそこそ手招きをするけど。
「平気だって。知り合いはいないよ。ここ、どれだけ会社から離れてんの」
「そうだけど……」
念には念を入れてと、会社からかなり離れたお店を選んだ。
最寄り駅から5駅離れた、アジアンフードのお店。
テーブルの上には生春巻きとパッタイとパパイヤサラダが並んでいるけど、どれもほぼ手つかずのまま。ドリンクのグラスだけが空なのは、話が進むうちに莉奈の突っ込みが鋭くなり、会話に熱が入ったから。
「ねぇ、次なに飲む?」
ドリンクメニューを差し出すと、莉奈は受け取ったものの見ようとしない。
恋人ができたと言ったら、絶対定時で上がるしどこにでも行くと言ってくれた親友だけど。
話の内容が飛びすぎてたかな……
何しろワンナイトがスタートで、週明けにまさかの仕事で再会、その週末にはまた会って交際スタート。
急展開すぎるといえば、確かに。
我ながら、勢いで行動し過ぎかもしれないな…
今まではこんなことなかった。
始まりはいつもどちらかからの告白で、少ししてからキス、セックス…という王道の流れだった。
身体の関係から始まったのも、出会いから10日も経たずに交際がスタートしたのも初めてだ。
でも。
あの金曜日からまたやりなおせるとしても、きっと同じ選択をするだろうな…
史朗さんは、ずたずただった心を癒してくれた人だ。
今、自分が彼を好きなのは事実で。
今となってはもう気持ちを抑えることも難しい。
「私、もう一杯同じのオーダーするけど…」
何か考えているっぽい莉奈にそう言うと。
「じゃぁ私も」
「うん」
タッチパネルで同じものをオーダーをする。
「食べよっか」
せっかくの料理だからと、取り皿にどんどん取り分ける。
お皿がいっぱいになる頃。
「澄香」
莉奈がテーブル前に戻ってきた。
「その人のこと、好きなんだよね?」
真面目な顔で訊かれて。
「うん」
迷わずうなづく。
「好きだよ」
「……じゃぁ、応援する」
「……………」
「ちょっと心配ではあるけど、でも澄香がそこまではっきり言うの、めずらしいから」
「そうかなぁ……」
「自覚ないのか」
莉奈が笑う。
苦笑いだけど、史朗さんの話をしてる間は全然笑ってなかったから、少しほっとした。
「澄香はなんていうか……いつも少し引いてるんだよね」
「引いてる?」
「うん。誰かと付き合ってても、一歩引いてるように見えた。相手の意見が優先で、相手の出方を見極めてから自分のことを決める、みたいなとこない?そういう性格なのかなと思ってたけど」
「…そうかも」
確かに自分のことは後回しにしがちだ。
「よく言ってるじゃん。長女だから下の面倒見るのに必死で、自分のことはいつも後回しでそれが癖になってるって」
「あぁ…、うん」
「それ当たってるよ。妹弟だけじゃなくて、誰に対しても澄香はそうなんだよ。だから今までの彼氏にもけっこう尽くしてるように見えてた」
「うん…、そうだね」
「でも、鳴海さんは違うでしょう?話を聞く限りは、彼の方が澄香に…」
「いや、そんなことは…」
ない………、とも言えない……?
いつも優しくて、穏やかで、包み込むような安心感をくれる彼。
甘えてもいいと思わせてくれる。
素直な言葉を、そのまま受け止めてくれる。
そういう彼を、愛おしいと思う……
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