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2.
昨日の今日で、もしかしたらまたお休みなのではと心配していたけど。
彼女はいつもの時間に出勤してきて仕事をしている。
一方、青野の方は始業ギリギリに飛び込みで入ってきたのを見た。
遠目に見ても冴えない動きなのがわかるほど、疲れている様子だった。
二人は今のところ、言葉を交わす様子はない。
隣から視線を感じてそっちを見ると、奥村さんがちらっと岩崎さんを目で指し示した。
鋭い彼女はもちろん、岩崎さんと青野の関係に亀裂が入っていることに気付いてる。
……どうなってるんですかね。
……詳細は不明。
的なアイコンタクトのあと、奥村さんは自分の席に戻った。
お昼休みに莉奈と相談しようって言ってるけど…
昨日の件を、青野に確認するかどうか。
あれを見ていなかったとしても、もはや傍目に見ただけでもわかるほど二人の様子はおかしい。
同フロアでも気付いているっぽい人もいる。
青野、女子社員に人気だからなー…
授かり婚発表のあとで、悔しがってたとか泣いてたとか、そんな女子もいたと莉奈から聞いてた。
総務は女の園的な雰囲気なので、噂話はとにかく早い。
お昼には何か情報がくるかな…
彼女、休暇の申請もしたようだし。
ちらっと岩崎さんを見てから液晶のプレート画像を閉じて、別件の進捗確認のためメールソフトを立ち上げた。
「やばいよ」
テーブルについた莉奈の第一声がそれ。
「何が」
久しぶりのお弁当を広げる手を止めて訊けば。
「休暇じゃなくて退職だって」
「……………えっ!?」
岩崎さんのこと、だよね!?
「朝のうちに総務に来たでしょ。あれだよ」
「休暇じゃないって……何で」
「結婚退職らしいけど」
「………あ、あれで?」
昨日のあれは、とてもじゃないけど結婚する二人のやり取りじゃなかった。
終わってるんです、ときっぱり言っていた岩崎さんの口調は、青野を完全にシャットアウトしてた。
「澄香、私思うんだけど」
「うん……」
「お腹の子供の父親も結婚相手も、青野じゃないんだと思う」
「…………」
莉奈は鋭い。
「それは……」
「青野、何か言ってなかったっけ?それっぽいこと」
「どうだろ…」
「今更だけど、お互いにそういう気分の時だけ会ってたわけでしょ。付き合ってたんじゃなくて」
「………そう言ってたね」
「それでうっかり妊娠とか、あるかなぁ……」
あの青野が、と莉奈がつぶやく。
それは私も同感だった。
青野の仕事は、昨日は例外としていつも隙がない。
完璧で、だからこそ成績も飛び抜けて良い。
そういう人間が、彼女じゃない女性とのセックスでミスをするとも思えない。
「女の方はどうなの?」
「岩崎さんは…」
彼女もそういうタイプではない気がした。
無計画だったり、勢いでの行為には及ばないと思う。
少なくとも仕事をする上ではしっかり者だし、着実に足元を固めるタイプだ。
「そういう感じじゃない、かな…」
「やっぱり…。今朝こっちに来たときも愛想ひとつ見せないし、事務的に手続きしてさっさと戻っていったよ。なんていうか、男にだらしないとかそういうタイプじゃないよ、あれは」
なんかおかしいよね、と言う莉奈。
「あのさ、莉奈…」
思い切って、門平くんから聞いた話と、昨日の青野の様子も打ち明けた。
今までは岩崎さんのプライバシーとか、門平くんの話の信憑性とか考えて打ち明けられなかったけど。
言うなら今しかないと思った。
聞いていくうちに、莉奈の表情はどんどん固くなっていった。
「ごめん……、すぐ言わなくて」
「いや、それは仕方ないよ。澄香は二人ともろに仕事が関わってるんだから、言いにくいのはわかる」
「………」
「私は総務だし、普段二人とは直接関わってないしね。なのに同期だから何でも筒抜けってわけにもいかないでしょ」
「…………」
それはそうなんだけど…
でも寂しそうな莉奈の顔を見ていると、やっぱりもっと早く言えば良かったと思う。
それで何かが変わったりはしなかっただろう。
それでも、莉奈も一緒に心配することはできたはずだ。
心配性で世話焼きの親友を、置いてけぼりにしたのは私だった。
「ううん、私が駄目だった。莉奈、ほんとにごめん。隠しておこうと思ってたわけじゃないけど、言いづらくてつい先延ばしにしてた」
「澄香……」
「ごめん」
まるで昨日の青野。
もうひたすら謝るしかない。
「もういいよ」
そう言われて顔を上げると、莉奈はいつもの笑顔に戻っていた。
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