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6.
金曜日。
青野の出張帰りを待っていたら、天候不良で飛行機が飛ばないと連絡がきて、飲み会はあえなく延期になった。
「そういえば向こうは台風が接近してるとか言ってたね…」
「だねー……まぁ仕方ないか!」
というわけで、その夜は莉奈と二人で予約のお店に出かけて夕ごはんを済ませた。
食べているうちに、青野のことはこっちが無理に聞き出そうとしなくても、落ち着いたら本人から何か言ってくるだろうという結論に至った。
これまでも私達はそんな感じで、それぞれが何かあるたびに声を掛けて一緒に飲みに行く、からの打ち明けるという流れが多かったから。
岩崎さんとの結婚話で、今後はそういうのがなくなるのかなと思っていたけど。
「これって結局元通りってこと?」
「………うーん……」
青野の気持ちを聞いたことに変わりはないので、元通りかと言われたらそうではないと思う。
正直なところ、史朗さんと出会っていなかったら、自分はまた揺れていたかもしれない。
でも。
今は彼のことが好き…
どう考えても、この気もちは揺るがない。
だから。
「そうだね…。また三人で仲良し同期かなぁ」
そう言ったら、莉奈は「やったね!」と嬉しそうだった。
帰りの電車の中で、まばらな乗客の隙間の窓に映る自分の姿をぼんやり見ていた。
30、かぁ……
十代の頃は、二十代のうちに結婚しているだろうと思っていた。
何の理由もなく、ただそんなものだろうと。
でも大学を卒業して喜原屋に就職し、初めて働くことの喜びを知った。
それまでのアルバイトとは全然違う、自分の実力や努力と真っ向から向き合う日々は、喜びも辛さも何もかもが人生そのものを彩るように鮮やかで。
瞬く間にのめり込んだ。
気がついたら今年30になっていて。
周りの友人は半数が結婚し、母親からは煩いほどの催促を浴びせられ。
結婚していないと肩身が狭いとさえ感じるようになった。
でも決して器用ではない自分は、仕事が楽しい程プライベートがお粗末になる。
恋愛は、更に。
そんなつもりはなくても、恋人よりも仕事を優先していたと思う。
器用ではない自分は、そういう部分を上手く隠したり取り繕うこともできないから、結局相手は離れていく。
そうなると周りからもプレッシャーを感じて、ますます焦る。
焦ってる女なんか、誰も相手にしたいとは思わない。
きっと、その悪循環の中にいたんだよなぁ…
どうして自分は、とか。
何で誰も、とか。
そんな考え方ばかりしていたように思う。
自分で自分を追い詰めてた……
焦る必要なんかなかった。
仕事が楽しいなら、それで良かったのだ。
それを上回るような相手に出会っていなかっただけ。
……でも今は彼がいる。
史朗さんとの恋は、まだ始まったばかりだけど。
その人を思い出すだけで胸が高鳴るなんて、初恋でもなかったことが今現実に起こっている。
目を閉じてあの笑顔を思い浮かべたら、ぎゅう、と胸が苦しくなる。
明日は会える…
話したいことがあると言ってた。
それがどんな話なのか、彼が何を口にするのか。
気になるし、少し怖い。
もしかして、結婚してる?
奥さんと子供がいたりして?
それは間違いなく最悪の現実だ。
相手は17年上だし、今までまったく考えなかったわけじゃない。
彼は自分のことを「悪いおじさん」と言ってたから……
もしそうなら、当たってる。
でも指輪はしてないし、跡もなかった…
さりげなくチェックした薬指には何もなかった。
だからといって、そうではないとは言い切れないけど。
でも、たとえそうだったとしても……
彼が妻帯していたとして、明日それを告白されるのだとしても。
もう後へは引けない気がしていた。
やっぱり付き合えないって言われても…
自分は彼を好きでいてしまうだろう。
今後も仕事では何度も会うことになる。
かなり辛いな、それは………またどん底だ。
でも反対に、隠れて付き合おう的なことを言われたら?
本当に悪い男だってことだよね…
でも、私……はい、って言っちゃいそうだなぁ…
それがどんなに愚かなことかはわかってる。
わかっているのに、自分はきっと止まらない。
常識で考えたら、諦めるべきだよね……
想像しただけで胸がズキリと痛んだ。
あの夜。
ぐちゃぐちゃになった心で、酔っ払ったまま消えてしまいたいと思った夜。
この上なく素敵で完璧な人を手に入れたと思った。
かっこよくて、甘えさせてくれて、抱きしめてくれて、優しく名前を呼んでくれて。
自分を憐れんだ神様が、これからも生きていくため一時の夢を見せるために遣わしてくれたのだと、本気で思った。
あのまま二度と会うことがなければ、一夜の夢だったと割り切れたと思う。
でも私達は再会して。
彼も、気になっていたと言った。
捕まる前に逃げたほうがいいとも言われたけど。
もう、止まらなかった。
悪い人でもいい……
それさえ魅力だと感じてしまう自分はもう、頭がおかしいのかもしれない。
彼が欲しい。
一緒にいたい。
捕まえていてほしい……
思うのはそんなことばかりだ。
電車の窓に映る自分は、いつも通りの澄ました顔でこっちを見ている。
その平然とした表情の下。
熱い欲望を押し隠して。
夜にまぎれるように。
静かに目を閉じた。
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